書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆別役実
中央・総武線
No.3060 ・ 2012年04月28日




 山手線を東から西へ横切る線であり、西は山梨から長野へ、東は千葉に通じている。東京のド真ん中を貫いている、と言ってもいいだろう。従ってこの線の、山手線の内側にある駅は、それぞれ何となく洒落ている感じがする。いわゆる「山の手」とも「下町」ともつかない、独特の雰囲気があるのである。
 統計があるわけではないから、正確なことは知らないが、これが「自殺者の多い」線であることも、一般にはよく言われている。ここに「飛びこんで」死ぬのである。事実「どこそこで人身事故があったので遅れております」という放送は、近くの駅のホームで何度か聞いたことがあるし、私自身、乗っていた電車が御茶ノ水駅でドシンとやったのを経験している。
 我国における、いわゆる「自殺の名所」というのは、例の「高島平団地」のような、一時的に流行するところと、「東尋坊」のように持続するところがあるのだが、どうやら「中央・総武線」のそれは、後者らしい。もちろん「名所」と言っても、これは線であるし、拠りどころとなる駅もいくつもあるから、従来の「名所」とは、かなり違う。「ちょっと待て」という立看板を立てるわけにもいかないし、「止め屋さん」を配置しておくわけにもいかないのだ。
 どうしてこの線が「自殺の名所」になったかについては、諸説あるものの、私としてはこの線が最も「生活感のない地域」を走っているせいではないか、と考えている。もっともこの場合、「中央・総武線」全線を指すのではなく、我々が一般に「中央線」と言っている、東京から新宿を経て三鷹までの線のことである。新宿、神田など一部例外はあるものの、ほとんどが「人間臭くない駅」を走り抜けていると言っていいだろう。
 もちろん「では、中野、高円寺、阿佐ヶ谷、荻窪、西荻窪はどうなんだ」と言う人がいるかもしれない。確かに、新宿をはずれて吉祥寺までのこの一群の駅は、「生活感がない」とは言えない。しかし並べて眺めてみるとわかるが、一般に言う生活感とはちょっと違うニュアンスがこのあたりには漂っている。
 それが何なのか、一言で説明出来るものではないが、「学生と文化人の街」と言えば、それだけでくくり取られるものではないにしても、漠然と言い当てているように思えないだろうか。他の、それこそ「生活感のある街」と違って、やや「つくりもの」めいているのであり、その分だけ「あかぬけている」のである。
 昔、街のそこここに「駄菓子屋」というものがあった。薄汚れた街並の、露地の奥などにひっそりとたたずまっていて、意地の悪そうな婆さんが店番をしていたりしたのである。それが今日では、洒落た表通りに、わざと古めかして、子供目当てではなく、子供時代を思い出す大人目当てに店を出している。
 前述したこの五つの駅と、それを取りまく街には、この「新しい大人のための駄菓子屋」めいたものがある。と言って私は、決してそれが「嫌だ」というのではない。そうした環境に身を置いて、気が安まることも多いのである。
 ただ私は、そのあたりの喫茶店や飲み屋(私自身はアルコールが駄目だが、つきあいで寄ることがある)に入って、それが何回かくり返され、いわゆる「おなじみ」になってくると、そのそれぞれの「身の寄せ方」が、やや「鼻につく」ことがある。「小市民」という言葉があるとすれば、「小文化人」や「小学生」という言葉もあると思われるのだが、自分自身のそうした「小」の要素に、いやおうなく気付かされてしまうのである。
 私たち早稲田の文科系の学生崩れ(おおむね中退者)で作っていた「評論」という同人誌仲間も、ほぼこのあたりを転々としながら活動をしていたが、この五つの駅の周辺には、こうした「文化的サークル」もしくは「サロン」が、無数にあったような気がする。つまり、そうした「文化的ぬるま湯」的な環境が、この地域の特徴と言えただろう。
 これをはさみ込む新宿と吉祥寺となると、ちょっと違った。境界を越えてそちらに入りこむと、「趣味から商売へ」変化させられるようなニュアンスがあったからである。
 私の友人で、早稲田で一緒に芝居をしてきたものが、芝居をやめて吉祥寺のジャズバーで歌を歌いだし、「一度遊びにこいよ」と誘われたことがある。何度かそうしようと思いながら、私は遂に行かなかった。私は私の芝居について、ことさら「趣味」と思っていたわけではないものの、彼の「こっちはショーバイだよ」という開き直りに、何となく気押されたのである。
 前述した「評論」同人誌の仲間とも、何回か吉祥寺へは行ったが、ぜいぜい「井の頭公園」を散歩して、駅前でラーメンを食べるかするくらいだった。吉祥寺の深みへは、足を踏みこまなかったのである。
 実はこの「評論」同人誌仲間の主要メンバーは、早稲田に通っていた学生時代から、西荻に下宿しており、そこに私も入りびたっていたから、そのころから「井の頭公園」へは度々出かけていたのだ。当時は、電車賃が惜しかったせいもあり、西荻から公園まで、田んぼの中を歩いて行ったのである。現在は住宅地となって、どこをどう行けばいいのか、わからなくなっているが……。
