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評者◆中村隆之
オルフェウス的冒険の書――山口昌男の遺した仕事の驚くべき鉱脈にいまさらながら圧倒されている
アフリカの神話的世界
山口昌男
No.3428 ・ 2019年12月21日




■山口の人類学的仕事のうち、アフリカ関係を改めて確認したくなり、最初の単著『アフリカの神話的世界』を読み直すことにした。そして、この本の周辺を探ろうと、『山口昌男 人類学的思考の沃野』(東京外国語大学出版会)を当たってみて次の事実にまず驚いた。 
 山口は1971年、『アフリカの神話的世界』を1月に出版したのち、矢継ぎ早に『人類学的思考』(3月)、『本の神話学』(7月)と、山口文化学を語るうえで不可欠な重要作を出版していたのだ。
 これを機会に『人類学的思考』の初版(せりか書房版)を取り寄せた。A5判箱入りで580頁に50本の文章を収めた、噂に違わぬ圧倒的分量であり、アフリカ関係の貴重な論考や、ナイジェリア滞在時に書かれた文章などを収めている。なぜナイジェリアかといえば、1963年から2年間、山口はイバダン大学でナイジェリアの学生を相手に人類学を教えていたからだ。「グローバル人材」などの産業用語が大学業界で頻繁に叫ばれる半世紀前であることを思えば、この挿話ひとつだけで山口の規格外のスケールが伝わってこないだろうか。
 そのようなわけで『アフリカの神話的世界』はナイジェリアをはじめとするアフリカ各地の現地調査に基づいた本格的な著作だ。山口が興味を抱いたのは、特定の民族の研究を超えて、アフリカの人々が共有する想像力の世界、つまりは、口頭伝承で語り継がれる説話世界だった。日本ではフランス文学をはじめとする高尚なハイカルチャーに人々が憧憬を覚えるなか、山口はアフリカに暮らす人々の記憶のなかの物語を収集することを率先しておこなった。こうして『アフリカの神話的世界』には、本人が実際に聞いて収集したもののほか、先行する欧米の人類学者が記録したものをふくめ計46話分の神話・昔話が圧縮して収められることになる。
 ところで不思議に思うのは、本書がなぜ200頁足らずの新書の体裁で出版されたのかである。山口は当時39歳、しかもデビュー作で新書だ。いまの感覚なら、売れっ子の書き手や売れそうなテーマがデビュー作の新書企画になりそうなものだ。たしかに昔話を題材にしているから読みやすいは読みやすい。しかし、46話分を詰め込んでいるのだから、通読するのには実はたいへん時間がかかる。
 しかも、本書で用いられるのは、当時においては先端的であったはずの構造分析の手法だ。複数の説話を比較し、その形態を類型化することで、各地で語られる昔話・神話に共通する隠されたメッセージを読み解くという手法だ。いまでこそプロップの名著『昔話の形態学』(水声社)が日本語で読めるわけだが、当時の日本では目新しい方法論だったのではないだろうか。そして、この物語分析をつうじて著者が明らかにしようとするのが、アフリカの口頭伝承のうちに見られる「神話的思考」であり、これを特徴付けるキャラクターこそ、やがて山口文化学の代名詞となるトリックスターにほかならない。
 トリックスターは、アフリカの民話においては野兎、蜘蛛、亀といった動物の姿をして登場する。第1章で紹介されるザンデ族の物語に登場する蜘蛛のトゥレを例にとろう。短めの話を引用したい。

