書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆神山睦美
虫けらめいた恣欲や魂をねじまげる耐え難い意識を、どう受け入れるか
No.2934 ・ 2009年09月19日




 竹田さんの『人間の未来』が出たのは二〇〇九年ですから、加藤さんの『戦後的思考』から十年経っていることになります。この間に、九・一一事件、イラク戦争、パレスチナ紛争、アフリカの内戦、チベットにおける暴動、金融危機と世界同時不況といった事態が、次々に起こっています。エネルギー危機と食糧危機、人口問題と地球環境問題といった、九〇年代には表立って論議されることのなかった難題が現れてきたのも、この十年のことです。当然、『人間の未来』には、この状況が影を落としています。竹田さんは、そのすべてに言及するのではなく、現代資本主義の課題、グローバル化した世界の課題にふれるかたちで「人間の未来」を問うているのですが、ポイントになるのは、普遍闘争というキーワードです。
 竹田さんは、この普遍闘争原理を人間どうしの抗争や国家間の戦争の根底にあるものとみなします。人間の歴史を貫いてきたものであると同時に、現在の世界までも貫く原理といえる。そうとらえたうえで、これをどう克服するかに、近代における哲学思想のエッセンスがあると考えます。現代世界の様々な課題に対して本質的に答えうるのは、近代哲学、なかでもホッブズ、ルソー、ヘーゲルの思想にほかならないという理念からです。
 とりわけ、ホッブズにおけるリヴァイアサン、ルソーにおける一般意志、ヘーゲルにおける相互承認というコンセプトは、人間における普遍闘争原理をいかにのりこえるかという問題のうえに提示されたものといえる。この原理が、奪い‐奪われるような人間どうしの優位獲得闘争としてあらわれる場合においても、統治権力と一般意志と相互承認をいかに現実化するかという問いを立てることによって、克服することができるというのが、竹田さんの考えといえます。
 アレントの「公共のテーブル」は、このような文脈において取り出されます。もちろん、公共性というコンセプトの範型を、古代ギリシアのポリスに見出すアレントの方法に対しては、竹田さんも明確な批判の立場を取っています。にもかかわらず、この理念を通して見るとき、古典古代的な人倫のありかたにかぎらない、もっとリアルな地平がのぞまれる。それを竹田さんは、近代哲学のなかでも、最も保守的とされるヘーゲルの思想に照らし合わせて明らかにしていきます。
 『全体主義の起源』において、恐怖や不安から生ずる暴力は、ホッブズ的なリヴァイアサンによって統治されると考えられていました。国家社会は人間どうしの殺人能力をあずかることによって権力を身につけていくとされるのですが、では、そのような統治権力は、いかにして暴力を調整していくのか。そのように問題が立てられることはありませんでした。このときのアレントに、「公共のテーブル」という理念の現れる余地はなかったといえます。
 しかしそういう場合でも、ヘーゲルにおける自由の相互承認というコンセプトをもってくるならば、このテーブルへの指針が示されるのではないか。相互承認とは、人間どうしが相手よりも優位に立とうとするありかたをどう処理するかというモチーフからあらわれたものだからです。たがいに相手を承認するということは、ルソーの言葉でいえば、自分も他人も多かれ少なかれ「鉄鎖に繋がれた」存在であることを認め合うということです。そのうえで、そこから解放されようとする欲望をもった存在であることを認める。人間的自由の基本条件とは、そこに現れます。
 加藤さんの『戦後的思考』にルソーの『ジュネーヴ草稿』から引かれた「虫けらめいた恣欲」という言葉が出てきます。そのような欲望の上にこそ、公共性が立ち上げられなければならないということが言われるのですが、もっといえば、そういう欲望存在であることをも認め合うところに、はじめて、「公共のテーブル」が出現します。それはやはり、ホッブズのリヴァイアサンでもなく、ルソーの一般意志でもなく、ヘーゲルの相互承認でなければならない。
 優位獲得闘争も、奪い‐奪われる状況も、それが人間にどうにかしなければならないものとして現れてきたのは、他人よりもより多く鉄鎖に繋がれているという意識から免れることのできない存在が現れてきたからなのです。虫けらめいた恣欲が生ずるのも、そういう意識からにほかなりません。アレントは、魂をねじまげる社会の耐え難い力こそが、このような意識を人間に植えつけるというのですが、同じことです。そのうえで、様々な人間が共通の場面で、たがいに相手を許容し、調停するには、まずそのなかの一人がいだく、虫けらめいた恣欲や魂をねじまげる耐え難い意識を、どう受け入れるかという問いをたてることが必要ではないか。
 そうすると、そのような問いに答えうるのは、やはりヘーゲル以外ないというのが竹田さんの考えといえます。そこでヘーゲルの自由の相互承認をもってくるのですが、この点に限っては、同じヘーゲルの「事そのもの」というコンセプトの方がぴったり来るというのです。では、「事そのもの」のどこに答えが見出されるのか。
(文芸批評)
――つづく







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 デザインの
ひきだし 36
(グラフィック社
編集部)
2位 昭和疾風録
(なべおさみ)
3位 この道
(古井由吉)
■青森■成田本店様調べ
1位 どう見える?
生きる跡アート
(高橋弘希)
2位 下町ロケット
ヤタガラス
(池井戸潤)
3位 大家さんと僕
(矢部太郎)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 一切なりゆき
(樹木希林)
2位 樹木希林120の遺言
(樹木希林)
3位 「日本国紀」の
副読本
(百田尚樹)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約