 ついでだから学生時代の西荻生活(私も、前述した同人仲間の下宿にしょっちゅう泊りこんでいた)のことを書くと、毎朝(と言うよりは昼近く)連れだって下宿を出て学校へ行くのだが、その前に朝飯(昼飯)を食べなければならない。ちょっと懐に余裕がある時は、駅前にある「こけし屋」というレストランに入るのだが、ここで出されるのはクロワッサンとコーヒーであるから、もう少し「実」のあるものを食べたいと思った時は、踏切を渡って(当時、電車はまだ高架になっていなかった)向う側の「外食券食堂」(もう外食券は必要としていなかったが、昔そうだったということで、私たちはそう呼んでいた)へ行き、「納豆定食」とか「鯵フライ定食」などを注文したのである。
 そして、これを書きたかったのだが、その「外食券食堂」へ渡る踏切のあたりが、例の「原民喜」の自殺したところなのであり、私たちはそこを通る度に、何度もそのことを言い合った。もしかしたら、それが「中央・総武線」の自殺者の、はしりかもしれない。
 話が飛ぶが、西荻というのは家内が子供のころ住んでいたところで、それも私の友人たちが下宿していたところのすぐ近くだったらしく、私は結婚後しばらくたってからそのことを知り、ひとしきり「あの店は」とか「この店は」とか確かめることで、話がはずんだ。つまり私は西荻について、時間的には飛び飛びにではあるが、体験を重ねたのである。
 ところで「中央・総武線」と言うのであるから、そのそれぞれの先の方についても言及しなければならないが、その点について私は余り詳しくない。
 「東京二十三区」という言い方があって、言うまでもなく「都内」を指し示すのだが、この考え方で言えば「中央・総武線」の場合、西は西荻窪までということになる。そこから先は「ハズレ」になるはずのところ、吉祥寺をこちら側に取り込みたいせいか、或いはこの路線の電車に「三鷹止り」が多いせいか、このあたりの住民には、「三鷹から先はハズレ」と、暗に考えているふしがある。
 従って三鷹までは、特に「越境」という感じを持たずに、「ちょっとそこまで」という気分で出掛けることが出来る。三鷹の駅の南口に、当時「貸卓球場」があり、西荻にたむろしているころ、よくそこに遊びに行ったことがある。そこから「深大寺」まで歩いたこともあった。つまり、私にとっての「中央・総武線」は、そこまでだったのだ。
 ところで、これの東の先となると、感じが違う。この線の「都内」となると、恐らく小岩あたりまでがそうなのであろうが、私にとってみれば、浅草橋を越えて隅田川を渡ったところで「越境」の感じにとらわれてしまうのである。つまり、両国から先は「東京じゃないんじゃないか」ということになってしまうのだ。
 もっとも、かつてこのあたりには、めったに足を踏み入れたことがなかったから、「都内」も「都外」もなかったのだが、一度文学座が錦糸町に稽古場を持って、出掛けて行かなければならなくなり、「ずいぶん遠いな」と文句を言ったら、「でも都内だよ」と言い返された。地図を見たらその通りだったので、「なるほど」と腹に納めたものの、次に演劇集団「円」が、両国駅の回向院の近くの劇場で、私の新作を上演することになり、そこに何回か通ううち、またもやこの「都内」「都外」問題が、私の中で再燃したのだ。
 地図で確かめてみればわかるように、両国は錦糸町より都心に近い。ましてや小岩となると、更にはるか先である。にもかかわらず、劇場へ行くべく電車に乗って、それが隅田川を越えると、「違う世界に入ったぞ」という、いわゆる「越境」の気分にどうしてもとらわれざるを得ない。両国の駅自体も、そこに国技館という巨大な建物があるにもかかわらず、いや、もしかしたらそのせいで、「異郷」という感じがしないでもない。
 恐らく「隅田川」という存在がいけないのであろう。今は逆になったが、昔は上方から下ってきて、隅田川を越えると「みちのく」とされていたのである。歴史的に、そこを越えれば別世界というメリハリが、今も生きているに違いない。というわけで、私の「中央・総武線」は、西は三鷹、東は浅草橋までを「都内」とするのである。
(劇作家)







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 私のイラストレーション史
(南伸坊)
2位 デザインのひきだし 37
(グラフィック社編集部編)
3位 天皇陛下にささぐる言葉
(坂口安吾)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 一切なりゆき
(樹木希林)
2位 SWITCH VOL.37 NO.6
平野歩夢 二十歳の地図
 
3位 そして、バトンは渡された
(瀬尾まいこ)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約