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文学
デフォーの「パクリ」小説に過ぎない
書籍・作品名 : ペスト
著者・制作者名 : アルベール・カミュ/宮崎嶺男訳 新潮文庫版1969.10  
すすむA   58才   男性   





世評と真逆のことを言うのは勇気がいるが、つまらない小説だった。カミュを知らないわけではない。『異邦人』や『シジポスの神話』に描かれる実存主義と反抗を絶賛してきたのだ。だがこれは何だろう。前作の評判で気をよくした作家の「受け狙い」か。

ペストをナチスに「読み替える」という解釈があるそうだが間違いだ。ナチスの暴虐は西欧社会の明白な失敗の結果であって、細菌に転嫁できる話ではない。ナチスが突然「異界」から襲撃してきた、とする連想は無責任である。ペストはペスト、ナチスはナチスだ。

『ペスト』という日本語タイトルの作品はこれが最初ではない。1722年の昔、ダニエル・デフォーが1655年ロンドンのペスト大流行を材料にしたルポルタ-ジュ風小説がある。当時ペスト菌などは発見されておらず空気伝染と考えられていたので、46万ロンドンっ子は慌てふためいた。疫病の発生から終焉迄の詳細を追うにはデフォーの方が総括的で生々しい。カミュが描くオランの情景の大半は、デフォーのパクリかと疑えるほどだ。

カミュの『ペスト』はルポルタ-ジュではない。疫病と戦う知識人の「連帯」を描いているのだ。しかし本書は彼がこれまで追求してきた「反抗」とは趣を異にする。もちろん彼お得意の「実存主義」的風味はたっぷりある。しかし『異邦人』に描かれた宗教や世間との息詰まる対決はここにはない。連帯を強調するあまりか、小説構成に不可欠な対決者(antagonists)が不在なのだ。登場者全員が、神父も含めて、リウー医師の働きに敬服し、彼を手助けしてしまうのだから、緊張感があるように見せつけて全く緊張感を欠く物語になってしまった。

パヌルー神父の二つの説教はこの小説の一つの山場である。最初の説教は、東日本大震災の際に「天罰だ」と述べた都知事の発言と変わらないが、二度目の演説は「神の為されることは不可解だ」、我々にはその神を「全否定するか全肯定するか」の選択肢しかないと、人間にとって神が負担になっていると読める信仰告白をするのだが、もともと神を信じてないリウー医師はこれによってたじろぐ様子はない。

10名ほどの登場人物の行動は詳細に描かれる。ペスト蔓延期間中にその何人かが死に、何人かが生き残るが、その選択は作者の恣意に任されている、と考えられる。死亡するのは門衛、「高等遊民」のジャン・タル-、リシャール、パヌルー神父、オトン判事、フィリップ(オトン判事の幼い息子)、リウーの妻、コタール(密輸業者で逮捕後罪が暴かれて処刑されるだろう)。生き残るのはリウー医師、リウーの母、カステル老医師、ランベール(新聞記者)、グラン(作家志望の下級役人)、マルシェ(市の鼠害対策課)等々である、登場人物をフラット・キャラクターとラウンド・キャラクターに分けるとすれば、死者の中で門衛とフィリップ、リウーの妻は、物語進行上欠かせない中立的人物だが、その他はラウンド・キャラクターに分類できるだろう。これらの人々はペスト災害の中で多かれ少なかれ自己変革を遂げた人物である。生き残りは最初から最後まで思想を替えなかったといって良い人々だ。つまりカミュは「連帯」を強調しながら、その「連帯」を否定していると考えられる。これをどう診れば良いか、カミュには「転向者は再び転向する」としたパルチザン時代の不信のトラウマが残っているということか。「排除」を許容する連帯は自己矛盾だ。

一方で、町の人々は全く背景化される。いや背景にもなっていない、描かれていないのだから。フランス植民都市オランは「20万の人口を持っていた。」とされる。その大半がアルジェリア人のはずだが、この町の「アラビア人」に関する記載は、冒頭でパリの記者のランベールが「アラビア人の生活状態について」聞きたいとリウー医師を訪問する一箇所のみ。「黒人」という記載も一つある。訪問の後リウーとランベールが連れだって街に行く途中「二人は黒人街の路地をずっと下がって行った」という1行。黒人とアルジェリア人は別人か、説明は一切ない。『異邦人』では他者化されつつも「アラビア人」が確かに登場した。本作におけるカミュの被支配者への無関心はエドワード・サイードを(この部分は読んでいないが)激怒させるだろう。

以上を総括していえば、本作は今風で言えば「心温まる絆」に安易に縋った、それだけに解りやすいが通俗的で奥行きに欠けた小説と断罪する以外にない。P・ソディという刊行当時の評論家は、この作品が絶大な人気を得たことについて、『ありふれた逆説であるが、彼は一般大衆の支持を得ると同時に知識人たちの支持を失ったのである』と述べている」そうである(平田和重氏)が、私も同感だ。『ペスト』は「実存思想」を刺身のツマにしたたんなるロマン小説に過ぎない。






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