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評者◆睡蓮みどり
「苦悩」すべき対象は、愛――エマニュエル・フィンケル監督『あなたはまだ帰ってこない』、アミール・ナデリ監督『山〈モンテ〉』、斎藤久志監督『空の瞳とカタツムリ』
No.3388 ・ 2019年02月23日




■「夫を愛しているのか、それとも苦悩を愛しているのか」――苦しみそのものを愛するという気持ち。誰にでもある感覚ではないかもしれない。だが確かに知っている感覚だ。そういった苦境を自ら作り上げていく場合もあれば、どうすることもできない抗えない過酷な状況にいることを余儀なくされてしまう場合もある。いつも面倒な方向に全力で向かっていってしまう癖が身についてしまった私などからすると、全く他人事ではない。
 ゲシュタポに捕えられた夫ロベール(エマニュエル・ブルデュー)はもう長いこと帰ってきていない。それはパリ解放の後でも続いた。本当にロベールは生きているのかどうかさえもわからない。そんな不安のなかで妻で作家のマルグリット・デュラス(メラニー・ティエリー)は彼を待ち続けている。日々夫の死を頭のどこかで連想しながら、自身さえも半分は死の世界に身を預けながら。レジスタンス運動の仲間、仲間の一人で愛人のディオニス(バンジャマン・ビオレ)の支えもありながら、マルグリットは夫を失いつつあるという異常なくらいの恐怖と悲しみの静けさのなかにいる。それは決して表面的に激しさを浮かべたものではない。マルグリット同様に、自分の夫や捕虜となった娘を待ち続ける女たちが、深い悲しみと生きた心地のしない日々を彼女にさらけ出すようには、悲しまない。それどころか、夫の情報をくれる代わりに「互いに利用しあって」レジスタンス運動のことを探ろうとするゲシュタポのラビエ(ブノワ・マジメル)との日々の逢瀬のために化粧をする自分の姿を、電話する姿を、じっと冷酷に見つめているもう一人のマルグリットがいる。
 張り詰めた緊張感のちょっとした隙間に、いまにも彼女の嗚咽が鳴り響きそうで思わずドキッとする。気を抜くことができない。実際にかつて日記として書かれ、しかし書いたことを覚えていない言葉の数々。苦渋に満ち溢れ、どこかで乾いた彼女の言葉が声になり、見ている者の脳裏に直接語りかけられる。彼女自身のなかで何度も反芻され、身体に響いている声が画面を通して反響する。苦しむのは作家の仕事なのだと自分に言い聞かせ、日に日に死にゆく男たちの影に強烈なストレスを感じていることさえまるで忘れているようなふりをして、彼女は夫が生きて帰ることをひたすら待っているのだ。
 ラビエに「悲しみが似合う人」と言われて無表情を浮かべるマルグリットは、自分の細胞が音を立てて死んでゆくのをとてもリアルに感じていただろう。待っている間、日々夫への愛を噛み締めていたはずなのに、目の前に戻ってきた「収容所で死ななかった」夫を見つめるマルグリットの目は、かつて何度となく「もう一人の自分」を見ていたときのように、その感情を何と呼ぶべきか形容しがたい。しかしそれは不自然なことではない。愛が冷めてしまったというのもふさわしくないだろう。愛に生きるマルグリットにとって、「苦悩」すべき対象は紛れもなく愛なのだ。夫が不在の長い時間と月日が築き上げた愛は、戦争の終わりとともに、行き場をなくしてしまったにすぎない。

*   *

 なぜ、そこまでして戦わなければならないのか。一体何と戦っているのか。得体の知れない巨大なものに立ち向かうことは、一瞬無意味なようにも思えてくる。それを見る人々の差別の目は冷たく、どこからともなく聞こえてくる心ない噂話は潜められているようで、主人公アゴスティーノ(アンドレ・サルトッティ)の身に確実に降り注がれている。
 タイトルにもなった巨大な「山〈モンテ〉」が太陽を遮り、住人たちが去っていったその土地で、アゴスティーノとその妻、息子はひっそりと暮らしている。作物も育たないその土地から町に出て粗末なものを売りにいったところで、町人たちからしたら、無駄なことを愚かにも繰り返しているようにしか見えない。意味のないことを、まるで自分の満足のためだけにしているのではないか。妻の髪飾りを売ろうとするなど家族に迷惑をかけてでも、その生き方を貫く意味とは何なのか? たった一人の人間が何かしようとしたところで何も変わらないのではないか。
 少しでもアゴスティーノの行為に苛立ちさえ覚えたことに気づいた瞬間に、巨大な山が目の前に立ちはだかり、戦うことさえ忘れて日々パンを食べることにただ満足してしまう、何も考えなくなった人間の愚かさが浮き彫りになるようだ。モンテは何も言わずにアゴスティーノに圧力をかけてくる。モンテとひとり闘うアゴスティーノ。やがて見えた光に何を感じるだろうか。日本を舞台に西島秀俊が主演の映画愛を描いた『CUT』でも、理不尽なほどに映画のためにと殴られ続ける男の姿を描いたアミール・ナデリ監督。闘い続けることの全身全霊での全肯定なのだろうか。生きることそのものでもあり、同時に生き方を描いているのだとはっとさせられる。

*   *

 誰かと誰かが恋をして結ばれる。満たし合う。それは必ずしも一対一の関係性とは限らない。かといって、複数で成立するポリアモリー的な愛を描いているわけではない。『空の瞳とカタツムリ』で描かれる愛はそもそも成立なんかしていないのだ。男となら誰とでも寝る夢鹿(縄田かのん)、極度な潔癖症の十百子(中神円)、二人と学生時代から一緒だった貴也(三浦貴大)、そしてピンク映画館で男相手に客を取る鏡一(藤原隆介)。この4人の物語であって、4角関係の物語ではない。あくまでバラバラに生きるなかで、それぞれがどんな風に繋がっている「部分」があるのかを見極め、愛し、時には憎む。彼女・彼らにとってセックスはもはや一対一のものではないのかもしれない。目の前にいる人は「丸ごと全て」ではなく「部分」でしかない。部分と部分が繋がり合う。極めてSNS的なセックスを繰り返す。一対一を望もうとした一番〈まっとうな〉男だけがこの物語から先に消えてしまう。これだけ情報があふれたこの世界で、目の前の人間とだけ向き合おうとし、深くお互いのなかに踏み込んでいく行為はもはやすでに〈格好悪い〉恋愛なのかもしれない。
 雌雄同体のカタツムリの生殖行為は互いの命の4分の3を削り合うほどの命がけのものだという。この4人は互いに傷つけ繋がりながら、自分の輪郭を探している。自分を定義することができないから相手に何かを求める。かといって依存しあうわけでもない。それでも、傷口から血を流すように、丁寧に言葉を選んで相手に伝えようとした瞬間のことを、例えば10年後に、彼女・彼らが思い出すことさえないのかもしれない。感傷に浸ることさえ拒んで画面のなかにだけ残された青春の痛みと、どこかでさみしい予感が同時に過ぎっていった。
(女優・文筆家)







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