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評者◆凪一木
その11 警備のONE
No.3412 ・ 2019年08月17日




■たまにはシンミリとした話題を。
 三敏さんが辞めた。三敏というのは、漫画家の古谷三敏のことであり、彼が古谷三敏に似ているのかというと、そうではなく、三敏の描く漫画『ダメおやじ』の主人公“ダメおやじ”に似ているのだ。
 いや、そう見えるだけである。人間自体は、優秀なはずである。近畿日本ツーリストで定年まで、主要な仕事を自在にこなしてきたことは窺い知るだけでも分かるからである。それよりも、彼は、同じ警備の一五~一七人いる中で一番、芸能界の話題に通じている。六〇年代末に、映画の黄金時代が終わるころに、最後の爆発を起こす大手五社の映画を、当時の映画好きなら皆そうであるように、全部を観尽くしていた。その広い知識と社交性と芸能性が、旅行業界に生きたことも確かであろう。
 そんな背景や、過去の履歴など一切無視をして、多寡が警備のこの現場におけるどうでもいい決まり事を盾にとって、コンプレックスだらけの元テーラー(仕立て屋)が、ここぞとばかり、どなり散らすわけである。六六歳が六六歳をいじめる。当人たちは同級生であることは知らない。
 たまたま出来損ないに見えるだけである。三敏さんの方が、大抵の場所においては、仕立て屋よりは、出来が良いはずだ。
 メジャーリーグのメッツで、日本ではスーパースターであった松井稼頭央が苦境に陥る。コーチから不調の要因として「ボールが見えてないからだ」と或る指示を受ける。屈辱の眼鏡姿でのプレーであった。あれほどに見た目を気にし、実際に恰好よくもあったプレーヤーが、眼鏡を掛けて、さらに調子を落とす。自信家で自由な男さえ自信喪失し、不自由な男に貶められてしまう。適材適所とはよく言ったもので、イチローであれ大谷であれ、野球でなければただの人の場合が多い。その仕事が向いていない。その状態が合っていない。まして条件を奪われてはアウトだ。
 パワハラ男の仕立て屋は、仕事自体を教えずに、「仕事を覚えろ」。自己解決出来ないことを押しつけては、「責任を取れ」「無責任だ」。やり方を知らないまま無理やり「やらせて」はミスを誘い、最後には、自らの不満を怒鳴り声で満たす。
 能力のない人間に能力以上の仕事を放り投げ、当たり前のように失敗させる。弱いジャンルを敢えてやらせる。適性など考えようとしない会社の環境を生かして、意気揚々と怒鳴る。仕立て屋は、大学卒などほとんどいない警備の世界においては、清水健太郎と同じ足利工大出身が唯一の「売り」である。だが多くが持っている資格の自衛消防を二度落ちて、「あんなものは必要ない」と資格憎悪型の逃避を逆手にとって、虐めるわけである。
 映画製作の人間が、テレビドラマの製作陣を「バカ箱」とか「街場」などと揶揄していた。言葉ではなく、いかにデザインで表現するのが勝負のデザイン業界では、字を書き始めた人間を「デザライター」と蔑むという話をデザイン屋から聞いたことがある。その話をしてきた人間も含めて、やはりそういう意識のある人間こそが二流でダメなデザイナーであった。出来の悪い警備員もまた、星一つが出来の良い、かつ人間的にも出来ている入りたての星二つを虐めるわけだ。
 三敏さんは、いったい何をしにやってきた六カ月であったろう。ただただ、いじめられにやってきた六カ月間ではなかったか。次の仕事(介護)を見つけたという。
 仕立て屋にとって、資格も出来も良い、しかも同じ年齢の、気の弱い、インテリタイプの慎重派。
 「どうせわたしはダメですよ」と言いながらダメおやじ顔の三敏さんは、言い返さない。実はどう考えたって違う。仕立て屋に謝らせなくていいのか。パワハラ男に恥をかかされた落とし前を付けなくていいのか。傍観者であるからこそ、苦しむ。私の身体にはべっとりと贖罪なのか、妻の呼ぶ声なのか、妙な湿気が纏わりついている。
 福知山線の事故で、鬱になった人がいた。事故にあったのは夫であり、しかも助かった。じゃあ、何なのか。夫と共にJRの人情味のない対応に対して闘いに参加した。そこで遺族たちの苦しみを見て、また同時に味わうことで風邪がうつるがごとくに、いつまで経っても、気持ちの塞ぎがおさまらない。共に闘う遺族の中から自殺者も出る。
 U2に『ONE』という曲がある。♪ぼくらは一つだが、同じではない。
 三敏さんのリズムと、仕立て屋との落差がありすぎた。
 新入社員の元カメラマンが言っていた。あの悪魔(設備の方の寄生虫)といると、シャッターを押せなくなる。悪影響を受けて、フラットな気持ちでいられなくなる、と。
 江波杏子が死んだね。当時、そう言ってきたのは三敏さんだった。
 「斉藤耕一の『津軽じょんがら節』とかね」
 監督名である「斉藤耕一の」というところが、心憎い。
 三敏さんに何もしてあげられなかった。
 もう、仕立て屋の暴力は忘れているであろうか。それとも、ときどきは思い出しては、胸の中で古傷がうずくであろうか。「ワン・ラブ、ワン・ライフ」と歌う『ONE』。なぜこの歌を聴くと涙が流れてくるのか。仕立て屋には分からない。仕立て屋には味わえない。だけど三敏さんなら味わえる。より、たくさん分かる。
 『ONE』では、いきなりこう歌われる。
 「これが君の気持ちを軽くするのだろうか。君は今、誰かに責任を取らせようとしているのに」
 三敏さん。あなたは悪くない。何も悪くない。あのバカの攻撃を耐えきった。これがあなたの気持ちを軽くするのだろうか。あなたは今、誰かに責任を取らせようとしているのに。何も出来ないということのつらさ。
 「あなたが現場で、何とかしてやれないの?」
 必ずや妻はそう言う。自分(妻)自身が気の弱い方だから、気の強い、とくに男の人には絶対に、正義をふるまってほしい、と。悪い奴の意のままにしないでほしい、と。私だって、実はいつも強気なわけではない。むしろ弱気な方が多い。だけど、妻にそう言われて、少しは動く。
 妻は私と同じ墓には入らないという。それでもこの先、離婚をすることはないのではないか。駆け落ちして三二年が過ぎた。愛されていると思う。墓には一緒には入りたくなくとも。『ONE』の歌詞みたいだ。
 三敏さん、今度会おう。
 小さくとも勝利報告をするよ。
(建築物管理)







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