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評者◆睡蓮みどり
青春映画の傑作と、生命への敬意に満ちた映画――イ・チャンドン監督『バーニング 劇場版』、照屋年之監督『洗骨』
No.3386 ・ 2019年02月09日




■中学生の頃、村上春樹にハマった時期があった。人生で初めてデートした男の子に勧められたという単純な理由で、その子とはあっという間に疎遠になったが、本だけは手元に残った。大学に入ってみるとアンチ春樹が多すぎて、その影響を受けてか「ハマった時期がある」とさえ言いにくくなったし、いつの間にか「別に特に好きじゃない」なんて平気で言うようになった。映画化された作品は少ないが、ATG作品で大森一樹監督の『風の歌を聴け』(1981年)はおそらく原作よりも好きだ。若き日の小林薫もいいが、鼠役を演じたヒカシューの巻上公一が最高にはまり役でいい。小説を読んでいるときは、ジェイズバーのジェイは年配の女性だと思い込んでいて、劇中で坂田明がジェイだったのには驚いた。『ノルウェイの森』(トラン・アン・ユン監督、2010年)も映画化されたけど、何だかヒロインの直子と緑のイメージが自分のなかで違いすぎて、あまりのめり込めなかった。
 イ・チャンドン監督の『バーニング 劇場版』は村上春樹の短編小説『納屋を焼く』が原作である。時代背景を現代の韓国に変更して、キャストも韓国の俳優が演じている。小説では、小説家の主人公「僕」は、作家志望の冴えない学生ジョンス(ユ・アイン)に変更されていて、結婚パーティーで出会ったひとまわり年下の「彼女」は幼馴染のヘミ(チョン・ジョンソ)ということになっている。顕著なのは主人公の圧倒的な弱者性だろう。ジョンスはアルバイト暮らしで、まだ何者でもなく、父親は傷害事件から裁判中で、かつて出ていった母親とは久しぶりに再会するものの、借金を抱えている。ヘミがアフリカ旅行に行く間に猫の世話を頼まれ、恋人関係にならないまま肉体関係を持つが、アフリカから帰ってきたヘミはオシャレで遊んで暮らしている“ギャツビーな男”ベン(スティーブン・ユァン)と当たり前のように一緒にいる。ハイソサエティな暮らしをしているが胸の内が読めない男だ。煮え切らない三角関係は青春映画の王道だが、甘酸っぱくほろ苦いどころか、息苦しくなるほどに静かに確実に嫉妬心に燃え上がって、いつの間にか消すことができなくなっている。
 小説同様に、ジョンスの家の近くのビニールハウスを焼くとベンは宣言し、ジョンスは近所のビニールハウスを日々見て回るが焼かれた気配がない。その頃ヘミとも連絡が取れなくなる。いつも家の掃除もまともにしない彼女の部屋は整理整頓され、もともと姿を見せなかった猫は気配さえも消してしまう。物語は淡々としているようで、ヘミの失踪からベンへの疑いの念が日に日に増していくジョンスの心情に合わせて、ラストに向けて不穏な空気が走り、チリチリと火花を散らしていく。原作にはほとんど見られない嫉妬心、弱さ、貧しさ、蔓延する負の感情とヘミへの加速する愛情が、ジョンスを別の人間に変えてしまうのだ。そう、この作品のなかで変わっていくのはジョンスだけなのだ。表面的にはヘミはベンの豊かさに惹かれていったかに見えるが、彼らはもっと深く暗い部分でわかり合っていたのではないだろうか。ジョンスのことを「人生で一番信頼している」と言ってくれるヘミは「整形して可愛くなったでしょ」とあっけらかんと言い、家族からはカードローンの借金返済が終わるまで家に帰ってくるなと言われる。そんなヘミのことを「孤独な女だ」とジョンスに言うのはベンなのだ。それはあたかも、あなたは気づいていないだろうけど、というニュアンスが込められているようだ。ジョンスの立ち位置が弱者でなければ、この映画で起きたラストシーンにたどり着くこともなかっただろう。優雅なサスペンスであると同時に息がつまるほどの青春映画の傑作でもある。
*   *
 「洗骨」――耳馴染みのない言葉。現在でも沖縄の一部の離島で第二の葬儀として、亡くなった人の骨を海水や酒で洗っていく実際にある風習だ。母を亡くした家族は四年後に、洗骨のため再び集まるが、それぞれの事情を抱えており離れ離れだ。冒頭のシーンから、シュールさに空気は包まれており、思わずクスッと笑いがこみ上げてくる独特なセリフや間の取り方が不思議な世界観を作り上げていると思っていたら、監督の照屋年之さんはお笑い芸人ガレッジセールのゴリさんの本名だということで驚かされた。日芸の映画学科で俳優を志していたという照屋監督は、短編映画をはじめ2006年度からすでに10作品も撮っているという。
 妻を亡くしてから酒浸りになって常におどおどしている何とも気の弱い父(奥田瑛二)と、強がって自分の東京の家族とのことを話せない長男(筒井道隆)、従業員の妊娠の事実を前に逃げだそうとした美容室の店長(鈴木Q太郎)と、男性たちがなんとも頼りないなかで、大きなお腹を抱えシングルマザーになろうと覚悟を決めた娘の優子(水崎綾女)や、現実をしっかりと見据えみんなをまとめていく叔母の信子(大島蓉子)の芯の強さが輝く。亡くなった母(筒井真理子)の透明感ある存在感にも目を引くものがあり、古謝美佐子の歌う主題歌「童神」も作品をグッと深め引き締めてくれる。最大の見せ場は母の洗骨と優子の出産で命が引き継がれていく生命力溢れ一体化する瞬間だろう。この映画の恥ずかしくなるくらいの女性賛歌は、しかしあざとさが少しもなく、作り手の本来の人の良さが画面に溢れ出しているように感じられる。ここまで生命への敬意に満ち溢れた映画を見られることの幸せを噛み締めた。
(女優・文筆家)







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