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評者◆平井玄
高円寺と渋谷のサイケデリック地理学 (前‐1)――今ほど宏大な「地理学的思考」が必要とされている時はない
No.3017 ・ 2011年06月11日




◎ライトブルーの「パンドラの匣」
とパルコの廃墟
 手に持つユニクロの携帯傘を広げようか、閉じようか、坂を上りながら迷う小糠雨である。原発震災からあと四日で二か月が過ぎる。威勢のいいBボーイたちがいつも肩で風を切って下りてくる五月七日の渋谷公園通りは、連休最後の土曜日なのに人も疎らだ。午後二時でもどんより暗い。平日午前九時の歌舞伎町のような空気が漂っている。
 垂れ下がった厚い雲と節電のせいばかりではないだろう。四年前に閉店したPARCOパート2は白いプレート囲いで覆われたままである。いつ解体されるのやら、こちらも閉鎖されたままの新宿コマ劇場と同じように都心の超一等地に薄汚れた骸を晒している。この坂を上りきった丘に建つNHK放送センターの方からサウンドデモのチューニング音が響いた。このギター音がたまらない。下腹をくすぐってデモの出発地へ向かう古典ロック少年の足を急がせてくれる。
 その脇の宇田川町には「ゼロ年代」の覇気が消え失せていた。この数年でモノマニアックなレコード店が次々と閉店している。「一人勝ち」という紛うことなきネオリベ用語で「思想の見取図」とやらを描いた佐々木敦のHEADZオフィスがあったことなど、もう知る由もないだろう。
 そこに三月一一日の震動が来た。逆ではない。
 渋谷から二一五キロ北東の福島第一原子力発電所で吹き飛ばされた三つの建造物、ライトブルーの空に鳩が群れ飛ぶようにペイントされた「パンドラの匣」の蓋が開く前に、誰もいないパルコビルやコマスタジアムの空っぽな箱が既にあったことを思い出しておきたい。放射能が飛び散るずっと以前に、いつまでもバブルの夢にすがりつく街の下部構造はすでに液状化していたのである。
数万年の時空を思考する
 一見すると街は何も変わっていないように見える。しかし、ここ公園通りから七四キロ南西の箱根山中では中国人経営のホテルが売りに出されている。従業員が一斉に帰国し、大陸からやって来る観光客など一人もいないからだ。未だに買い手はついていない。ディズニーランドが再開されても、浦安はおろか隅田川両岸から湾岸一円に建ち並ぶ超高層マンション群の資産価値は二割近く暴落し、止まる様子も見せない。数日前たまたま通りかかった浅草仲見世や六区にも、正月には溢れていた中韓台からインド亜大陸にいたるアジア人たちの影さえなかった。
 元やウォン、ディナールやユーロはどれだけ逃げていったのか? 発表された直下型地震による水没地帯を示すシミュレーション地図には、新橋から上野、日暮里へ向かう山手線を東西の境界として広がる都心東側のほぼ全域が真っ赤に塗り込められていたことを、ここに付け加えておこう。
 三月一一日以降、高く伸びる東京スカイツリーの画像を見るとアレクサンドリアのファロス灯台が網膜に浮かぶようになった。紀元前だから後世の想像図だが、三度の大地震に揺さぶられて海に倒壊した遺構を一四世紀アラブの大旅行家イブン・バトゥータが書き残した、あの世界七不思議の一つだ。東京ごときをあの優雅な地中海都市になぞらえては、この街を愛したE・M・フォースターやエドワード・サイードたちが眉を顰めるだろう。これは誇大妄想なのか。それとも海底に沈む超高層瓦礫の中で密やかな死後の生を過ごした方が、発ガンと貧苦に怯えながら地上で生き延びるよりマシだというのだろうか。
 「笑って暮らせば放射能なんて怖くない」と山下某という長崎大学教授が福島現地で触れ回っている。それなら、背後に東京電力と自衛隊の影を見ながら遠慮なく大笑いさせてもらおう。「そのうちなんとか、な~るだろう~」ってね。ところが「そのうち」が最低でも数万年を超える時間の単位だと知ったら、天国にいる植木等は「はいそれまで~よ!」としょぼくれるだろうよ。極めて疑わしいあの電気事業連合会のサイトでさえ、「高レベル放射性廃棄物がウラン鉱石程度の強さまで放射線を減衰させるには数万年を要します」としているのである。
 原発震災は、この数万年から数十万年という時空エリアの設定を思考する者に呼び覚まさせたといえる。確かに、ジュラ紀から説き起こすマイク・デイヴィス『要塞都市LA』はそうした遠大な眼であの「水晶の都市」ロサンゼルスを見ていた。ジュラ紀とは一億四千万年以上前だが、数万年でも数百世紀である。
 「ゼロ年代」の宇田川町がどうしたというのだ? いずれ来る大震動で東浩紀がこだわる湾岸のメガモールなど、こなごなに破壊されて化石さえ残らないだろう。高祖岩三郎が強調していたように、今ほど宏大な「地理学的思考」が必要とされている時はない。それほどの力は持ち合わせていないが、せめて数世紀の幅で考えたいと思う。
 その意味では、品川の旧宿場町を本拠にして都心南部から神奈川の沿海域に店舗網を広げる城南信用金庫が、地場の金融機関として「脱原発」を表明した理由は納得できる。ここは砂丘を埋めた人工海岸だった。三百年前に東海道の宿駅が帯びた淫らな賑わいに始まり前世紀の東京南部を震わせた戦後労働運動の騒めき、そして工場街のハイテク旋盤が今も立てる電子ノイズまでが浸み透る脆い岸辺だ。そこに棲む水辺生物にも似た「地誌的な本能」を感じるのである。

◎ハチ公の郊外から
「科学の子」アトムの街へ
 5月7日に「原発やめろ!!!ロックフェス・デモ」が行われた渋谷は、こういう湾岸低地帯と密やかに繋がっている。
 一九一二(大正一一)年、三歳の時に牛込新小川町から移ってきた大岡昇平は、一九二九(昭和四)年二〇歳で京都帝国大学に進むまでの一七年間、渋谷近辺のあちこちに住んでいたことがある。現在の地名でいえば、南青山七丁目に始まり松濤二丁目にいたるまで計七回も転居したという。その青山学院中等部から成城第二中学校に編入した日々について晩年の作家は埴谷雄高と語り合い、こんなことを言い遺している。

 「俺の育ったのは東京といっても場末だよね。渋谷という、この東京の辺境というのは田舎でもなく、また東京でもないんだよ。(中略)例えば、渋谷の道玄坂の坂下に「立ちんぼ」ってのがいてね。車を押してそれで駄賃をもらって帰っていくんだよ。道端に縄の帯をしめて立っているんだよ」(大岡昇平/埴谷雄高『二つの同時代史』岩波現代文庫より)

 「立ちんぼ」は八〇年代の山谷ではまだ生きていた言葉である。明けきらない朝の路上で手配師を待つ地下足袋姿の日雇い労働者たちを指す言い方だった。渋谷は、百年近く前にはまだそんな隠語が子どもの耳に入る東京の町外れである。
(音楽批評)
――この項、つづく







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