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評者◆秋竜山
「味の素」に御用心、の巻
No.3409 ・ 2019年07月27日




■くど過ぎると、鼻につきはじめる。と、不ゆかいになってくる。テレビの、どのチャンネルでも食べ物番組をやっている。それが気にくわないなら観なければいいわけだ。テレビのよさは、必ずしも観なければならないというものではなく、観たくなければ消せばよいのである。くどいとか鼻につくなど、大きなお世話だろう。テレビの料理番組で、タレントがいくら「おひしひー」などと舌たらずに叫んでも、視聴者は、そのおいしさを味わうことができないということである。そして、「まずい」と、叫んだとしても、そのまずさを共有することはできないと、いうことである。では、いったい料理番組とは何か? と考えた時。いずれにしろ味は伝わらないのだから、好きなようにしてくれとしかいいようがないのである。未来のテレビに、味が伝わるようなものが発明されればいいだろう。そして、腹をみたしてくれることも、だ。かつて、それに似たような話をしたものだった。においの伝わるテレビである。ところが、においを放出する画面があったとして、たとえばカレーのにおいの後にくるにおいの前にカレーのにおいを消しさることができるだろうか、ということになった。もし、カレーのにおいが消えず次のにおいが放出された時、カレーのにおいとゴチャまぜになってしまい、わけのわからないにおいということになるだろう。
 武田知弘『大日本帝国の発明』(彩図社、本体六四八円)で、
 〈味の素に代表される「うまみ調味料」というのは、20世紀に入って普及したものである。それ以前の調味料は基本的に「しょっぱい」「甘い」「苦い」「酸っぱい」のいずれかの味付けをするものだった。しかし、人間にはその4つの味覚以外にも、「うまみ」という味覚があることが発見された。〉(本書より)
 味というものは料理に限らずあらゆるものにおける表現方法であるだろう。「味のある奴だ」とか、「味のない奴だ」とか。それに、「しょっぱい奴だ」「甘い奴だ」「苦い奴だ」「酸っぱい奴だ」とか、いい表わす。それに、「うまみのある奴だ」とか、「うまみのない奴だ」とか、加わる。「よだれのでそうな奴だ」とも、いえるだろう。味もそっけもない味だ!! なんて、いったりいわれたりする。これら表現は、すべて「味」である。「味の素」と、いって知らない人はないだろう。「うまみ」の発見が「味の素」の、発見となる。
 それにしても「味の素」とは、絶妙なる名称であるだろう。台所に「味の素」をおいてない家庭はないだろう。「何はなくても味の素」である。とにかく、味の素であるから、味というものは、味の素によってつくられているということだ。どんな料理にも、この味の素なるものを入れれば、たちまちうまい料理となるのであるから、つまりは、どんなまずい料理であっても、これさえあれば心配あるまい。「オイ!! 何だ。この料理は、まずくて食べられたものではない」と、亭主の文句を聞くやいなや、ちょっと待ってといって「味の素」の力を借りる。そして、味のある亭主にするには、やはり「味の素」である。もちろん、女房にもいえる。味のある女房にも「味の素」である。くえない夫婦も、くえる夫婦となる。問題は、あまりにもそれにたより過ぎると、鼻につき、不ゆかいになってくるということだ。「味の素」に御用心。







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