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評者◆松本卓也
フロイトに学ぶ反差別運動――マイノリティの文化を理解することなしに形式的な「差別撤廃」が普遍的な法として定められることによって、差別が温存されてしまうのではないか
No.3175 ・ 2014年09月20日




■1938年はフロイトにとって激動の年であった。3月にナチス・ドイツがオーストリアを併合すると、ユダヤ人であったフロイトの自宅は当局の弾圧にさらされ、娘アンナはゲシュタポに逮捕されてしまう。そしてフロイトは6月にロンドンへの亡命を果たす。ようやく腰を落ち着けることができた11月に、フロイトは一篇の短い雑誌記事を執筆している。それは、「反ユダヤ主義にひとこと」と題された、わずか数頁ではあるが非常に印象深い記事である(『フロイト全集』22巻所収、岩波書店)。その記事のなかでフロイトは、ユダヤ人迫害に関して当時書かれた論説のなかで特に興味を引かれたものを紹介し、それを賞賛している(とはいっても、実のところこれはフロイト自身による創作であるようだ)。以下は、フロイトが引用するその論説の要約である。
 「反ユダヤ主義に対する抵抗運動は、主として2つの方向から起こってきた。キリスト教会からのものと、ヒューマニズムの見地からのものである。しかし、この2つの反差別運動には、ともに何かが欠けている。それは、これら2つの反差別運動が、「実のところ私もユダヤ人を好まないし、実際に私たちにとってユダヤ人の活動はひどく有害である。しかしながら、すべての人間を平等に扱うというキリスト教の(ヒューマニズムの)原則からして、それでも彼らユダヤ人に対する迫害に抵抗しなければいけない」という論理によって駆動されているからである。しかし、このような論理に駆動されることのないオルタナティヴな反差別運動が存在しうる。それは、私たちが何世紀にもわたってユダヤの民を不当に取り扱ってきたこと、そして、実のところ彼らユダヤ人は科学や芸術などの領域で尊い寄与を与えてくれたこと、等々の真理を告白する「真理の宗教」による反差別運動である。このような抵抗運動なしには、反ユダヤ主義に対する私たちの義務は果たされない」。
 本邦における現代のレイシズムの問題は、このフロイトが紹介する論説の枠内を一歩も踏み出ていない。たしかに、在日韓国・朝鮮人に対するレイシズムに抵抗する運動は起こった(筆者もそれに少なからず参加してきた)。しかし、レイシズムに反対する理由が「人権」や「平等」といったリベラルで普遍的な価値観だけでしかないのならば、「私たちにとって韓国・朝鮮人の活動はひどく有害であるが、それでも人権や平等の観点からして、彼ら韓国・朝鮮人に対するレイシズムに抵抗しなければならない」という論理が幅を利かせる余地が残りつづけてしまう。この論理は、いっけん差別に反対しているようにみえて、彼らの活動を「ひどく有害」だとみなす差別的な眼差しを温存してしまうだろう。このような運動は、行為の上では反差別的でありながらも、認知の上では差別的である(これが、ジジェクによるイデオロギーの定義でもあることを想起せよ)。それはまた新たなレイシズムを生み出し、差別の連鎖は永遠に続いていくことだろう。「レイシズム」や「ヘイトスピーチ」というカタカナ語の使用は、明治以降の国民国家の誕生期において本邦が植民地に対してとった差別的処遇というきわめて具体的な問題を、他ならぬ英語であらわされるような普遍的な問題へと形式化し、その問題の具体性を見ないですますための装置になってはいないだろうか? 私たちはそのことに常に注意しておかなければならない。
 今年7月、いわゆる「京都朝鮮学校襲撃事件」に関する民事訴訟の高裁判決が出た。その判決は、国連の人種差別撤廃条約に照らして在特会らのヘイトスピーチ・デモを違法行為とする画期的な地裁判決を継承するものであったため、在特会らの活動に反対する人々によって好意的に迎えられた。ある者は、それは司法の勝利であり、国連条約という普遍的な価値観の勝利であると述べた。しかし、中村一成による『ルポ 京都朝鮮学校襲撃事件――〈ヘイトクライム〉に抗して』(岩波書店)を読むと、現実はそれほど単純なものではなかったことが分かる。在特会らの襲撃を受けた朝鮮学校の側は、これまで司法の側から権利を剥奪されつづけてきた立場にあり、そもそも司法が自分たちを守ってくれるなどということを彼らはまったく信じていなかったのである。ここには、法を前にした圧倒的な非対称性がある。この高裁判決を根拠に「文句があるなら法廷で闘え」と被抑圧者の側に詰め寄るようなことはあってはならないだろう。超党派の議員によって現在すすめられている人種差別撤廃基本法案に筆者が一抹の不安を感じるのは、現にある差別的処遇が改善されることなしに在特会のような目立つ差別だけが問題にされ、マイノリティの文化を理解することなしに形式的な「差別撤廃」が普遍的な法として定められることによって、やはり差別が温存されてしまうのではないかと危惧するからである。
(自治医科大学精神医学教室/精神病理学)







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