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評者◆平井倫行
夢に憑かれて――「文豪・泉鏡花×球体関節人形」展(@弥生美術館、7月1日~9月24日)――和僧は真個にお優しい。『高野聖』
No.3368 ・ 2018年09月22日
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■弥生美術館のある本郷七丁目と弥生二丁目の境をぬう道はかつて「暗闇坂」と呼称された、長く寂しい通りである。
同館にて現在開催中の泉鏡花と人形にまつわる展示を取材するために、久方ぶりに根津界隈を歩いていたおり、ここには以前、母と共にある恩人を訪ねた日のあったことを、ふと思い出した。 耽美幻想作家として、好んで怪奇趣味を表明した鏡花(本名‥鏡太郎)は、明治六年に金沢に生まれ、小説・戯曲を含め生涯、約三百あま りもの作品を発表したが、その作風は近代文学においてはいささか異質な、幽霊や妖怪といった、非現実的な主題を特に設定したもので、なかでも「異界に通じる魔性の女」は、鏡花文学に欠かすことの出来ぬ存在として、今回、ことにそうした世界観におけるヒロインを、人形を通して表現するを企図した展覧会では、現代の人形師として国内外に大きな影響を与え続けている吉田良および、その主宰するドールスペース・ピグマリオンの門下生による、鏡花作品から想を受けた数々の魅力的な制作が、ところ狭しと展示されていた。 時に「不気味」とも、あるいは「無垢」とも感受される人形であるが、それは、人形が他ならぬ「人の姿」を模したものであり、またしばしば「人間よりも人間らしい存在」としてそこに在り得るという、恐らくは信仰以前の感情に基づいた、原初的な反応なのであろう。 鏡花作品に登場する人物像にも、まさしくそうした人形に通じる「存在の純粋性」は結晶されていて、わけてもその「女性」像は、いずれもが人ならざる印象を感じさせたり、あるいは正体定かならぬ謎として、そこには「人間よりも人間らしい人間でないもの」という、極めてパラドキシカルかつ倫理的緊張を孕んだ、作家自身の疑義が通底していたように思われる。 鏡花の筆業は明治以降、国策としての近代化が推し進められた時代の興隆と重なり、往昔、あらゆる面で後進的、かつ非近代的なものが乗り越えられようとしていた最中、鏡花の文体は字義どおり、時代に逆行する、古風で難解なものと受け取られがちであった。 師・尾崎紅葉による「鏡花」の筆名は、「美しいけれども手の届かないもの、儚い幻」を意味する「鏡花水月」に由来するとされ、美しさ、そして生成の無垢という点において、現実世界の醜悪や人間の愚劣、欲望を率直に描くことがいわゆる「文学における近代性」の一つのあり方であったとしたならば、しかし鏡花はそうした意味での「自然」の先鋭を前に、今や無用のものと化しつつある「不自然」なまでの美麗や、超常の論理を主張した。 「お化は私の感情の具体化だ」 かく述べた鏡花にとって、美とはただ無邪気に存在するものであり、またその種の無垢とは何としても守られねばならぬものであったとして、そこでいうところの「無垢」とはしかし、ほとんどが通俗的な意味での人間性とはおよそ無縁な、純度の高い情感、生も死も、またあえていえばそれが現実であるか虚構であるかさえも、無意味で無価値といった呈のものである。 「悪と慈悲、美と怪異とがだんだら模様に入りまじり、『あれかこれか』のカテゴリックな世界認識とは別種の『一種微妙な中間の世界』」、種村季弘は鏡花の代表作『草迷宮』の作品風土をこのように評し、それを一言に「胎児のたそがれ時のような無垢」と指摘したが、これはむしろ、その文学性全体を支持するものといって、決して言い過ぎではないであろう。 会場中展示された《天守物語、富姫》が鷲掴みにした生首は、鏡花自身の首であって、「化物の無垢」とは、だから、常にそうしたものである。 母の死よりほどなく、父親と参詣した行善寺でみた摩耶夫人像にその似姿を認めた鏡花は、後に同像を制作して貰い、それを書斎に飾って熱心に信仰したとされる。 幼き頃、誰しもみな心地よい夕闇の微睡みの中で、よく見えぬ母の顔に対する不安を、甘やかな歌声に補いつつ過ごした一日があったのではないであろうか。 鏡花の描き出そうとした世界とは、まさにそうした過ぎ去りし人や死者が顕れると信じられた「黄昏時(誰彼時)」「逢魔時」であり、それは昼と夜の境に存在する刹那、光でも闇でもない、影が実在化する時間であった。 そこには、懐かしき人どもの面影が浮かび、かつ重ねられ、また故にこそ時に恐ろしきものや、魔の印象が差し込んだのであろう。 松田修はかつてその『日本刺青論』において、鏡花が「刺青するかわり」に愛用したという「腕まもり」に関するエピソードを紹介しながら、そうした小さきもの、か弱きものに対する愛しみと、それらを強きものとの関係において構図させる、図式の逆転を指摘したが、かくのごとき鏡花の態度はむしろ、意識的に反近代的な姿勢として、また極めて屈折した「反骨の様態」であったといいえよう。 昭和十四年九月七日、泉鏡花は肺腫瘍のため死亡した。 享年六十五歳。 帰路、暗闇坂の夕暮にかかる月は、白露を餌に釣る秋草のごとく、目に涼やかに思われる。 (刺青研究) |
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