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評者◆杉本真維子
欅に抱きつきに
No.2915 ・ 2009年04月25日




 あまり土地勘のないところを歩いていて、ふと神社が目に入ると、よほど急いでいないかぎり、たいていは立ち寄っている。いつからかそういうことになっていて、ふっと自分ではないような身体が進路を変え、もう鳥居をくぐって歩いている。たぶん、私はいつでも拝みたいのだ。拝みたい、なんて漠然とした言い方だけれど、目をとじて、手をあわせているときのあの呼吸を、いつでも求めているのだと思う。その静寂のなかでは、自分の心のなかを包み隠さず広げることができる気がする。
 賽銭箱へお金を入れ、がらごろと鈴を鳴らす。そのとき、立て看板の「樹齢400年の大欅――抱きついてみませんか」という文字が目に入った。地図も表示されていて、今いる場所の裏へまわると、大欅があるから、それに抱きつくと新鮮な「気」をもらえると書いてある。正確な文言は忘れてしまったけれど、元気のないかた、気持ちの弱っているかた、体調のわるいかたはどうぞ、というようなことが書いてあって、ぜんぶ自分に当てはまるので、まよわず抱きつきに行った。
 渡り廊下を越えて、草道を進んでいくと、胸を反り返らせて見上げるほど立派な、大欅が立っていた。正面には、抱きつくときの作法なるものが書かれていたので、とにかくそのとおりにやってみようと思った。でも、いざ抱きつくとなると、急に人目が気になる。左右をきょろきょろして、後ろを振り返って誰もいないことを確認してから、書かれていたとおりに、一分間、抱きついてみた。
 しばらくすると、背後からくすくすと笑い声が聴こえてきた。年配の男女らしく、明らかにこちらを指して笑っているのはわかったのだけれど、だめだだめだ、そんな嘲笑に負けてはいけない、と言い聞かせ、心のなかで60秒を数えおえるまで、べったりと抱きつきつづけた。
 そして、一歩さがり、ふかぶかと一礼して、顔を上げたとき、一分間というのは抱きつく時間ではなく、欅からもらった「気」を深呼吸する時間だとわかった。しまった、と思い、笑い声のほうを振り向くと、車椅子に乗った白髪のおばあさんと、息子と思われる初老の男性がこちらを見ていた。そのとき、男性のほうと目があったのだけれど、彼はなぜかゆっくりと私に「頷いた」。
 その瞬間、ぱっと自分のなかの言葉が何もなくなったような、説明のつかない何か、感情ですらない何かがとおりぬけた。でも、とにかく恥ずかしかったのか、「大欅」に続く順路の小さな祠を駆けぬけるようにぜんぶお参りし、神社のおもてに出た。
 それから、お御籤を引いて、木陰のベンチに座って開いていると、前方でふたりはまた明るい声を立てていて、後ろにいたはずの彼らが先におもてに出ていたのだと気づいた。そして、彼の押す車椅子の車輪は、私の二メートルくらい隣でとまった。
 あ、と自分のなかで聴こえない声が出た。ふたりもまた、こちらを見て何かを言ったようだけれど、聴きとれなかった。なんだろう。微妙な距離は、これ以上縮まることもなければ、広がることもないような気がした。私は、読みおえた「中吉」のお御籤をたたみ、ベンチを立って、じゃりじゃりと乾いた小石を踏みながら神社を出ていった。
 そのとき、彼らがとても気になったのに、立ち去るときはなんの躊躇もなく、軽く会釈をすることもなく、ひたすら前だけを向いていた自分がふしぎだった。そんな立ち去り方は、今までの自分にはないものだったから。私と彼らは、それっきり二度と会うことはないかもしれないが、別れることもないような気がした。







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