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評者◆編集部
こどもの本棚
No.3280 ・ 2016年11月26日
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■プラタナスのむこうのべつの世界
▼森の石と空飛ぶ船 ▼岡田淳 作・絵 シュンは桜若葉小学校の六年生。四年生のとき、この小学校に転校してきてもう二年近く経つものの、クラスメイトたちとはどうにも馴染めずにいる。五月のある日の昼休み、シュンは苦手な三谷や岸や白井から見つからないよう中庭のドラム缶のなかにひょいと入って隠れた。そこにシュンがいることを知らずに三人は話している。「シュンのやつ、ゆうれいネコのように消えちまったなあ」。 ゆうれいネコとは学校にたまに現れてはすっとゆうれいのように姿を消してしまうネコのこと。シュンもそんなネコみたいに姿を消しているのだ、と。そして三人は罠をつくってネコをつかまえることにした。シュンはネコを助けようと決意し、ひと気のない夜中に学校に向かい校舎裏のプラタナスの根元で罠にかかった白いネコをみつけた。そのネコを助けたことがきっかけとなってシュンは大きな事件に巻き込まれていく。 桜若葉小学校には、もうひとつの世界へとつながる入り口があったのだ。入り口を抜けるとそこはサクラワカバ島。自然豊かな緑の島。シュンはそこで不思議な人びとと出会い、こちらの世界とあちらの世界を行き来する大冒険がはじまる。(12月刊、A5判三二〇頁・本体一五〇〇円・偕成社) ■「行ッテ」に込めた賢治の祈り ▼雨ニモマケズ ▼宮沢賢治 作/柚木沙弥郎 絵 宮沢賢治の『雨ニモマケズ』は、イーハトーブを夢見た彼の思想の析出であり哲学、行動指針でした。岩手県花巻市の桜町には、高村光太郎の揮毫による『雨ニモマケズ』の詩碑が立っています。賢治の死後、最初に建てられた碑だそうです。 ここは、賢治が花巻農学校を退職して私塾の羅須地人協会を開設し、農耕生活を始めた場所です。近くに住む農業青年たちに科学や土壌、農民芸術論などを講義したり、音楽鑑賞会を開いたり、農村をまわって稲作や肥料の指導や相談などを行いました。『雨ニモマケズ』に結晶化された言葉が、ここでの活動の中ではぐくまれていったのです。 賢治の言葉の世界を、柚木沙弥郎さんが絵にしています。少ない言葉から湧きあがってくる絵のイメージは、とてもシンプルで力強い色彩と線で描かれています。 巻末には、賢治の弟の宮沢清六の孫にあたる、宮沢和樹さんが解説を寄せています。それによると、『雨ニモマケズ』が書かれたのは昭和六年一一月三日、賢治が亡くなる二年前です。結核で苦しむ中、賢治は手帳に「雨ニモマケズ風ニモマケズ……」という言葉を書きつけたのでした。清六は、「『雨ニモマケズ』は賢さんの作品として書いたのではないよ。あれは祈りだよ」と言ったそうです。 さらに「この作品は後半が大事なんだ」と言って、「東ニ病気ノコドモアレバ行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ……」の「行ッテ」が特に大事だと教えたそうです。法華経を実践する賢治の行動が凝縮されているからです。 そのことを踏まえて絵本を読み返すと、賢治が東西南北に「行ッテ」行動した姿が、詩句と見開きに置かれた絵に形象化されていることを改めて実感するでしょう。(10・15刊、26cm×25cm四〇頁・本体一五〇〇円・三起商行) ■月と海と木と人間と生きものと ▼ゴムの木とクジラ ▼白鳥博康 文/もとやままさこ 絵 この本は「すいせいをのむ」という詩のことばからはじまります。とても冷えた夜のこと、空にはまんまるの月が出ている。はだしで庭をあるくと、ひんやりした感触がつたわってきます。そんなとき、空からさしだされた鉛筆を、ふとにぎりしめてみる。なにを書こうかしら。そんなことを思いつつ、光の下でコーヒーをいれるカップをえらんでいるわたしがいる。 すいせいをのむ、という表現に、読者も彗星への渇きを感じてくるでしょう。そして月が沈み、こんどは太陽がのぼって、光のしずくがふるふるとしたたりおちてきます。頁の上を、そのしずくが流れていくような気配があります。 フランス語、ロシア語、ドイツ語と、さまざまなことばが出てきて、エートル(存在)の理由についての考えを触発することばがちりばめられています。 