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評者◆平井倫行
聖なる館――「ギュスターヴ・モロー展――サロメと宿命の女たち」(@パナソニック汐留美術館、2019年4月6日~6月23日)
No.3402 ・ 2019年06月08日
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■――従って私のサロメでは、神秘的な性格を持った、巫女や宗教的呪術師にしたいと思い、聖遺物匣のごときコスチュームを思いついた。
ギュスターヴ・モロー パリのラ・ロシュフーコー通り十四番地にその美術館はある。 フランス象徴主義を代表する画家として、また特に神話や聖書に由来する物語を独自の解釈により紡ぎ出した幻想美術の巨匠として燦然と名を残すギュスターヴ・モロー(一八二六―一八九八)は、人間精神の本質や、魂に内在される葛藤のドラマを深淵かつ壮大な筆致において表現した、美術史上、傑出する歴史画家として記録される。 傾国の美女や聖女、拐かされる貴婦人、それら際立った「過剰な女性像」を、意識的無意識的な形でその画業の中枢へと据えたモローにとって、一人の人間の人生、時に英雄や神々の運命さえをも左右する強靱な魔力を有した女性イメージは、豪奢、逸楽、官能、そして他ならぬ、死や誘惑のテーマにおいて連関され、愛慾に惑わされる男女の物語とはそれ即ちに、そこに仮託されるべき両性の「対峙」「対決」という主題において、画家自身の生涯に通底する、自覚的テーゼと想定されていたことであろう。 現在、新橋にあるパナソニック汐留美術館では、この不世出の画家モローの創作、および、実生活に深く関与した二人の「女性」との「関係性」をテーマとしつつ、今回初来日の作品をも含んだ約七十点に及ぶ油彩、水彩、素描の他、周辺に遺された貴重な一次資料の考証を通し、モローの多面的かつ多角的な絵画生成の過程や表現の変化を、その人生を貫く多様な女性像との連絡を踏まえた新たな照準において光をあてる展覧会が催されており、中でも『新約聖書』 記載の物語に由来する、踊りの褒賞として洗礼者聖ヨハネの首を要求したユダヤ王ヘロデの娘サロメを描いた代表作《出現》に集約される、死と残忍、冷酷と美の情熱を体現した世紀末デカダンスの偶像ともいうべき「宿命の女(ファム・ファタル)」のイメージは、その画業を象徴するものと看做すことが出来るであろう。 男性を悪へと誘惑し破滅させるという妖艶かつ蠱惑的なファム・ファタル像を多く造形した一方、現実の画家の生活においてしかし、モローが生涯寄り添ったのは、そうしたイメージとはまるで対照的な、極めて家庭的かつ慈愛に満ちた母ポーリーヌや、貞節の恋人デュルーであり、両者共に、高潔で献身的な、そして偉大な包容力と母性とを内在させた女性として、その親愛の情の籠もる、深い交流を示す資料の多くには、今もなお人の心を打つ、強い説得力が存在する。 わけても母ポーリーヌは、一生を独身に過ごしたモローにとって、その人生全体の在り様を支え、また大きく決定付けた存在でもあり、それは傷つきやすい画家の生涯を豊かに護り育んだ「聡明な知性」とも受け取れると同時に、一人の繊細な画家の人生そのものが、そうした強い母性的影響力の内側に、逃れ難く規定されたものであったことをも意味していよう。女性に対する尊敬と嫌悪、畏怖と憧れというアンビバレンスな感情は、恐らくはモロー芸術の、また優れて、その人間的本質をも指し示すものであった、といい得るのかもしれない。 一八八四年七月三十一日、最愛の母が永眠し、また次いで一八九〇年、三十年近くも「未婚のまま」に連れ添った恋人デュルーが不治の病に夭折したことは、モローにとって最大の試練として立ちはだかり、その後、孤独と絶望に打ちひしがれる中でひたすら制作に打ち込んだ画家は晩年、一八九五年頃より、国に遺贈することを想定した上で自宅を美術館へと改築、その館内各所はそれぞれ「想い出の場所」として、「居間」は恋人に、そして「寝室」はモロー家、なかんずく母親へと捧げられた。 「母がこの世で最も大切な存在だった」 そう語るモローはまた同時に、画面に浮遊する「青黴」のごとき装飾文様に覆われた通称《刺青のサロメ》等、生涯に渡り幾度もサロメの像容を描き、それを「永遠に女性的なるものの象徴」とした。 モローの画業とはいわば、すべからくこの「異能の」女性「ファム・ファタル」という宿命的主題に収斂されるものではありながらも、その実それは深い信頼で結ばれた「恋人」と「母親」という、二人の特別な女性達との「ただの生活でしかなきもの」に燃やされた愛情を「封じ込めた」宝石箱のようなものであり、それは言葉にすればする程に凡庸な、平凡といえば平凡極まりない「つつましい欲求」に対する、いささか「存外な」、しかし故にこそ敬意に値する「その時折の解釈」であった、ということが出来るのかもしれない。 本展がその構成上の大きな役割を与えることとなったモロー芸術における女性像の多面性とは、してみれば、モロー自身の多面性でも、また厳密には女性存在の有す多面性でもなく、人生の多面性、あえて述べるのならば「運命の多面性」であると、そう表現し得るのであろう。 一八九八年四月十八日、モローは胃癌のため死亡した。 享年七十二歳。 その死の五年後、ギュスターヴ・モロー美術館は世界初の国立の個人美術館として、静かに開館された。 (刺青研究) |
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