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評者◆中村隆之
文学の不平等構造を論じたカザノヴァの『世界文学空間』――唯一無二と言える本書が改めて読まれることを願いたい
世界文学空間――文学資本と文学革命
パスカル・カザノヴァ著、岩切正一郎訳
No.3374 ・ 2018年11月10日
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■本年9月29日、フランスの文芸批評家パスカル・カザノヴァが59歳で亡くなった。彼女の代表作『世界文学空間』は、ピエール・ブルデューを主査とする1997年の博士論文に基づいている。99年の出版後、フランスの文学者協会評論大賞を受賞し、スペイン語、ポルトガル語、英語などに翻訳された。本書は、岩切氏の見事な訳業により2002年に早くも藤原書店より刊行されている。
『世界文学空間』は、ヨーロッパ、とくにパリを中心とする「世界文学の構造」の形成とその効果を論じた書だ。カザノヴァは、アンダーソンの『想像の共同体』に依拠しつつ、文学が根本的に言語現象であることから、世界文学空間の生成の発端に、ラテン語に対する「俗語」の闘争を見る。 周知のとおりフランス語、イタリア語、スペイン語といった諸言語は口語ラテン語から派生した「俗語」である。教養の言語の地位を長らく独占してきた書記ラテン語に対して「俗語」の権威化を最初にはかり、これに成功したのはフランス語であり、その嚆矢はデュ・ベレーの『フランス語の擁護と顕揚』(1549)だった。 この後、フランス語がヨーロッパにおける言語的覇権を握る時期が長く続くものの、18世紀末から19世紀にかけて世界文学空間の第二段階に入ってゆく。この時期に起きたのは、カザノヴァの言うところの「ヘルダー革命」(アンダーソンの「言語学・辞書編纂革命」に対応)であり、『言語起源論』などで知られるヘルダーの理論によって言語と国民が一致するという言語ナショナリズムの発想が生まれ、「国民文学」が形成されてゆく。 世界文学空間の第三段階は、第二次世界大戦後、脱植民地化の過程において顕著に示される。つまり新興独立諸国が自国の文学を形成する過程は、19世紀ヨーロッパの「ヘルダー革命」の延長線上にあるということである。 以上は想像の共同体論を踏まえたうえに、フランス語の共和主義にたいするドイツ型言語ナショナリズムの勝利というフィンケルクロートの『思考の敗北』の議論をも彷彿とさせる史的段階論である。しかし本書の本領は、筆者の見るところ、第二次世界大戦後に国際的な世界文学空間が確立したことから生じる文学の不平等構造を論じたところにある。 カザノヴァによれば、ヨーロッパの文学空間は、古い言語的・文学的蓄積を有している。この言語的・文学的蓄積のことを、ブルデューの文化資本を応用して「文学資本」と呼ぶ。ヨーロッパは文学資本の蓄積を有する一方、ヨーロッパ以外の新興独立諸国では文学資本を欠いている。そもそも有力なヨーロッパ諸言語以外の言語の場合には、この国際的世界文学空間に参入することが難しい。また宗主国の言語で文学活動をおこなう旧植民地のフランス語作家は、フランス本土のフランス語作家よりも文学資本の活用において最初から不利である。すなわち、国際的な世界文学空間は、最初から中心と周辺の関係を前提とする不平等構造(ウォーラーステイン)をそなえて確立した、ということであり、この世界文学システムの成り立ちは、植民地主義や帝国主義に代表されるヨーロッパによる「世界」支配を背景にしてきた。 ところが、この不平等構造はこれまで明確な仕方で提示されないままできた。なぜか。それは、カザノヴァによれば、パリが20世紀において国民文学の単位を超えた、一種の普遍主義的な文学場として機能してきたことに関わっている。文学資本が十分に蓄積される場所では文学はあたかも自律的な空間のように存在するようになるのだが、その特権的な国際舞台がパリなのだという。自律的な空間を形成した文学は、もともとの政治的起源を隠蔽し、最初から普遍的なものであったかのような姿で立ち現れる。こうした文学空間の自律化にともなう普遍主義化が、世界文学空間の構造的不平等を隠蔽することを可能にしてきた。こうして英語やフランス語といった有力言語の文化資本の蓄積を背景に書かれる首都/本国の文学作品は、他地域の文学作品よりも基本的には優れたものとして、聖別化されてきたのである。 カザノヴァは、上記の見取り図のもと、この世界文学空間に参入する植民地出身やマイナー言語の作家たちの側の、小さな文学の闘いに焦点を当てる。なかでも彼女が着目するのは、英語やフランス語といった大言語の文学資本をみずから領有する作家たちだ。つねに有力言語が勝ちつづけるこの不平等な世界文学空間のなかで唯一亀裂を入れることのできる作家たちの抵抗と戦略は、大言語の文学資本を活用しつつ、その大言語のうちで独自の文学言語を発明することなのだ。ベケット研究を出発点とするカザノヴァらしい考え方だ。 カザノヴァの世界文学論は、アジアや中東地域の文学状況を必ずしも考慮したものでないため、理論的汎用性はヨーロッパとその(旧)植民地に限られているように思える。またフランス中心主義的な理論だという批判も当初から出ていた。しかし当人も繰り返し強調してきたように、本書は万能な理論を目指したものではなく、あくまでもひとつの見取り図の提示である。重要であるのは、本書をうまく利用し、そのアイデアを活用することであり、その過不足や偏向をこぞって批判することではない。 カザノヴァは本書のほかに3冊の著書を遺した。『抽象者ベケット』(97)、『怒れるカフカ』(11)、そして本書の問題意識の延長にある『世界言語』(15)である。彼女への追悼文を読んで知ったが、カフカ論や言語論を書いていた時期は不治の病に冒されていたという。 また、意外なことにカザノヴァはデューク大学で三年間客員教授を務めたものの、正規のアカデミックポストに就く機会はついに訪れなかったようだ。その理由はわからないが、後続の育成という観点からすると、あまりに惜しいことだった。 唯一無二と言える本書が改めて読まれることを願いたい。 (フランス文学) |
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