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評者◆杉本真維子
三日間の石
No.3128 ・ 2013年09月28日




◆子どものころ、掻巻布団が、怖かった。それは、人間の形をしていた。うつぶせに、大きく拡がって、敷布団の上に、乗っかっていた。次に見たときは、祖母と一体化していた。あの生き物のようなものは何なのか。ドア越しに見えたとたん、踵を返し、家の階段を駆け降りて逃げた。
 そういえば、今年の夏は、生まれて初めて花火を美しいと思えなかった。遮るもの一つない席だったのに、ちっとも胸に響かないことが奇妙だった。顎を少し上げ、じっと見つめている対象は、目の前の花火であると同時に、自分のこころでもあるのだろう。きれい、と素直によろこぶ気持ちも、空には映写されている。そのとき私はどうしようもなく不機嫌だったのだ。
 夕暮れ、精霊馬と向きあいながら、そんなことを思いだしていた。茄子と胡瓜に割り箸をさして、死者の乗り物をこしらえる。これがうま、これがうし。門提灯を開き、玄関につるす。松の割り木を用意し、迎え火を焚く。
 火をつけること、これが難しい。マッチ棒がコンクリートに散乱し、風が指の方向に炎を寄せても、諦めずに、マッチを擦る。あっという間に一箱がなくなる。ライターのガスもおわる。だって帰ってくるんでしょう! 死者が、という子どものような駄々に従う。
 それから、呼吸を整え、正座して、経を唱える。なんとなく、外出は憚られたので、翌日から三日間は、家に籠る。待つこと、迎えることが自分の仕事だから、窓を開け放ち、灯りを絶やさぬように、家の番人に徹する。
 テレビから、Uターンラッシュのニュースが流れる頃になると、お盆はもう中盤を過ぎている。まだまだ、あと数日ある。動じないこころが、半分、石のように固くなってくる。待つことは、石になることでもあった。
 最終日、送り火を焚くギリギリの時間まで、私は窓際に置かれた石であった。石は、そろそろか、と起き上がり、鉢に、割り木を積んでいく。乾いた木はくやしいほどに軽い。縦横に編むように並べていくと、案外高く積める。風が吹いて、崩れたら、もう一度、始めから並べていく。
 「来年も、待っていますから。」
 手を合わせて祈り、決意を固めて、火をつける。燃える木はうねうねと身を捩り、短い時間で焦げていった。燃え残った部分を点検し、そこにも火をつける。儀式の時間を引き延ばすように、全部、黒い灰になるまで、立ち去らない。うそ寒い風が、頬を撫でていった。
 家のなかに戻って、柱や壁、仏壇、カレンダーをぐるりと見回す。石はまだ人間に戻れず、正座したまま、動けずにいた。明日からの予定も、生活も、まだ考えることができない。
 お茶でも飲もうか、と声がするほうへ歩くと、数日間でごっそりと歳をとった私が、猫背で茶を啜っている。石はこのようにして、「私」と再会し、やわらかな衣服を被る。この服が肉体か、と腕や脚をしげしげと見て、動かし、ウォーミングアップする。跳ねたこころが、ふと言った気がした。
 「生きてるっていいね」
 脚の付け根のうちがわに、ごつごつした動物の背の感触が残っていた。精霊馬に乗って、この世に帰ってきたのは私ではないか。闇のなかでちろちろと揺らめく火を追って、夢中で走ってきたのは私ではないか。もう誰も待たなくてよい。もうおまえは待たなくてよい。涙を流して誰かが訴えかけてくる。そんな声を残し、今年の夏が、初めておわる。







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