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評者◆稲賀繁美
観音像はいかに世界を救うか?――戦争と平和のきざはしに立つ「平和祈念像」の桎梏
No.3389 ・ 2019年03月02日




■仏教伝来以来、宗派や教義を越えて讃仰されてきた観音は、近代を迎えると大きな変貌を遂げる。それまで性別を問われなかった観音は、「近代」に入ると「女性」や「母性」を帯び、慈悲を恵む尊像として注目される。日中戦争期には、戦勝祈願や戦没者慰霊に加えて「怨親平等」の標語とともに、常滑焼で成型された柴山清風の《興亜観音》が登場する。「支那事変」の日中両国の犠牲者を供養すると謳うこの事業は、対中宥和とともに、宣撫工作の一端をも担っていた。「大東亜共栄圏」建設の一翼をなすこの「興亜観音」は、敗戦後には、一転、「平和観音」へと、継承を装った脱皮を遂げる。
 この変わり身の早さは、何を意味するのか。河田明久は戦時期の日本美術は西洋に顕著な人物寓意が乏しく、桜や富士山に仮託する事物象徴が主流をなしたと弁ずる。これに対して北原恵は、寓意の不在と象徴への転嫁が、戦争責任問題の回避に短絡する危険を指弾する。「興亜」から「平和」への観音の変容にも、宗派や教義の隔てなく「慈悲」を象徴する観音という尊格の特性、無限包容性と裏腹の「罪滅ぼし」の危険が萌してはいまいか?
 バブル期には巨大観音の建設ブームが到来し、1984年には山口県の秋吉台に《平和祈念像》を含む休暇施設建設の計画が持ち上がる。これには山岳連盟を中心に反対署名が集められ、環境庁の注意勧告もあって、実現は回避される。その折り「計画中止を一番喜んでおられるのは」当の実現されなかった「観音菩薩様」ご自身では? との声が「秋吉台の自然を守る会」の会員から表明された。バーミヤンの石窟が爆破された際、「仏像は自らの恥辱に耐えかねて、自ら崩れ去った」と語ったのは、モフセン・マフマルバフだった。「不在」という無形の遺産が、現実の観音像の裏面に、「負」の究極たる理想を暗示する。これとは裏腹に、バブル崩壊後に経営が破綻し、廃墟と化した巨大観音、「迷惑施設」の事例も全国に点在する。
 「興亜観音」を推奨した松井石根は、極東軍事裁判により、1948年に死刑に処せられた。その「興亜観音」は、通常の観音とは異なり「合掌」している。ここには「日中提携」を唱えた松井の理念が投影されている。激戦地となった米領グアムの慰霊公苑の中央には、抽象的形態によって日米の「合掌」を象徴する慰霊塔がある。さらにグアムの公苑内に1982年に建設された「我無山平和寺」には、芝良空による《マリア観音》が本尊として安置された。一方で「合掌」の象徴的意味、他方で「聖母マリア」と「慈母観音」との混淆を許す寛容さ。そこには和解と信仰の融和とを巡る「妥協」の政治的臨界点が浮き彫りとなる。
 松井石根はまた宮崎の《八紘一宇の塔》にも関与し、中国の戦地で「英霊の血」を吸った石材を寄進している。この塔は戦後には《平和の塔》と改名され、オリンピック聖火リレーの出発点となった。血染めの
石材は、山田真人の事績を想起させる。沖縄の平和祈念堂に設置された《沖縄平和慰霊像》を収める平和祈念堂の地下には、山田の発願で「全人類の平和希求」の証として、世界各地から寄進された「霊石」が展示されている。中央の観音像も、元来は《平和慰霊観音》として構想された。山田はその素材として青銅の代わりに漆を選び、沖縄伝統の「堆錦」技法を立体造形に応用した。ブロンズを避けたのは、湿潤で潮風の吹く気候への配慮とともに、足尾銅山鉱毒事件の記憶、さらに戦時の金属供出のように、《平和祈念像》が溶かされて武器とされることへの懸念があったという。だが金属供出は、丹精を籠めて制作され、一度は魂を入れた鋳造仏を犠牲にするからこそ、尊い貢献としての意義を担ったはず。人間の血と業を宿した宮崎の石材。あるいは日本遺族会の寄進になる沖縄の「霊石」。それらに支えられた観音像には、たしかに「平和祈念」の念願が籠る。だが、人々の念や願を一身に受けた彫塑像は、人々を結び付け束ねる一方、正邪の怨嗟をも内に蔵し、それを鎮める存在と化す。社会の対立や矛盾をおしなべて呑み込む「平和祈念」像は、その無限抱擁によって、自社会の葛藤のありかをも照らし出す。

*君島彩子『平和祈念信仰における観音像の研究』博士論文公開審査会(総合研究大学院大学、文化科学研究科国際日本専攻、2019年1月25日)に取材した。







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