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評者◆睡蓮みどり
お別れが寂しいだなんて言ってしまう前に――マーク・フォースター監督『プーと大人になった僕』
No.3367 ・ 2018年09月15日




■お別れするのはいつだって寂しい。永遠に続く時間なんてないことなどとっくに知っているのに、さよならをしなければならない時がやってきて、わかっていたのにやっぱり寂しい気持ちになる。涙が溢れ出して、目が腫れる。何もしたくなくなる。さよならと言うのも、言われるのも、どんな理由でも、心躍るなんてことはなく、ただただその決定的な瞬間をできるだけ先延ばししたいと思うのだけれども、タイムオーバー。時間が勝手にやってきて、うだうだするのを許してはくれない。それで、別れの時はあんなにわんわん泣いたのに、やがていないことに慣れてしまったり忘れたり、薄情なもの。「僕のことずっと忘れないでね」と言ったはずなのに、日々の忙しさに紛れてすっかり忘れてしまう。
 ところで、寄宿学校に入って、大人になって、恋をして、家族ができて、妻と娘のために会社であくせく働くクリストファー・ロビン(ユアン・マクレガー)は、いつ、どこで、都会で仕事に忙殺されるごく普通の大人になってしまったのだろう。「何もしないことをする」をできなくなったあの日から、彼は徐々に、いつの間にか変わってしまったのだろうか。少なくともディズニーのアニメーション映画で、あるいは原作で読んだクリストファー・ロビン少年の姿からは、こういう大人になっているとはちょっと想像し難かった。100エイカーの森でプーと愉快な仲間たちと過ごしていた少年時代の彼は、いつもちょっとまぬけなところがある仲間たちから頼られる存在だった。冷静な穏やかさのある少年だった。おっちょこちょいな動物たちを愛おしむ眼差しを向けて、何よりも、彼自身の信じる心が映し出した世界がその目に見える少年だったはず。100エイカーの森は誰にでも見えるものではない。
 一方、森でクリストファー・ロビンのことを約束どおり忘れることなく、今でも日々「何もしないことをする」を実践するプーが、ひょんなことからロンドンの街中に現れたのを、自分が仕事の多忙によりおかしくなってしまったのだと思うのは、オトナの感覚をすっかり身に備えてしまったクリストファー・ロビンの反応としては何ら矛盾しないものの、かつて親しみを込めて「プーのおばかさん」と語りかけていたはずが、「脳みそが小さくてイラつかせる奴」に変わってしまったのはやはりちょっと悲しい。大人になって姿が変わったクリストファー・ロビンを見ても、プーはすぐに彼だとわかるのに。ロンドンの街中から100エイカーの森まで時空を超えていっても、クリストファー・ロビンの頭から仕事のことが離れることはない。かつての夢見る心優しい少年は現実主義者となり、必死に仕事の難題をこなそうとする。失われかけていた本当に大切なものを気づかせてくれる、というテーマはディズニー映画らしいハッピーエンドへの布石かもしれないが、この作品がアニメーションではなく実写であるということが、非常に意義深いと気づかされる。アニメーションの中でお茶目な顔をしていたはずの「プーのおばかさん」は、目の笑っていないクマのぬいぐるみだった。止まった永遠の時間を生きているプーが本当は無表情だったということに、子供の頃の私は少なくとも気づいていなかった。
 クリストファー・ロビンがいない。そのことは森の仲間たちにとっていつだって大騒ぎすることだった。学校に行っただけで,午後には戻ってくるのに、騒ぎ立てて旅に出てしまう。彼らはいつだってクリストファー・ロビンを探している。100エイカーの森では時間が過ぎてゆかない。「僕が100歳になったら、君は99歳」のはずが、カンガルーの子供ルーは何十年経っても子供のままだったし、陰気なロバのイーヨーも、小さくて怖がりのピグレットも、働き者のラビットも、歌が大好きなお調子者のティガーも、物知りなオウルもそのままだった。森の中から現実の世界へと冒険する彼らは「バケモノ」扱いされているが、どうやら心の中の空想上の生き物ではなく、誰の目にも見えているらしい。あれ? 寂しげな少年の心が映し出した空想じゃなかったの?
 私は知らなかった。子供向けの架空のお話ではなく、100エイカーの森が現実の延長にあることを。いや、100エイカーの森の延長に現実があるのだろうか。確かにこの物語は家族の絆の物語、でもある。プーはクリストファー・ロビンの妻と娘との和解を傍らで見ながら、無表情な目でじっと見つめている。プーにとっては赤い風船がいつもそうであるように、大切なものは大切で、失われることもなければ、忘れてしまうこともない。私たちは、失ったものを取り戻そうとしたり、失いかけたものの大切さに気づかされたりすることにたやすく感動してしまう。でもプーにとっては、それは日常的なことで、わざわざ感動するほどのことではない。少なくとも目はそうは語っていない。家族とともに再び森にやってきたクリストファー・ロビンは、忘れかけていた大切なものの存在に気づき、きっと胸が震えているだろう。それでもまた、時間の流れとともに忘れかけてしまうかもしれない。『ピーター・パン2 ネバーランドの秘密』(2002)でウェンディの子供たちがネバーランドへ行ったように、クリストファー・ロビンの娘マデリンに受け継がれもした。プーもその仲間たちも、彼らはお別れの意味がわからない。だから彼らは、クリストファー・ロビンたちが現実の世界に戻ったあと、いつものようにまたクリストファー・ロビンを探してしまうだろう。お別れが寂しいだなんて言ってしまう前に。
(女優・文筆業)







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