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評者◆杉本真維子
朔太郎の影
No.3410 ・ 2019年08月03日




■6月のおわりに、群馬の前橋文学館を訪ねた。前橋駅の観光窓口の人に、バスの発車時刻を聞いたら、「ちょうどいいバスがあります。そのバスに乗って中央前橋駅で降りると、左手に川が見えますから、それに沿って歩いていくと……、ああこう話しているうちにバスが行っちゃった」と言われた。尋ねておきながらちょっと上の空のように私はその場に立っていて、すると「じつは歩いても行けます。今日は風が気持ちいいですよ」と徒歩を勧められた。20分かかる。日差しも強い。でも、帽子を被ってきたから大丈夫なのだ。
 前橋は萩原朔太郎の生地である。川沿いの小道は「広瀬川 詩の道」と名付けられ、茂みには、朔太郎の詩や萩原朔太郎賞歴代受賞者の詩の石碑がぽつぽつとある。等間隔で建っているわけではないので、自然とそれらを探して、読んで、宝探しゲームのように行く。途中、赤いハンモックが店先の木に無造作に吊られていた。廃墟もあった。朽ちかけた看板に「キャバレー 前橋 ロンドン」という文字が骨のようにあり、その骨にいまだネオンの派手さが残っていた。
 左手に前橋文学館が見えてきた。入口が暗いので、おかしいな、と近づいてみたら、休館日だった。昨夜、休館日を確認した自分の所作を思い起こす。チラシを一瞥しただけ。驚くほど適当だった。心がくしゃくしゃになるような出来事があって、鉄砲玉のように、家を出た。私はここへ、逃げ出してきたのだろうか。
 文学館の前の「朔太郎橋」の石のベンチに座って考える。このまま帰るべきか、前橋に一泊して翌朝出直すべきか。疲れて投げ出した足のむこうに、川が流れていた。けっこう勢いよく、透明な時間のように、どんどんと流れていた。
 立ち上がり、もう少し川沿いを歩くことにした。文学館の中へ入れなくても、外側に何かあるかもしれない。しばらくすると、広瀬川美術館という古い洋館があった。窓ガラスにぎりぎりまで顔を近づけると、テーブルと椅子、ランプ、風景画のようなものが一枚見えた。背の高い棚に、見覚えのあるものが納められていたが、よく見えない。これ以上、覗いていると、後ろから誰かに肩をつかまれ、咎められるような気がしたのでやめた。童話の「青髭」がかすかによぎった。
 二本目の橋の手前に、短い階段があり、地下道へと繋がる道があった。昼間なのに入口は真っ暗で、蔦が絡まり、入ったら二度と出られないような、不気味な雰囲気を放っていた。いったん引き返し、そのあと、私は踵を返して、階段を下り、地下道へと向かっていった。意外にも人がいた。黒いマントのようなものを羽織った男の人が壁に凭れていて、さまざまなポーズを取り、女の人がフラッシュを焚いて写真を撮っていた。私は二人の前をすたすたと歩いて通りすぎ、向け直してまたすたすたと歩き、地下道の外へ出た。なぜか邪魔するような気持ちで、カメラの近くをうるさく歩いた。
 なんだったのか。駅の近くのビジネスホテルに泊まって、翌朝、文学館へ行って、「現代詩手帖60年展」を見た。常設の萩原朔太郎の展示を見ていたら、朔太郎が黒いマントを羽織って、道端に座っている写真があった。見覚えがある、と思って、ただ見入った。視界を消すように、脳裏で広瀬川がどぼどぼと滝のように流れおちた。







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