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文学
ソン・リリンへの「内面探求」がうざったい
書籍・作品名 : エム・バタフライ
著者・制作者名 : セルジュ・グリュンベルグ/山崎剛太郎訳 二見書房(1994)  
すすむA   58才   男性   





ディビッド・ヘンリー・ウオンの戯曲と映画をもとに、フランス作家セルジュ・グリュンベルグが「ノベライズ」(小説化)したのが本書である、再々版だから、「饒舌」さが抑えきれない。

実際にあった話が元になっている。1964年、北京のフランス大使館に勤める当時20歳の<Bernard Boursicot>(ベルナール・ブルシコ)は28歳の<時佩莩>(シ・ペイプ)という京劇俳優に恋をし、一年後には「男児」が生まれる。<時>は子供を担保にベルナールから外交秘密を引き出す。1979年にベルナールは帰国し、1982年には<時>と彼の「息子」をフランスに呼び寄せてスパイ活動を続けるが、ほどなく逮捕される。その裁判の席上でベルナールは初めて<時>が男性であったことを知る。18年もの間騙され続けたベルナールは刑務所で自殺を図るが未遂に終わる。<時>は1981年の釈放後もパリに残り、2009年に70歳の生涯を閉じたという。ベルナールは存命のようだが消息不明とされる。

ベルナールが<時>を「蝶々夫人」に模したかどうかは定かではない。この事件をプッチーニの『蝶々夫人』の現代版と捉えながら、それを見事に転倒させ、パロディーを超える一篇の名作に創り上げた原作者ディビッド・ヘンリー・ウオンこそが讃えられるべきであろう。

〚蝶々夫人〛には、多くの識者が指摘するように、東洋蔑視、男尊女卑思想が満載されていることは疑うべくもない。本書の主人公、北京のフランス大使館の会計係に過ぎないルネ・ガリマールは、あるパーティーで京劇俳優ソン・リソンが「ある晴れた日に」を歌うのに魂を奪われ、中国人ソンを日本人の蝶々夫人に同一化してしまう。ソンは「日本人はあたしたち中国人を何千人も医学事件に利用した」と不快感を示すが、ルネには通じない。「冷酷な白人に屈服した東洋の女があなたのお気に入りの幻想なんでしょう」と言うソンはルネの深層心理が判っている。

そのソンが男性であることが判るのは、読者によって異なるだろう。小説を読む際に、たった一回与えられる衝撃を、私はつまらぬ先行知識で汚してしまって残念だった。だが読者が知ってしまった後もルネだけはソンが男性であることを知らない。以後物語はこのギャップを楽しむことになる。

ソンの言う「白人魔」としての征服欲を駆り立てられたルネは、ソンを「屈服」させる。ソンとの性交渉で、彼は西洋女との丸裸での体操競技のようなセックスとは違う、衣服をまとったままの東洋の幽玄な「性の奥義」を味わえたと感激する。

ソンは流暢なフランス語が話せることから考えて旧支配階級の一員であり、常時監視が付いている身だ。ルネはピンカートンのように、ソンを世間から隔離したつもりでいるが、ルネが閨房で自慢げに漏らす機密情報は、すべてソンを監視するチン同志に伝えられる。ピンカートンと蝶々さんの関係はここで逆転する。

ソンとの間に「子供」までこしらえて、ルネは男として自信満々である。中国はアメリカを尊敬しているのでベトナム戦争はアメリカが勝つなどと、ルネの分析は怪気炎を上げるが、解析と言うよりは、ソンを支配したという夢想を、国際情勢に当てはめたに過ぎない。予言は見事に外れ、副領事を解任され帰国させられることになる。

追ってきたソンの要求でルネは外務省情報の運搬人となり、預かった文書をソンに見せる。ルネは文書の中身には全く関心がない。中国当局に「保護」されているという「息子」の安否に心痛めるだけだ。ルネの自尊心は、かろうじて彼の妻には生ませることのできなかった「子供」を作れたことで満足するまで低下しているのだが、とどめとして、二人がスパイ容疑で逮捕され、ソンが男性であったことを初めて知ることになる

ルネは、実は自分はピンカートンではなく彼に利用された「蝶々夫人」だったと気付く。その「蝶々夫人」に残された道は、「女性」だった頃のソンに捧げた情熱を胸に抱いて自死すること。刑務所の演芸会で、性欲むき出しの囚人たちの前で蝶々さんのように喉を掻っ切るルネには、自分の生を閉じるのに、これ以上の機会は恵まれないだろう。

戯曲や映画では、ソンの内面は描かれない。これはひとえにルネの妄想と悔恨の話なのだから、ソンは「俳優」として充てられた役を存分にこなせばそれで良い。物語論でいえば、ルネがラウンド・キャラクターなら、ソンはフラット・キャラクターであらねばならぬ。実際にもソンの実人生は中国革命の時点で終わっていると読める。それをグリュンベルグの‟全能の語り手”は、随所で、特に終章で無理やりソンの内面に押し入ろうとする。せっかくの筋の運びが「竜頭蛇尾」で終わるというか、実にうざったい。






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