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評者◆平井倫行
たとえば、嵐のように――「第4回 日本画の位相3+2」展(@日本橋髙島屋6階美術画廊、6月27日~7月3日)
京都絵美《滌》の傍らにおいてギャラリートークを聞く No.3365 ・ 2018年09月01日
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■あるいは夢を見ていたのかもしれない。
数週間ほど前の話であるが、所用のため群馬県安中市へと足を運ぶ契機があり、その際、世界遺産にも登録されている富岡製糸場の付近を、たまたま立ち寄る機会に恵まれた。 良質な絹糸の大量生産技術によって、日本の近代化期における貿易を支えたという土地柄を反映してか、当地はまた養蚕や、それに伴う蚕神信仰の痕跡の多く伝えられる一帯でもあって、現在でもそこかしこに絹笠明神や蚕神碑といった、往時殖産興業によって繁栄した地域性の、根深い印象が残されている。 海外に対する交易品として、明治政府は国内における養蚕業を大いに奨励し、ある時期生糸は国外輸出の、実に八十パーセントを占めるにも及んだが、しかし現在、養蚕農家は減少の一途を辿る状況にあるという。 かつて一面に広がっていたという桑畑も、今はほとんど見られない。 歴史的需用、時期的な隆盛の最中において人は多く、その「永続性」について疑念を差し挟むことに対しては後ろ向きである。いわばその種の変遷とは、要請そのものの時代的な興隆に、強く基づいているのであり、かくのごとき「時期限定的な」価値とはまた多く、それらが要請するところの「状況」に属すことによってこそ、多く意味を醸成される。それは、あえていえばことさらに普遍的な価値や恒久な理論に担保されるもの、と思われがちな美術や芸術にも、また等しく通じる構造に他ならなかったであろう。 七月頭、東京日本橋の髙島屋6階美術画廊において開催された展示と、ために設けられた座談会には、およそこうしたテーマと切り離して論じることの出来ない、深刻な意義が存在していたように思われる。 本展覧会は、現代日本を代表する芸術家である岡村柱三郎、北田克己、間島秀徳を中心に、毎年数名の作家を招待して行われているもので、今回は他に堀木勝富(当日欠席)、京都絵美の二人の画家が加えられる形で構成された、ごく小規模な展示である。 一日午後、評論家の宮田徹也の司会により進行されたギャラリートークにおいては、今日まで我々が「当たり前」と信じてきた近代的な意味での美術、ないしは美術業界という概念や枠組みそのものが、世界的な規模で大きな変革に直面している現状に対する、各作家間の活発な意見交換が果たされ、そうした中でも特に京都の表明した危機感とは、現実の物質性から、日本画の重要な表現領域を支持している「絹本」の置かれている困難な状況を、徹底的に「素材」および「用具」の存続の問題として語ることに終始した、という意味で極めて具体的なもので、それは、長く修復保存の研究に携わり、古画を通した絹との出会いが画家としての転機となったと語る作家ならではの、極めてリアリティに富んだ姿勢であったように思われる。 当日会場に出展された、同氏制作の《滌》なる作品画中、透き通った青い薄衣に身を包んだ女性はどこか、幽霊画を彷彿とさせる陰翳を纏いながらも、懐かしく清らかな印象を湛えていた。 弥生時代に始まるとされる我国の養蚕史において、しかしその産業としての勃興は、あくまでも近代的な事情に基づき、またそれにならう形で急速に発展・普及した、民間におけるところのいわゆる蚕神信仰とは、その意味多く流行神的な要素の強い、ほぼ一世紀間に隆昌没落した、一過性の現象に過ぎなかった。 蚕の一生は約五十日とされ、その短い刻の狭間に四回もの脱皮を繰り返し、繭を作り、そして成虫となって、次代の子を産み残す。こうした特殊な生態と、その吐き出す絹糸の美しさから、人は蚕に対し特別な霊性や、神秘的な力を感受したのであろう。 我々が現在「自明のもの」と信ずる世界が、連綿と紡ぎ出される長い歴史性の内側において生じた、本当に僅かな期間、局地的に許容された特殊な状況でないと、誰が保証しうるであろうか。 近代美術のみならず、人は己の置かれた現実を実感として、歴史に相対化する術を持たない。 いつまでも今こそが続けばよい、今日の次が今日であればよい、と、人はしばしばその「常なるを」願うが、永遠に続くかもしれないものがあるとしたら、むしろその想定こそが夢うつつのまにまに漂う、朦朧としたものに他なるまい。 絹の美しさとは、まさしくそうしたごく限定された時の流れの中で、一つの「個」が自らの役割を全うしつつ、後に続く世代へと生を繋ぐことで織りなしていく「継承」される魂の輝きであり、それはある種、刺青芸術にも比せられる「儚さ」や「一回性」の論理に通じながらも、しかしその実かような「点」的価値に明確に対蹠された、生物の「線」的調和の在り様といいえよう。 昭和六十二年、日本初の官営製糸工場として建設された富岡製糸場は惜しまれつつも、その操業を停止した。 日差しの下に佇む蚕神碑は、今日における伝統美術の立つ複雑な位相を、静かに問い掛けているように思われる。 (刺青研究) |
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