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評者◆凪一木
その3 事故までの日々
No.3404 ・ 2019年06月22日




■私が勤務していた現場は、大学と病院と、その他の施設が、病院棟、東洋医学研究所棟、生命科学研究所棟、大学本館棟、大学1号館棟、2号館棟、3号館棟、新棟、職員宿舎棟と九つの建物があり(部室棟という建物もあるが、数には含まず)、そこの一号館地下で、冷温水発生機(一号機)を爆発させた。
 ビル管理とは、要は「建築物管理」のことで、業界の特徴は、建築物の所有者(ビルオーナー)が直接雇用する場合は少なく、専門事業者に請け負わせることが多く、私の場合は、その大学の下に医療メディカルという子会社があり、その下請けとして横浜ビルパートナーズとワールド警備保障という会社が入り、ビル管理を任されている(医療、横浜、ワールドはいずれも仮名)。私はその下請け側の新入り社員、といっても入社八カ月のことであった。
 ビルメンテナンス(通称「ビル管」)業界というものは、ビルゆえに、売上高の約半分が東京に集中するという超都市型産業で、その割には、大手が業界再編する段階までは来ておらず、事業者の大半は中小企業で、企業格差(企業自体ではなく、待遇)がほとんどないというおかしな世界だ。市場規模は三兆八〇〇〇億(映画の市場規模が二〇〇〇億円)と大きく、その割には、目立たず、どこで人が働いているのか分からない。
 実は全国に一〇五万人いて、警備の仕事が五四万人いるのに対して倍の数が存在する。警備はセコムとアルソックの最大の二社が独占しているような格好で、ビル管業界の方は、大手も中小も売り上げはさほど変わらず、またその従業員の給料も大差がないオール低空飛行である。魅力的イメージに乏しく、ブルーカラーの3Kイメージを払拭できず、常に人材不足であり、したがって、ハローワークでも格好の高年齢者の第二の職場として勧められる。私もまた、そうだった。
 二〇一三年に、最後の本を出した。出版部数的には売れず、一一月に行われる出版記念上映会の時点ではもう、物書きとしての先が絶たれた状況であった。
 そこで妻に突き付けられたのが誕生日(一〇月二〇日)の朝のメールであった。「生活を何とかしろ」というものだ。数々の公共の相談機関や親戚も訪ねた結果、唯一見つけたのが高年齢者校への進学だった。
 飯田橋にある「ビル管の東大」と言われている学校で、二倍の入校試験があった。試験後の面接に行くと、皆スーツを着ている。おかしい。いや、実は、そのための説明会というものがあった。任意であり、出席する必要などない。ただ、ハローワークでは、出席を勧められる。しかし、時間も交通費もままならない私にとって、そんな無駄な会に出る気などさらさらなかった。
 そこでスーツをはじめ、面接問答などの講習を皆受けてきていたのだ。驚いたのは、面接で待たされている間の廊下の壁にかかっているポスターだった。わけのわからないことがたくさん書かれていて、まるで無縁の世界なのだが、どうやら、それらについて、面接で問われることが並んでいるうちに分かってきた。上着は実は派手な服を着ていたので、それを先ず脱ぎ、他の人たちのスーツにYシャツ、ネクタイといういでたちにはほど遠いが、何とか丸首の無地の、お金がなくてスーツを買えないスタイルぐらいには、身支度を整えた。いや、スーツを買えないのは事実であり、整えたわけでもなく、実際のところ講習説明会に出たところで、大差のないスタイルで面接に臨んでいたはずだ。
 いきなりの質問攻めには驚いた。まるで知らない単語が飛び交い、何よりこちらの意気込みを、お役所独特の「判定」や「選り好み」「高みからの振り分け」で独自の基準で測ってきているのが分かるのだ。
 必死である。どんな資格を取ろうとしているのか、と質問された。一つとして資格を知らない私は、ポスターに書いてあったボイラー技士という一つの資格名をまず挙げて、張ったりをかませた。その見つけた名前しか実は知らない。
 「欲張りだと思われるかもしれませんが、取れるだけの資格を全部取ろうと思ってます。ボイラー技士はもちろん……」
 そこで、言葉が詰まる。面接は二組で、隣から「電気」という声が聞こえてきた。
 「ボイラー技士はもちろん、電気とか、あらゆるものを何でもかんでも取りたいという気持ちでいます」
 何とか面接を通った。この時の私には、学校に通いながら、支援金を貰い、労働金庫から低金利でお金を借り、資格を取り、就職し、という道筋しか残っていなかった。しかし、その内情は全く分かっていなかった。
 つまり、業界が業界(問題だらけ)だけに、事故もまた、その流れの中で起こるべくして起こったと言えるものだ。
 事故の数日前にメールが来た。別のビル管会社に勤務していた、同じ学校出身の友だちが、亡くなったのだ。彼の姉からだった。
 学校時代は最年少であり、死んだこの時は四六歳だ。学校のクラスメート皆から可愛がられていて、マスコット的な存在であったが学校卒業後に就職がなかなか決まらず、入ってもビル管独特のいじめに遭い、辞めて新たに就職を繰り返していた。彼も別の病院勤務で、私と同じひどいパワハラに遭っていた。辞めて今のビルに移っていた。そこでのさらなる「パワハラがきつい」という連日のメールのさなかに死亡した。格差の下位の場所には、それなりの悲劇がしょっちゅう起こる。
 高年齢者校の同級生たちの顛末もこれまで、卒業以降、自身も含めていくつもあるが、まさかこんなにも早く死ぬなどとは思ってもいなかった。そして私の事故である。
 朝七時半にいつもの通り一号機を運転し、故障ランプがつかなかったので中央監視室に戻り、「一号機は大丈夫なのか」と不安をこの日の相棒と話していたら、電話が鳴り「火災警報」が出ていると大学事務室から電話があった。
 現場に駆けつけた。消防車が駆け付ける騒ぎとなって、大学が休校になった。「お前がやったんだよな」と強要される。人生を失う危険な状態ではあった。
 このような現場で毎日を過ごしているのが、今の私の「はたらき」である。
(建築物管理)







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