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評者◆凪一木
その14 遭難フリーター
No.3415 ・ 2019年09月14日




■ビルメン世界で人気の高い本なのかはわからないが、別々の職場で私は、同じ本を勧められた。『遭難フリーター』(岩淵弘樹/幻冬舎アウトロー文庫)という就職戦線から零れ落ちたアウトローの話だ。
 本を勧めてきた一人は新潟市出身の「田舎の元シティボーイ」。私より一つ年下で、車のエンジン音が三度の御飯よりも好きで、ヘビメタ大好き男でもある。布団を乾燥させる巨大な工場のエンジニアだった。五〇歳を過ぎて、ピアノの調律師になりたがっている。風貌は、広島カープで活躍した衣笠祥雄そっくりだ。
 もう一人は横浜生まれの横浜育ちで、木こりになりたくて、郵便局員を辞めた。林野庁の仕事に就くも、契約内容とは話がずいぶんと違ったようで、ビル管に流れてきた。私より一〇歳ほど下で、一人キャンプや一人登山といった一人行動を基本としている。雰囲気は太った田中邦衛みたいな男だ。
 どちらも独身。未婚である。モテないタイプではない。だが、モテるタイプでもない。オタクではないが、体育会系のやんちゃな部類でもない。共通してハッキリ言えることは、帯に短し、たすきに長し。バカでなれず、利口でなれず、中途半端じゃなお悪い。という点だ。
 われわれ世代(私は六二年生まれ)には、就職時期に、どうしようかという大命題のようにして立ちはだかった青春の塊がある。八三年公開の映画『竜二』だ。私は浪人三年目で観た。暴力の世界でそれなりに「顔」を売っていた男が、妻とその家族に泣きつかれてやくざの足を洗う。堅気になるわけだ。だが、そこはそこ、サラリーマンの世界もそれなりに厳しい。そこでやくざに戻ろうと考える。だが、実際のところはやくざの世界さえ帰る場所などない。どっちつかずの男は、闇に消えていく。
 どっちつかず。二兎を追う者は一兎をも得ず。虻蜂取らず。一も取らず二も取らず。花も折らず実も取らず。これらはビル管という職業そのものを表している言葉である。ホワイトカラーなのかブルーカラーなのか。技術屋でもなく、単なる御用聞きともいえない。資格はあるが、ボイラー、電気、給排水、空調、そのどれについても専門職ではない。
 私の今書いているこの文章と『遭難フリーター』(以下『遭難』)とはどう違うのか。『遭難』は、まだ二〇歳の青年が社会も知らず未経験の中、ブラック企業に迷い込んで、いくらでもやり直しのきく状況で、将来や現実を憂えている。
 こちらは六〇歳を間近に佇み、いや私の周りで『遭難』を読み耽り、私に勧めてくる連中は、少なくとも四五歳以上の「高年齢者」であって、時に怒鳴られ、時にまったりと過ごし、取得してもほとんど役に立たない資格勉強に明け暮れるか、ネットサーフィンを繰り返し、どっちつかずの夜の海を泳いでいる。中途半端という名の昼の砂漠で寝ている。
 実は、私は、この原作者と会っている。映画の試写で、当時いっぱしの映画評論家面をしていた私は、上映後に、小生意気なアドバイスをしていた。今考えると、上から目線で、自分の方は「物書き」として、一生「やっていける」と少なくとも思っていた。他の職業になど、少々のアルバイトならばともかくも、まさか本気で「就職」するなどとは思っていなかった。
 それは、布団工場のエンジニアや林野庁の木こり志望の男にしても、或いはここにいるビル管のほとんどすべての奴らにとっても、当てが外れ、思惑とは違う、予想外の人生に躓き迷い込んだ点では同じであろう。
 『遭難』の著者は、その後サラリーマンへの就職はせずに、ドキュメント映画の監督として、「堅気とはならずに」生きているようだ。この著者の見た世界は、「経験」としての、いずれはオサラバする(病気を患っての)「入院期間」や(罪を犯しての)「入所期間」である。とにかく、あとから第三の地点から客観視できる場所であり、時期である。
 だが、ビル管にいる男たちは、体力気力も衰えた、チャンスも途絶え、期待もされず、実力も枯れ、能書きばかりが達者な使い物にならない連中がほとんどである。
 高校時代に、『さらば、わが友 実録大物死刑囚たち』という映画を観た。そこでは、死刑囚なのに、ウサギ飛びを繰り返している男がいる。「外」(娑婆)に出るいずれかの時のために身体を鍛えているのだ。政治犯で、周りの凶悪犯たちから見ると華奢な身体で、頼りなく、暴力の世界にいる一人だけ異色のインテリというか、そこの住人からしてみると、「得体の知れない」奴、というわけである。実際のところ、何を考えているのか分かりづらいし、周りの連中からは興味も示されない。
 或る時、外でハイジャックが起きる。ウサギ飛びの男を釈放しろという要求である。政府はこれを飲み、ウサギ飛びは、ヘリコプターで迎えられる。チャールズ・ブロンソンの『ブレイクアウト』のごとくに、中庭から空中高く飛び去っていく。
 下から口を大きく開けて見上げる連中は、それぞれに呟く。
 「からだ、鍛えていたんだ…」
 「ここから出ることが出来るんだ…」
 小平裕という映画監督が、今の私の最大の友人というとオコガマシイが、最も頼りにしている親のような人である。東大卒業のインテリでもある。小平さんに今の状況を、悩みを、会って話す。気分としての私は、刑務所の中で、ヘリで飛び立つ直前のウサギ飛びをしている男なのだ。
 会社の隣にいる若い男から、バカにされ、ひどい扱いを受けている。
 「そいつが一木ちゃんのことを分かるには、今日明日では無理だぞ」
 「どのくらい掛かるんですかね」
 「一〇年は掛かるよ」
 「一〇年後には、この現場にどっちもいないから無理じゃないですか」
 「そういうことだ」
 ヘリで飛び立った時に初めて分かる。いや、分かるわけでもなく、少々まともな誤解をするだけであろう。
 高校時代も、あの高校から飛び立とうとしていた。同級生たちとは違うと思っていた。彼らは、それぞれに、少なくともビル管をしている者などいない。未だにウサギ飛びを繰り返しているのが同期の中では私一人のはずだ。
 そして、また現れる。
 「この本読んだことある?」
 本を貸してくる男もまた、私と同じく、たいていは若い奴にいじめられている。
 ヘリを夢見ている。
(建築物管理)







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