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評者◆杉本真維子
フルサト
No.3033 ・ 2011年10月08日




 だからさあ、本人同士がさあ、という聞き覚えのある声に振り返った。この声は三日ほど前に、大久保通りで、私の後ろを歩いていた人の声だ。時間帯も歩いている方向も違うのに、話題の断片は、明らかに前回のつづきとして、私の耳に届いた。こんなふうに、見ず知らずの他人の会話が繋がった、網のようなものをくぐり、私は生きてきたのか。些細なことなのに、軽いショックを受けて、周囲のざわめきに耳を澄ました。そうすると、だんだんと無音に近づく。聴こうとすると聴こえないもの、聴こうとしないからこそ、聴こえるもの。そんな声が世の中にはある、と信じることは、少しだけ揺れやすい心を鎮めてくれた。
 ソフトクリームを片手に、韓流アイドルグッズに群がる少女達。私の住む町は、いつの間にか、コリアンタウンと呼ばれる町になっていて、いまでは日本語を聞くだけで、不思議な気持になる。日本語が話されている、ということに、微かに驚いている自分がいる。だからこそ、さっきの他愛もない日本語が、耳にこびりついたのだろうか。
 「ふるさとは遠きにありて思ふもの」――この街を歩いていると、室生犀星の有名な詩「小景異情」を思いだすことがある。みんなそれぞれの故郷を持っているのかな、と思うたび、私の目はここではなく、生まれ育った長野へとむかう。私にとってはもはや誰ひとり身内がいなくなった故郷、帰りたくても帰れなくなったので、もう帰りたくなくなった故郷。大きな環境の変化が、この詩を悲しみよりも、安堵感を帯びて響くものに変えた。「よしや/うらぶれて異土の乞食となるとても/帰るところにあるまじや」という言葉も、以前は決意として、今はもっと厳しい断定として、希求する心を感じる。「遠きみやこにかへらばや」の「遠きみやこ」とは、失った故郷でも東京でもなく、永遠に探しつづける、どこでもない場所なのだということも、最近になって、思うようになった。
 どこでもない場所といえば、二〇年前の夏、初めて新大久保駅の改札を出たときの眩暈が、それであった。埃っぽい空気のせいか、カメラの露出計をいっぱいに開けたような、白い光に目を覆われ、瞬間、目の前の景色が、百年後とも、百年前ともいえるような、無名の時間を映しだした。死者の浮遊する眼差しが、自分の目に被さったかのようで、し、し、詩と、うわごとのような言葉とともに、体験としての「詩」が、なぜか身体を貫いたのだ。
 夜は、様々な国籍と思われる売春婦が、路地裏に立ち並んでいた。裏道はこわい。こわいけれど、闇のようなものが何も隠されることなく闇として、そこにある。その潔さ、わかりやすさのようなものが、嘘で固められたバブル時代には、正直なものとして輝いてみえた。ここに住みたい、心機一転、東京のはずれからこの場所へと移り住んだ。
 越して間もない頃、裸足で片方のサンダルを持って、ホテル街から泣きながら飛び出してくる外国人少女を見た。色白でまだ十代のように見えた。周囲には人気がなく、それを見たのは自分だけだという事実にふるえ、咄嗟に、彼女の涙を一滴も零さぬように、持ち帰らなければ、と思った。それはたった一人の目撃者がいたという事実が、彼女の抱えきれない秘密を壊す瞬間でもあった。私はその破片を、共有しようとしたのかもしれない。
 その肩は、遠いフルサトを背負っていた。まだ失われていない、現在形のフルサトを。それは生々しく、重く、一方で、幸福なことのようにも思える。すっかり様変わりしたこの街で、彼女の不在を確信するとき、私は自分のフルサトを振り払おうとする手の、弱々しさに口を噤む。
(詩人)







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