文学
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「復讐」から「悪魔」へ
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書籍・作品名 : 空の果てまで
著者・制作者名 : 高橋たか子 新潮文庫版 1983年
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三好常雄(すすむA)
61才
男性
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高橋文の特徴は、風景と心象の見事な合一にある。もう一つの特徴はテーマが明確であることだ。本書は「復讐」である。『誘惑者』は悪魔(悪)がテーマであった。本書は『誘惑者』の前駆的作品に位置づけられよう。
「復讐」とは、「凡庸なものに対する憎しみ」と主人公の秋葉久緒は定義する。一種の「天才」とも呼ぶべき彼女が憎むのは、「かわいそうに」と心安く同情する世間の「善良さ」だ。欧米には世間と隔絶した天才の悩みを描く小説は多い。マンの『トニオ・クレーゲル』はその代表作だし、アメリカには、サリンジャーの『フラニーとズーイ』や『ライ麦畑でつかまえて』がある。それらの作品は最後には世間と妥協する道を開いてしまうのだが、久緒にそんな気配はない。ただし「復讐」は「悪意(悪)」に負けたという苦い思いはある。
久緒の真のアンタゴニストは善良の塊の落合雪江ではなく、岡克子である。この哲学少女は「世間の凡庸さを罰する」と言う久緒に「秋葉さん、幼いわね」「あなた、いつか自分を滅ぼすわよ」と言ってのける。「復讐には対象が要るが、逆に対象から復讐される」と言いたいのだろう。彼女は錬金術師が夢見た悪魔を引き合いに出し、形而上学的な悪魔の存在を実証するという。ある雨の夜、克子は久緒を誘い、大量の青酸カリと称する粉末を浄水場に撒くが、翌日誰も死なず報道もされない。白い粉は砂糖ではなかったかとの疑いがこの先長く久緒にまとわりつく。そうであれば毒物散布もあくまで克子の形而上的行為に過ぎない。
「復讐」の対極に「茫洋」が持ち込まれる。善意の上に茫洋が加わると「鈍さ」が引き立つ。中国で戦死した岩男とのみ書かれる久緒の婚約者をはじめ。作家は久緒が誘拐し捨てた子供の珠子を拾って家まで届け、山羊の乳まで恵んでくれた老婆(珠子の名は老婆が飼っていた猫のタマを借りた)。久緒に仕事を与え、生活の基盤にアパート経営のきっかけを教えた木綿問屋の主人。鋭敏な久緒の生き様には「茫洋」人の助けがあったという事実も書き込んで、作品にアンビバランスな「厚み」を与えている。
久緒と同じ象限に立つ人物に夫の弁護士・武山信次がいる。合い似る頭脳の切れに惹かれて結婚するが、間もなく夫は法律を丸読みするだけの規律論者、つまり俗人と知って対立する。信次は、夫の言いなりにならない久緒を理解できずに、暴力をふるったり、懇願したりするが、どうにもならない。欲しくないと言っていた子供が出来ると溺愛する彼に、大阪大空襲の最中、非常に残酷な「復讐」を企て、子供ともども死に追いやる。
そして雪江。20年以上に及ぶ関係がある。女子挺身隊で初めて出会った私立高女の雪江は、作業所の検閲式で将校に殴り飛ばされた久緒にハンカチやら塗り薬を差し出す天性疑いを持たないお嬢様で、久緒にはその無垢さが気障りな女性である。結婚のため一足早く隊を辞めた。終戦2年後、生活苦でも捨て難い独身生活満喫の久緒は、彼女と大阪駅前の闇屋街で偶然に出会う。赤子を抱いており、乳の出が乏しいので、しばらく夫の実家で養生すると言う。頼みもしないのに、買い出しに来るようなら多少の口利きが出来るから訪ねてと、手早く住所と地図を書いて久緒に渡す。
いよいよ食糧に尽き果てた久緒は、メモを思い出し雪江を訪ねる。庄屋で大地主の屋敷に入るのが躊躇われてしばらく邸内に潜み子供をあやしている雪江の背中を見ていると席を立った。母がいなくなった赤子が泣き出す。思わず駆け寄って抱き上げるが、その刹那生来の「復讐」心が頭をもたげ、持参した風呂敷に包んで逃げ出す。その子供を捨てようとするのは先に述べたとおりである。この上は子供を「精神的奇形児」に育て上げなければと決心する。
半ば放置しつつ育て上げた珠子は久緒の意図に、半分成功し半分失敗した。そして13年後、久緒は趣味で寺巡りをしている子供連れの雪江に偶然に出会う。子供は珠子の妹春子。雪江との偶然な出会いは必ず何かが起きる。
雪江は聞きたくないと言い張る久緒に、万佐子(珠子)行方不明の次第を手紙に書く。珠子と春子は急速に親しくなる。二人を見比べ、耳の形が似ているという雪江は、天性の純心さから珠子が自分の娘とまでは思いつかないようだ。
他日二人で登った裏山で、春子ちゃんが好きと言う珠子に「仲良くしなさい」と言う他ない久緒。彼女の「復讐」は「復讐された」と示唆する書きかただ。久緒はひとり崖っぷちに立ち、「地の果てまで来た」と思う。「地の果てには空があり、さらにその果てにはまだ空がある」と。
久緒の自殺を思わせるオープンエンドだが、久緒は死なないだろう。夫と子供を燃え盛る家に置き去りにした久緒だ。この先もひっそりと生きてゆく他にない。珠子が雪江の子供だったと知られる時もあろう。その時は久緒の復讐が悪魔に昇華するだけのことである。
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