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評者◆杉本真維子
銀閣
No.3052 ・ 2012年03月03日




 そのガラス張りの喫茶店には、言葉の断片が書かれた小さな紙切れが、無数に貼られていた。何が書かれていたのかは、まるで覚えていない。
 午後一時。私は、京都駅から地下鉄烏丸線で十五分ほどのところで、帰りの新幹線までの時間をもてあましていた。用事は済ませたものの、発車まで六時間もある。しばらくベンチに腰かけて、青いバスを何台も見送った。何処へ行こう、何処へ行きたいのか……。途方に暮れかけたところで、きゅうに身体がうごきだした。まるでその店を目指すかのように、喫茶店jのドアをあけた。
 内観は、喫茶店というよりも、雑然とした小さな事務所であった。すべてのテーブルには、本が積み上げられていて、座ったとたん、細身の店主がささっと本を片づけて、スペースを作った。テーブルは塵一つなく清潔だが、観葉植物の大きな葉っぱなどには、もっさりと埃がかぶっていた。
 店の片隅で、アルバイトの面接を待っている学生のような気分で、コーヒーを待った。ミルクは、普通のミルクと、そうでないタイプのミルクとどちらがいいですか、と店主はしずかに尋ねた。そんなふうに問われたのは初めてだった。牛乳かポーションミルクのどちらがいいか、という意味だ。
 牛乳がいいです。そういったあと、それってカフェオレになるような……とぼんやりと思う。エアコンの風で埃がもさもさと動いて、頭上に降りかかりそうであやうい。そのエアコンにも、言葉が張られていて、店内はモノだけが饒舌であった。客足は絶えないが、店主と会話しているような常連客らしき人もいない。会計のとき、店主の目を見たら、何か一言交わしたくなった。この辺りに観光するところはありますか、と尋ねると、近くに銀閣寺があるという。
 行かなくちゃ、銀閣寺に。きょうは店主に言われたとおりに、動くのがよいのだ。そう決めて、店を出た。
 途中で、雨が降ってきた。引き返そうとする弱気を、なぜか身体のほうが、威勢よく引っぱっていった。何かあるのだろうか。銀閣寺を見たことがない、ということが、理由ではない気がした。
 たくさんの傘がまるく人々を覆い、銀閣の空は、霧で白くけむっていた。向月台を見てから、タイミングを見計らって、人々の前方へでた。傘をぼつぼつと打つ雨音を聴きながら、視界にあらわれた銀閣。しばらくして、私が見ているのではない、という感覚が湧いてきた。大勢の目に、私の目に、銀閣は、ただただ、見られていた。雨に濡れ、孤独を知り尽くしたかのような、孤高なたたずまい。それは、「見る」という私の主体的な態度さえ、傲慢なものに感じさせた。
 私は、何よりもちいさなもの、となって、藁葺屋根の上の、金銅の鳳凰の写真を、いちまい、撮った。帰路のバスから、あの喫茶店が見えたとき、何よりもちいさなものと、無数の紙切れが、ふいにつながった。あそこには、どんな言葉が書かれていたのか。欠けた記憶が、言葉も自分もひきつれ、銀閣へと向かわせた店主の行為だけに、すべてが収斂されていくようだった。そのことでうっとりと満たされる何か。私は京都にいなかった、という確信のようなものの傍らで、無名の六時間が、完璧な円形となってうかんでいる。
(詩人)







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