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評者◆平井倫行
そのうち静かになったら――「岡上淑子 フォトコラージュ 沈黙の奇蹟」展(@東京都庭園美術館、2019年1月26日~4月7日)
No.3393 ・ 2019年03月30日




■――美は何にも侵されずただ無邪気に存在する。
渡辺雪三郎

 自由であるということはそのことと等量の不自由を引き受けるということであり、また出来ることが増えるということは、それに等しい分だけの出来ないことを増やしていくという認識でおよそ間違いないものと思われる。
 現在、旧朝香宮邸(東京都庭園美術館)において開催されている、戦後日本フォトコラージュの旗手・岡上淑子の今日へと至る足跡をめぐる展覧会は、関係諸機関との連携のもと、その多数の制作物、また彼女の憧憬した五十年代のハイファッションシーンを象徴するディオールやバレンシアガのドレスをはじめ、恩人・瀧口修造との交流にまつわる一次資料や、さらにはその創作の方向性に大きな転換を迫ることとなったマックス・エルンストのコラージュ・ロマンなど、まさしく岡上という一人の女性の存在を型紙にし、縫製するがごとき立体的構成に基づいており、それは本美術館の有す優美、かつクラシカルなアール・デコ建築ともあいまった、華やかな情趣を会場に湛えている。
 昭和三年、四国高知県で生まれた岡上は、三歳の時に東京へと転居、ミッション系スクールに在籍した後、昭和二十三年に小川服装学院へと進学、その際に知った長沢節の影響からファッション、ファッションデザインへの強い「憧れ」を抱いたとされる。洋裁教室、また平田暁夫の帽子教室を経て、二十二歳の時に身を置いた文化学院の自由な校風のもとおしゃれに親しんだ岡上は、同学院の授業で出された「ちぎり絵」の課題の際に「偶然」手に取った紙片に写る「かわいい女性の横顔」を見たことを契機として、以後進駐軍が日本に持ち込んだ最新のファッション誌等を素材とした「貼付け絵」を制作していくこととなった。
 当初あくまで「ごく私的な創作」でしかなかった彼女の才能が世に広く知れ渡るのは、その制作にいち早く意義を見出した日本のシュルレアリスムの理論的指導者・瀧口修造の後押しによるところが大きいとされるが、同時に、岡上の制作の核に存在していたのは、戦後急速に普及した洋装化と、それにともない醸成された家庭の子女における洋裁の土壌であり、また当時、世界的な物資欠乏の状態への反動として生まれたパリ主導のオートクチュールの、豪奢で洗練された装いへの志向であった。戦争による疲弊の時代に、あえて大量の布を必要とする優雅な衣裳性の提案は、その意味では「現実を背景としつつそれと乖離」した、前衛的と表現しても差し支えのない、時代に対する攻勢の方法論たり得ていたといってもよいであろう。
 岡上が学生のうちに少女期を過ごし、また鋏と糊を用いたコラージュを制作した昭和二十五年から三十二年とは、未だ戦争の影が世上を覆いつくしていた時代でもあり、わけても昭和二十年五月の、東京山の手大空襲と、その後に広がった「青空と焼け跡」の光景は彼女に強い印象を残した。岡上自身が語るごとく、それは制作における大きな原風景となり、敗戦と後に続く復興、瓦礫の景観は、コラージュ制作と明確に重層した特異な表現形式であったといえる。
 美術の歴史も、造形の技術や伝統についてもほとんど思想的下地を持たなかった岡上にとって、それは特殊な芸術運動や美術界の動向を意識した制作ともおよそ無縁な、いわば焼け跡の残り火や煤けから、「無垢なるまま」に現像された、少女の青春の面影であった。

 なめらかな足なみは
 時間の刺青を消してゆく

 いましも本館「香水塔」のある次室を通り抜けた小客室には、本展の表題ともなった《沈黙の奇蹟》と、上記のごとき一句で結ばれる「祈祷室の薔薇」という名の、岡上の詩文が掲示されている。
 いずれの芸術組織にも属さず、また自身を作家であるという矜持においてさえみつめることもしなかった岡上は、結婚と同時に、制作の一線から身を退いた。
 コラージュを自らの「青春」とし、その制作時代を自身の「いちばん自分らしく生きた」最も「自由」な時代としながらも、しかし岡上はごく近年「その後の歳月は、自由とは青春を磨いてゆくものであることも教えてくれました」と述懐している。
 ならば少なくとも「現在の」彼女において、「自由」とは、それを慈しみ、あたためるものでこそあれ、その人生上の価値を保証し切るものでも、またあえていえば、それほどに「のみ」生涯を圧し切らねばならぬ全体性を指示するものとしても、把握されてはいないように思われる。
 エレガンスとは何か、と問い、ある人はかつて、それを「優しさと言い換えてもよい」といった。
 謹む、配慮する、慮る、真に敬うべきものは、自身のなかの大切さ(自由)を譲り渡した「後に」こそある。
 廃墟のなかに佇む岡上の女性達は、時に「不釣り合い」で「場違い」な印象をさえ感じさせるが、さにあらん、しかしなればこそ、そこにいる女性達はゆえにのみ常に「控え目」で、またあくまで「誇らしげ」に在り得るのである。
 大切なものの大切さなど、いつにせよ、抱きしむるまでに「知ってさえいれば」それでよい。
(刺青研究)







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