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評者◆杉本真維子
無駄あつめ
No.2984 ・ 2010年10月02日




 インド食材の専門店へ足繁く通っている。バスに乗って隣町まで出かけて、お菓子を買って帰る。Haldiram’sという会社が出しているインディアン・スナックのシリーズに、すっかりとりつかれてしまった。
 不思議なことに、以前このシリーズの一つ、カシミールダルモットを食べて、一週間で4キロ痩せたことがある。たった一口で嗜好が変わり、ほかの食べ物を口にしたくなくなった。ダイエットになったと私は喜んでいたのだが、家族が不審がって病院へいくように勧めるので、看てもらったら、このままでは拒食症になりますよ、と言われた。
 予想もしなかった一言に、唖然とした。私はそのお菓子を好きになってそれだけを食べていただけなのだ。そして、この言葉をこう言い換えてみる。
 私はそのひとのことが好きでそのひとのことだけを考えていただけなのだ。
 なんて愚かな、とおもった。お菓子を人間に言い換えてみただけで、とたんに何か、見えた気がした。あの一週間、家族や同僚が差し出してくれた、さまざまな食べ物を思い出す。ゴーフレット、炊き込みご飯、キムチ、秋刀魚、オレンジピールのケーキ。こころのなかの腕はそれらをぜんぶ振り払って、そのスナックだけを抱いていた。
 暗闇にこもって、膝をかかえ、目だけを光らせている自分が浮かんだ。その姿はぬめっとした海豹を思わせた。一つのものしか見えない状態は、狭さという安住の地に小さく堕しているところがあると思うが、その間に取りこぼしてしまった大切なものをのちのち悔やまないかどうか。恋に落ちるときは、仕事だけに没頭するときは、その点をいちど自分に確認してみるべき……と思いかけて、いや、違う、ときっぱりと引き返す。どんな論理で繋がるのかはわからないが、サン=テグジュペリの「星の王子さま」のなかの詩句「時間を無駄使いしてくれたから、楽しい時を過ごせた」が響くのは、いつもそんなときだ。
「昨日、これ入った、わたし、これ大好き」
 そこのインド食材店の従業員は、ミャンマー人で、珍しいものが入荷すると、カタコトの日本語でうれしそうに見せにくる。その日のイチオシは、パキスタンの生菓子であった。7個入りで、持ってみると林檎3個分くらいの重さがあり、水分が相当つまっているのがわかる。値段は850円で、高くはないが、買う気がしないものは高く感じるものだ。
 高いんじゃないですか、と言うと、お金は今度来たときでいいから、本当に美味しいから、というので、そこまで言うならよっぽどだろうと、半ば熱意に打たれて買ってみた。垂れ下がった白いビニール袋を前後に揺らして、夜の明治通りを歩きながら、うれしい気持が湧いていることに気づく。よく知らない人の言葉を信用すること、よく知らない者である自分を信用してもらうことのなかに、言葉の繋がりなどこれっぽっちもないことが、すがすがしかった。
 家について、薄紙をそっとはがして、まずは母が、白いおはぎのようなものを、おそるおそる口に入れた。次に私が、山吹色をしたチーズのようなものの端を、スプーンで掬った。少しの沈黙があり、母のきょとんとした顔を見た。私はこめかみを押さえ、世界で一番甘い、頭が割れるような甘さの衝撃に、そのままソファに仰向けになって倒れた。これは日本人には無理だって、ミャンマー語で言わなきゃ、通じないだろうなあ。ぼんやりとそう思いながら、こんなふうに、ありったけの「無駄」を、もっと集めようと決めていた。
(詩人)







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