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評者◆稲賀繁美
「横綱相撲」(江口朴郎)と評された或る人文学者の仕事を、膨大な資料から復元する――『島田謹二伝――日本人文学の「横綱」』を読む
No.3331 ・ 2017年12月16日




■ロシアの首都ペテルブルクに派遣されていた日本帝国海軍のある将校が、露海軍高官の令嬢を巡り、恋敵の露人将校から決闘を挑まれる。だが彼は巨漢を見事に捨て身技で投げ、心服を克ち得る――。過日NHKより放映された『坂の上の雲』の一場面をご記憶の読者もあろう。この快男児は、やがて日露戦争の旅順港封鎖作戦を指揮して戦死を遂げ「軍神」と崇められる広瀬武夫。島田謹二(1901‐1993)といっても、もはや知る人は限られよう。だが、この華麗なる武勇伝は、島田の著書『ロシヤにおける広瀬武夫』の叙述に基づく脚色だった。
 島田謹二は敗戦後の日本、とりわけ東京大学の駒場・教養課程でカリスマ的な文学教師として勇名を馳せた。戦前・戦中は台湾帝大や台北高校で教鞭をとり、李登輝はシマキンからカーライルの『衣装哲学』を習ったことを終生の徳に数える。この華麗島総統と親交を結んだ司馬遼太郎もまた、島田の学藝の並外れた膂力に讃嘆を隠さず、両者肝胆相照らす仲であった。あれは20世紀も70年代末、比較文学会の関西大会で「シマダでございます」(マにアクセントが置かれた)と挨拶する白髪の老人に、司馬が壇上から立ち上がり「ハハー」と答礼した場面を、筆者は鮮明に記憶している。
 晩年に至ってもシマダ節は驚嘆すべき喚起力を保持し続けた。1990年に89歳で上下2段組2冊本の大著『ロシヤ戦争前夜の秋山真之』を刊行し、菊池寛賞を受賞した島田は、92年に川本皓嗣氏の出版記念会で講評を披露した。そこで「90を超えたら、もう書いてはならんのですか。私はもっと書き続けたい」と咆哮して満場の喝采を浴びた島田は、同年91歳の高齢に及んで、文化功労者に顕彰された。
 若輩者から見れば並外れた「スーパー爺ちゃん」だったが、その実人生が波乱と苦渋に満ちた火宅の生涯だったことは、長女・齋藤信子氏の『筏かづらの家――父・島田謹二の思ひ出』に赤裸々に綴られている。小林信行氏の『島田謹二伝』はこの怪物学者に薫陶され私淑した著者が、遺された資料を博捜して築いた労作。上下2段五百頁に達する大著だが、行間から立ち昇る島田のデモーニッシュなまでの学問人生の精進に圧倒され、一気に読まされる。「シマダ熱」に感染した多士済々の膨大なる証言群が、高密度の熱気を噴出してくるのだから。
 敗戦後は忌避された軍神・広瀬だが、その膨大な書簡が1960年、広瀬神社から発見される。現地・竹田に急行した島田は、電光石火の早業で書簡を年代順に整理したという。広瀬中佐の恋を発掘したのは大殊勲だったが、冒頭にふれた広瀬の武勇伝にも、島田が三船久蔵を講道館に訪ねた折りの経験が投影されている。弟子筋の平川祐弘は、広瀬の恋人アリアヅナの肖像写真を誤認した島田が、遂に終生、敢えて訂正を施さなかった事実も暴露している(『書物の声 歴史の声』勉誠出版、2017年、117頁)。
 学匠詩人の才筆を堪能しつつも、講談調に潜む潤色を腑分けする見識が、島田謹二を安易に伝説へと祭り上げる誘惑に対する防波堤となる。評伝の意義もそこにあろう。「軍神」に神格化された広瀬武夫や、日本海海戦の作戦参謀・秋山真之の虚像を現実等身大の寸法に奪回・復元し、軍人たちの人間性に文学の神髄のみならず外交文化交渉史の表裏の機微をも浮かび上がらせたところに、島田謹二の業績の核心もあったのだから。
*小林信行著『島田謹二伝――日本人文学の「横綱」』(ミネルヴァ書房、2017年7月25日刊)







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