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評者◆杉本真維子
雄島の獣
No.3295 ・ 2017年03月18日




■松島の雄島に入って、岩に囲まれた急な道を登りはじめたのは午後3時半ころで、すでに周囲はうす暗く、これから、随分と無謀なことをするという予感に、身構えた。
 雄島の入り口には悪縁切りの「渡月橋」がある。悪縁とは、すべて自分で感じとれるものなのだろうか。予想もしない関係が、とつぜん切れることだって考えられるのだ。それでもいいか? と一瞬、自分に問われ、こういうとき、いつも怯みつつ、ぜんぶ捨てるように、あっさりと橋を渡る。ひそかな賭け。誰にも知られない一大事。そのわりには、何事もなかったかのように、ただ歩いている。
 これは昨秋の旅のことで、その日私は、東北の暗さをはじめて知った。夕闇は、おそろしいほどおもたくて濃かった。岩間の入り口のところで、頂上からおりてきた観光客から、はやく、はやく、いそいで、いそいで、と声をかけられた。その後も、ふたりくらい、人が下ってきて、すれ違うたび互いに、はやく、いそいで、を言い合った。
 頂上までの途中に、松尾芭蕉の句碑がある。この前で記念撮影をしようとカメラを出していると、背後から、撮りましょか、と大阪弁の女性の声が聞こえた。これもまた、互いに時間がないことへの了解であって、直前まで迫る夜への恐怖が、つぎつぎと他人同士をむすんでは、ほどいた。
 左右から岩がせり出し、頬を擦るような、ざらざらした感触をくぐって、早足で登る。でも、芭蕉の碑を過ぎ、島一番の高台、雲居禅師の座禅堂に着いた頃には、すでに夜になっていた。遠くに浮かぶ大型船が海面を照らし、その反射をうけて、周囲の木々か、自分の手が、ぼんやり見える程度。はやく、いそいで、という言葉は、人間に、ではなく、夜のほうに伝達され、私という人間はすがたをなくした。島ごと闇に隠され、いないもの、となって、よたよたと岩壁をつたって降りた。
 「なにか、穴のようなものが。」
 だんだん目が慣れてきて、ここが、見仏上人が、12年もの間、法華経六万部を読経し、修行していた場所とわかった。海岸一体を見渡せる位置に、ずらっと岩窟が並んでいる。人がひとりかふたり入れるくらいのスペースは、幼いころに雪で作ったかまくらを思い起こさせ、入ってみたい気持ちがよぎったが、これは墓だ、と私のなかのもっとも低い声がリフレインする。穴の横にうっすらと文字が見えたので、これが岩窟に刻まれた卒塔婆なのか、と一文字ずつ携帯電話で照らした。設定が短く、三秒しか光らない。なにをやっているのか、こんなところでひとりで、と焦燥感に駆られはじめたとき、背後のわずかな平地に生える草から、突然、敵意のようなものを感じた。「一刻も早く、ここから、出ていけ。」
 一瞬でも、中へ入ってみようという気を起こしたことが、私の、なぜか性の、軽率さを指摘した。はずかしい。けれども、軽率ではないものへの不信が、鋭い牙をむいた。唐突にも、私は獣だ、という確信に衝かれ、四肢は走り出す準備にうずいていた。
 ぼうぼうに伸びきった草たちが、膝をなで、つぎつぎに身を折って出口へと運ぶように、私を外へと追いだした。小さな岩の門をくぐって、でんでんに坂道を逃げていく。







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