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評者◆平井倫行
過ぎ来た時のはなし――音楽狂言『寿来爺』(@梅若能楽学院会館、2017年12月1日)から
No.3334 ・ 2018年01月13日




■深々とした寒さが着込んだコートに沁み込み、冬枯れの風が世の寂しさを全身に押し付けてくるような、そんな夜であった。
 時計というものを着けなくなって随分経つが、毎年この季節、道を行く人々はどこか気ぜわしげに映る。
 だからといってどうということもない。
 ただ、目の前を人が通り過ぎていくというだけの話だ。
 この街に呼吸する、これほど多くの人間の中で、一体幾人が自分の人生にとり意味のある言葉を語り、また時に意味のない行為として関与する「人物」たり得よう。
 ところで、人はしばしばこのような仕方で、己の心中に対する感想を物語や小説に擬すが、そこにある「手法」としての必然性が存在するとしたら、それは時間が生の流れに対し何がしか筋だったものを与えている、という印象から生じるところの連想であろう。
 時間が人の生を「文脈」とし、そして時間が人の生を「物語」とする。
 だがしかし、時間は永遠ではない。
 人はそれを知っているからこそ、どうしても自分に残された余白の数を気にし、またあるいは、その残された字数において、己が「あと何を」「どれだけ」記すことが出来るのかを気にするのであろう。
 十二月一日、梅若能楽学院会館で開催された音楽狂言『寿来爺』は、そのことの意味の多くを、実に考えさせる舞台であった。
 十九世紀英国の作家・ディケンズの小説『クリスマス・キャロル』を日本へと置き換えたこの舞台は、平成二十七年に初演されて以来、本公演が国内第三回目とのことである。
 現代音楽家のワルター・ギーガーによって、本来原作に基づく無声劇用の楽曲として制作されながらも、その構成の緻密さと演出上の困難さから長らく、しかるべき形式を見出されなかった不遇の音源が、奇妙なめぐり合わせから日本のオペラ研究者・長屋晃一による脚本、狂言師・善竹十郎、善竹大二郎による出演、音楽家の河村典子、大田智美、白土文雄による演奏のもと舞台芸術として昇華をみたのは、事実小さな偶然と出会いの数々によって紡がれた、一つの奇跡のようなものであった。
 ちなみに、題名の由来となったのは原作中の主人公、スクルージに倣った宛字である。
 因業者の老守銭奴が降誕祭前日の夜、「過去」「現在」「未来」の亡霊に導かれることで己の人生を省み、同情や憐れみの心に目覚めるという、このあまりにも有名な作品の持つ技法上のテーマとは何か。それは、時制の三相をあらわす精霊に端的に象徴されるごとく「時間」である。
 いうまでもなく、因縁、因果、それ自体を作品構造へと取り込んだ本作とは、実は巧妙な仕方でその描くべき主題そのものを物語の形式へと転化した、一個の「物語について語る物語」であった。それはいうなれば、スクルージという一人の人間の人生の「序盤」「中盤」「終盤」になぞらえた出来事の展開に対し、あくまでも老人と死という「終盤」から、「主人公とはどのようにして主人公たるべきか」を説くための、一種の技巧的逆説であったといってもよいであろう。
 とはいえ、本公演の興味深さとはしかし、このような原作に対する冗長な分析を促すゆえのものでは、無論あるまい。むしろ、それはこの舞台が原作をより自然な形で、日本の芸能の「型」や「言葉」に当て嵌めたことによって生ぜられた感覚の異化が、「災い転じて福となす」という和洋に通ずる物語の典型を、実に明瞭な仕方で我々に「見せた」結果というべきである。
 亡霊や人ならざるものの「訪問」により進行される悔悟譚、『クリスマス・キャロル』が一面で有す作品としての特質とは、まさにこの点に存すが、一方我が国の伝承構造においても、人の生の吉凶を左右する存在は多く「来訪する神」として、疫神と両義的な関係を取り結ぶものと観念された。この場合重要なのは「対話」であって、訪れた存在の性質にかかわらず、それに対し誠実かつ謙虚に向き合うことが、物語を団円へと導く不可欠の条件とされたのは、極めて意義深いことであったろう。
 何故ならば、こうした認識の根底に存在する価値とは、登場人物は登場人物自身の意志によって物語を変更することが出来る、という、明快かつ強固なヒューマニズムに、他ならなかった筈だからである。

 「みどもははや死にたるか。いや、生きておる。ありがたい」

 演目の末尾、寿来爺はこのように言って改心する。
 老人の突然の変貌は周囲の者にとり、あるいは奇異なものとして映ったかもしれない。
 人は己の背後に、様々なものを記述しながら生きている生き物だからである。
 それが時に、人生や過去が、「物語としての刺青」に結び付けられる事由であろう。
 だが例え、その変貌が奇異なるものであったとして、彼が生き方を変えたことによって救われた誰かがいたのならば、その変化は意味のある変化であった。
 そう「述べて」よいであろう。
 どう生きてきたかではなく、どう生きるべきなのか。
 そのことに気づくために人は人と出会い、またなればこそ、人は常に変わることが許されるからである。
(刺青研究)







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