本書のことばを借りれば、自分の影ではなく死者の存在、感傷ではなくアモールや祈りに気づく。そうして本の題名にもなっている「ゴムの木とクジラ」に至る。「ゴムの木にもたれて 北極の クジラに おもいを はせる」から始まる詩です。ゴムの木の枝をくわえたクジラのカバー・イラストが、本の世界をみごとに表現しています。(8・30刊、四六判一二〇頁・本体三〇〇〇円・銀の鈴社) ■100円をもって商店街へ行こう! ▼100円たんけん ▼中川ひろたか 文/岡本よしろう 絵 保育園の遠足まえに、持っていくおやつは100円まで、と決められていて、おかあさんといっしょにスーパーへ買いに行った経験があるでしょう。この絵本は100円でなにが買えるのかを探る、そんな「100円たんけん」の物語です。 でも、どうして100円?100円ショップに行ったりして、100円で何と交換できるのか、価値や値打ちをしらべてみようと思ったからです。 肉屋さんは量り売りで、豚肉と牛肉をそれぞれ100円分買ってみて、その量のちがいにおどろいた。八百屋さんでは、100円でトマト一個、レモン二個、きゅうり三本、にんじん四本、ピーマン五個をそれぞれ買えることがわかった。ケーキ屋さんでは、1800円のフルーツケーキを100円分切ってくれますか、ときいて「それは、ちょっと」と言われてしまったけど、100円分だとワンホール360度のうち20度だと教えてくれた。それから、商店街にあった100円パーキングでは、100円で車を20分停められることがわかりました。 ものの値打ちって、こんなふうにちがうんだ。100円でじつにいろんなことがわかってくる。これはとても大切な、ものの価値という考え方を教えてくれる「お金絵本」です。(10・21刊、26・7cm×21・6cm三二頁・本体一三〇〇円・くもん出版) ■ご飯どきのきょうりゅうたち ▼きょうりゅうたちのいただきます ▼ジェイン・ヨーレン 文/マーク・ティーグ 絵/なかがわちひろ 訳 人気のきょうりゅうシリーズの最新刊が出ました。きょうりゅうたちは、ごはんをたべるとき、どうするのでしょう。そんな謎をときあかす一冊です。 たとえば、クリオロフォサウルス。ごはんをたべるときも、いつもとおなじようにぺちゃくちゃ、おしゃべりしっぱなし。ホットケーキを焼くママに、こわいかおでにらまれていますが、おかまいなしのようす。 では、プロトケラトプスは? すきなものだけつまんで食べ、きらいなものはテーブルやイスもろとも、なげとばすけはい。見ているパパもびっくり。 ケツァルコアトルスはどうでしょう。みんなが食事している部屋のなかで、おしりをもぞもぞ、あしはぶらぶら、しまいにはイスをガタガタゆすって、とびはねんばかりです。アマルガサウルスは、お皿をわざとひっくりかえし、スーパーサウルスは、お皿をもったママと、ずっとにらめっこする始末。スピノサウルスにいたっては、たべたふりをして、あとでぺっぺとはきだす行儀の悪さです。 「いいえ、きょうりゅうだもの。そんなことはしません」と、絵本はさらにつづきます。きょうりゅうたちのやんちゃぶりがじつに多彩で、ダイナミックでカラフルな絵の魅力の虜になりそうな本です。(10・27刊、31cm×23cm三二頁・本体一四〇〇円・小峰書店) ■清しこの夜に素敵な一冊 ▼クリスマス ▼ヤン・ピエンコフスキー 絵/木原悦子 文 このクリスマス絵本を描いたヤン・ピエンコフスキーは、イギリスの優れた絵本に贈られるケイト・グリーナウェイ賞を二度も受賞した人気の絵本作家です。その絵に木原悦子さんがクリスマスのものがたりを付けました。特色の銀にふちどられた、光と影の芸術世界がページに広がります。ホワイトクリスマスにもふさわしい仕上がりです。 ヘロデ王の時代のこと、神さまが天使ガブリエルをナザレに住む娘マリアのもとにつかわされた。ヨセフと一緒になったマリアはベツレヘムへ移り、そこで産んだ男の子に、お告げどおりイエスと名づけます。飼い葉桶に寝かされたイエスを、森のどうぶつたちが、影絵のようにみつめるすがたはとても魅力的で、カバーにも使われています。 この幼子イエスがたくましく成長し、神のめぐみにつつまれていく。清しこの夜にふさわしい素敵な絵本が、ここに新たに登場しました。(10・15刊、A4変型判二四頁・本体一五〇〇円・日本キリスト教団出版局) |
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