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文学
見る人には見える「神」の存在
書籍・作品名 : 怒りの子
著者・制作者名 : 高橋たか子 小学館版 2021  
三好常雄(すすむA)   61才   男性   





高橋たか子作品の特徴はテーマがストーリーから浮き上がってしまうところだが、本作はその統一性が見事だ。初作から10年を経て「熟達」の心境に達したと読める。作家自身も本書の「あとがき」欄で、1985年の渡仏を控えて大急ぎで書いた本だが、後で読み返して「ううん」と呻った程良く書けていると自賛している。清水義典氏は「解説」欄で、作家“最後の作品”と喝破しておられる。その理由を、その後作家は「霊的存在」として、信仰の書だけを書くようになったから、と言う。後期作品も多いが、それらが三浦綾子氏の後継になってしまったという意味なら、この本以上の関心を持てない。

斉藤環氏は自書『関係の化学としての文学』で、物語の動作平面として「関係平面」と「象徴平面」があるとする。意識的か無意識かは不明だが、作家はこの著書でかつての特徴だった「象徴平面」から、「関係平面」に歩を切り替えたとみられる。主人公に全く世の中を知らぬ19歳の専門学校生・藤原美央子を登場させ、彼女が恋い焦がれる相手に32歳になる独身男性岩崎松男と、松男と精神的な相思相愛関係にある松男の兄嫁の初子37~8歳という到底太刀打不可能な「大人」を関係させて美央子を困惑させたうえに、22~28歳位に見える年齢不明の同じアパートの住人山本ますみとまで組打ちさせる。ますみは作家が呼び出す「悪魔」とも言える人物だが、美央子をも超える狂心状態にあり、美央子の疑心を更に深めさせる役目を負う。それでなくても恋心は人の感覚を研ぎ澄ます。「鈍」なりに「純」を貫こうとしている美央子と彼らとの錯綜した関係が美央子の妄想を膨らませ、狂気を誘う描法である。通常「関係平面」から期待されるのは主人公の成長物語だが、本書にはそこへ向かう出口は閉ざされ、やがて決定的な破滅が生じる。

このような筋の運びは、私たち読者を物語に没頭させない。読者は絶えず緊張を強いられつつテクストを出迎え、その時々の文章の含意を精読させられることになる。まず京都弁に代弁される京都の狭隘で姑息な風土。京都では言っていることと思っていることが違うというが、作家はそんな京都弁を多用し、美央子に関係人物の内側まで入り込ませない。美央子にも演劇で言う「内的独白」にまで京都弁を使わせて、若い彼女の「未決定」気分を強調する。

私のような凡庸な読者でも、そんな「緊張」から教えられるのが、キリスト教の示唆だ。初子は、家人が了解のこととして気にも留めないでいるらしいが、毎日曜の朝何処に行くのか。そもそも初子は御大家に生まれ、一流大学に入れるほどの優秀な頭脳の持主だったのに、18歳の時「ちょっとおかしな風になられ」て、大学で教わることは何もないと進学せず、「格下」の友禅染問屋の主人常男の求婚を受け入れて以来、自分を無にして家内をやりくりしている。一種の「改心」を得たと受け取れる書き方だ。美央子が松崎家で見た、めったにゆかない部屋の土蔵に通じる「何もない白壁に[埋め込まれた]、「十字の形の黒い木」とは何か。土蔵の中にある、初枝も覗きようのないこの一族の血につながる遺物とは何か。さらに美央子が何度も夢で漂う「とろとろと黄ばんだ海」と「創世記」の書出し部分を思わせる「海」とには何らかの関連があるか。極端にいえば、その全てが京都と言う「切支丹信仰の中世」につながる緊張を強いて来る。

夢で始まり夢で終わる小説である。冒頭美央子が初子に電話で、見た夢を話そうとすると、「夢は話さなければ明日にも忘れてしまうが」「話すと本物になる」と断られる。最後でも同じことが繰り返され、夢を話してしまった美央子は、初枝から「あんたの中に『怒りの子』が見える、いま」と言われる。「怒りの子」とは『新約聖書』の「エペソ人への手紙」第2章の「肉の欲に従って日を過ごし、肉とその思いとの欲するままを行い……生れながらの怒りの子であった」から採った言葉に相違いない。初子の尼僧然とした「超然」的内面がこれで納得される。繰り返されるアパートの狭くて急な階段、最後の惨劇の舞台が、キリストの予言の如く、予め提示される。

短い終章、牢獄の中庭で美央子は考える。ますみを抱え込んで一緒に階段から落ちたのは、松男への失恋に自分を見失い、ますみの嘘で「怒りの子」となって、彼女と一緒に死んでしまおうと思ったのか。それとも「もしかしたら、目覚めるために、うち、自分で落ちたんやろか」どんな夢から目覚めるというのか。彼女にそれは永遠に解けないかもしれない。しかし美央子は庭を散歩しながら「自分一人ではないみたいだ」とも思う。本書全文に亘って神もキリストの一文字も出てこないから、全ては私の「妄想」かもしれないが、私は確かに神を見た。






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