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評者◆添田馨
日本国憲法の肖像――改憲論の変容と護憲①
No.3402 ・ 2019年06月08日




■あえて“護憲”を問う。政治、言論、ジャーナリズムのどこを見ても改憲論ばかりが喧しい。「国防軍」明記の自民党改憲案はもとより、九条に第三項を付け足す“加憲論”あるいは“立憲的改憲”や“リベラル改憲”といった論調にいたるまで、どれもが大括りの改憲論ばかりである。
 これに対して護憲論はきわめて旗色が悪い。護憲派といえば、もはや時代遅れの頑迷な一大抵抗勢力ででもあるかのような、そんな固定イメージが広がりつつある。たしかに護憲派vs.改憲派という対立構図は、五五年体制下でこそ強固な意味をかたちづくったが、国内外の政治情勢の激しい変化の波は、そうした前提そのものを消し去った。この期に及んでなおも「9条守れ」と叫び続けることが護憲派の証しだとすれば、もはやそれは現実無視の宗教イデオロギーだとまで揶揄される始末である。
 だが誤解を恐れずにあえて言おう。護憲論の根底には、多くの日本人の宗教的な心性に抵触する本質が間違いなく宿っている。平和憲法のおかげで日本は戦後ひとりの戦死者も出さなかったという“九条神話”とも、それは直接関係しない。ひとことで言うなら、ナショナルな心性における必要欠くべからざる拠り所としての側面が、わが国の憲法には色濃く存在する。この事実は、昨今の改憲論議はもとより、従来型の護憲論においても長く取りこぼされてきた経験領域なのではないだろうか。
 日本国憲法とは、それ自体が謎の微笑を秘めた一幅の肖像画だ。時と共に背景の地形図は刻々と変化しても、その見つめる視線の射程の先はまだ誰によっても見通せない、そんな“何者か”の寓喩的な肖像画だ。
 従って、現在の改憲論が現行条文の不備を根拠とするなら、今後あるべき護憲論は条文の持つ不可能性の視線をこそ、逆説的にみずからの根拠としなければならいだろう。“変えない”という選択肢そのものの意義が、そこでは激しく問われることになる。
(つづく)







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