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文学
「70年前」が現実味を帯びる日
書籍・作品名 : 渚にて―人類最後の日
著者・制作者名 : ネヴィル・シュート/佐藤龍雄訳 創元SF文庫 2009  
三好常雄(すすむA)   61才   男性   





友人が言う「ウクライナでこの本の読みが変わった」と。いま「世界大戦」再来の嫌な予兆の中で、70年以上前の本が読み直されているという事実は、その間に人間が一層退化したことを実証するに足る。

1964年、世界は最終戦争に突入した。核ミサイルが飛び交った37日間の後、北半球の人類は絶滅し、放射能を含んだ空気が徐々に「非核地帯」の南半球に押し寄せる。各都市に到着する日は予測できる。

かろうじてメルボルンに避難したアメリカ海軍原子力潜水艦「スコーピオン」艦長タワーズ大佐は言う。人はいつかは死ぬ。その何時かは判らない。だが今回は誰もが死ぬ時間を知っていて、「その運命をどうすることもできない」と。したがって本書のテーマは、残された少ない時間を「人はどのように生きるか」にある。

プーチンが核の脅しをかけている今、多くの読者の関心事は、小説の背景にある「核戦争による人類絶滅」の恐れのほうだろう。核戦争などありえないとばかりに放っておいた怠慢のつけを、人類は今突き付けられているのだから。だが先ずはテーマに沿おう。

物語の中心はドワルト・タワーズ艦長とオーストラリアの若い女性モイラとの純愛である。タワーズはコネチカット州ミスティックに住む妻子を戦闘中に失った。忠誠心の塊の艦長は軍務に励んでいるが、ふと襲ってくる「心の痛み」に太刀打ちできない。彼の気晴らしになればと、米国原潜の連絡将校オーストリア海軍少佐ピーター・ホームズは自宅に招待する。タワーズの「慰め役」に近所の農園主の一人娘モイラ・ダヴィッドソンも招かれる。10歳年下のモイラは忠実に「役目」を果たしているうちに「大人の」タワーズの魅力に溺れてしまうが、タワーズのやや「古色な」道徳観は、「自由奔放な」オーストラリア娘の一途な思いを叶えてやれない。その感情の交差が死を前にして進行する。モイラの思いに泣ける。

迫りくる死を前に二人を囲む他の人々の生きざまも描写される。園芸愛好家のピーターの妻メアリは、来年に花を咲かせる球根を植え、庭木を切り倒して跡地に菜園を作るなど「死の先延ばし」を図る。妻思いのピーターは「女はこれだから」と嘆きつつも意に沿う。これだって立派な死の迎え方だと判るからだ。スコーピオンに乗り組み、北半球の放射能分布を調査することになったモイラの従弟の科学将校ジョン・オズボーンは、北の放射能の大部は雨や雪に洗われ落ちて南半球には来ないとする学者との「学術論争」に勝った後、隠れ趣味のカーレースに残りの人生を賭ける。オズボーンとモイラの親戚の大金持ちで愛飲家のダグラスは、彼のクラブに貯蔵される高級ワインを飲み尽そうと体を壊しつつ朝夜頑張る。こういったインテリで金持ちで上流階級の死の迎え方を記す作家は人間の死に向かう「気高さを」を示したいのであろう。一般大衆の「狼藉」は商店街のガラスが破れた状態で暗示するに留め、黙殺する。

タワーズは艦長ならば戦争を止める「外交交渉」が出来たのではないかと問われ、「軍人には無理」だと分を守ってみせる。だが艦長をはじめとする乗組員の誰もが、聞かれないので答えない問題があるのではないかと、天邪鬼な私は考えてしまう。それはスコーピオンが核ミサイルを発射しなかったかという疑問だ。

アメリカ海軍原子力潜水艦「スコーピオン」は実在する。Wikipediaによれば1957年に建造が計画され、1960年に就航、1968年に事故によりマリアナ諸島沖で沈没した。排水量2880トン、装備は21インチ魚雷発射管6門とあるが、核ミサイル搭載とは記されていない。一方本小説に登場するスコーピオンは、排水量6000トン、タービン出力は1万馬力を超えるとされ、別物である。潜水艦発射型核ミサイル開発はソ連に遅れて、アメリカは1960年に水中発射SLBM搭載の原潜を就航させた。これから考えて本書のスコーピオンが核ミサイルを搭載していたと推定することは理があり、持っていれば使ったはずだ。道徳者のタワーズに躊躇いはなかったか。そう考えるの本書を逸脱するメタ読みだろう。

タワーズがこの戦争でなにをしたかは語られない。しかし核戦争の拡大が、各国の指揮命令系統を破壊し、軍人たちは次にどこをどうやって攻めれば良いのか判らないままに核爆弾を投下し続けたという事実がおぞけを震う思いで読まされる。今となって誰に対してどんな責任が追及できるだろう。

ピーターはメアリに言う。「新聞だ……新聞によって人々に真実を知らせることは可能だったはずだが、だが、どの国もそれをやらなかった。……われわれ国民は水着美女の写真や暴力事件の見出しなんかにばかり眼を惹かれてしまっているし、政府は政府で、そんな国民を正しく導きれるほど賢くなかった」と。

平和活動家が飛びつく台詞だが、常に遅い。「梟は夕暮れに飛び立つ」。






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