 トゥレは、母方の叔父アバレ族(ザンデ族の一部だが、違った言葉を喋る)のところへ出かけていった。彼らは鉄を打って鍛治で仕事をしていた。彼らはトゥレに挨拶した。トゥレはふいごを押して彼らの仕事を手伝った。このころ人々はまだ火というものを知らなかった。仕事が終るとトゥレは「明日の朝踊りにやって来ましょう」といった。翌朝トゥレは家にあるすり切れた着物用獣皮をいっぱい身に纏うと、アバレ族のところへやって来てふいご押しを手伝った。しばらくすると立ち上って、炉のところへいき、火を跨いで立った。すると火は獣皮に燃えうつった。人々は火を消そうとやっきになった。さあ大変というわけで、トゥレはあたりを駆け回りはじめて大騒ぎになった。トゥレは一目散に枯草の野に駆け込んだので火はあたり一面に拡がった。トゥレはなおも駆けつづけたが、立ち止って火に唱いかけた。「俺はどんどん行くよ/お前が薪の山にとどまって/皆が誰もがもつようになるまでさ」火はこうして皆の間にひろまったのである。

 一読してわかるとおり、ザンデ族における火の由来を語っている。トゥレは道化のように立ち回り、鍛治仕事をするアバレ族から火を盗んでザンデ族のもとに届けている。このように異界や異人の有するものを蜘蛛のトゥレが策略を練って人間のもとに持ち帰るというパターンはザンデ族に見られる説話構造だ。トリックスターとは、まずは狡知を働かせるいたずら者であり、トゥレのこの話のように、ときに文化英雄(神と人間、混沌と秩序の中間に位置して両者を仲介する存在)の役割をも備える存在だ。
 ところでこうした分析は、ややもすれば無味乾燥なものになる。山口は当然これを自覚しており、だからこそ本書を具体例で埋め尽くした。しかも、その具体例から論理操作をおこなうことにも自覚的だ。『人類学的思考』のなかで山口はこう述べている。
 「対象とする文化の全体としての特殊的・論理的形態を明らかにすると称し乍らも対象の中に研究者自身の論理的枠組を投射する危険に人類学者は常に曝されている」。
 その一方で対象の中に没入したら研究は不可能だ。山口の考える人類学者とは、「向こう側」の世界の神秘を垣間見ることでそこから「こちら側」の世界に帰還しなければならない。この「オルフェウス的宿命」の自覚こそが山口の人類学的仕事の出発点をなしている。
 この意味で『アフリカの神話的世界』は「向こう側」(彼岸、異界)の世界を垣間見た山口昌男のオルフェウス的冒険の書だ。そして、現地調査のあいだ、異人であったのは当然山口のほうだ。山口がアフリカにおける「神話的思考」と名付けたものが何だったのかを、本書の叙述に垣間見られる「向こう側」の記述から想像してみたい。
 周知のとおり、20世紀前半のアフリカ大陸は西欧列強の支配下に置かれていた。植民時状況下、異質なヨーロッパ文化がアフリカの伝統文化に侵食していくなかで、先に述べたザンデの人々のあいだで自然と新しいトゥレ話が語られるようになった。
 ザンデの人々はトゥレの話を子供たちに語って聞かせる。だがだれもトゥレを見たことがない。しかしトゥレが実在するのをザンデの人々は知っている。そのトゥレは姿が見えないのだからきっとどこかに消えてしまったのだ。どこに? ヨーロッパ人のもとにだ。ヨーロッパ人が作ったものは、実はすべてトゥレがこしらえたものなのだ。ヨーロッパの技術はすべてトゥレに由来する以上、ヨーロッパ人はザンデの人間からトゥレを隠しおおさなければならない。
 「これは、アフリカ人の論理の中にヨーロッパ人の存在も組み込んでしまう愉快な説明原理である。つまり、ヨーロッパ人の優越性をトゥレというザンデ側の文化英雄で説明してしまう。[…]ザンデ人達も、技術的に圧倒的に優越したヨーロッパ人支配の植民地体制という馴染みにくい、手触りのよくない不可避的状況を、トゥレという彼らに最も親しい、世界の中の異質なものの体現者というイメージの中に取り込むことによって、彼らの世界が二つに分裂してしまうことを回避する“精神の政治学”に応用したのである」(『アフリカの神話的世界』)。
 トゥレの実在性は問題ではない、と著者は言う。なぜならトゥレは話者が語る物語の時間体験のうちにたしかに実在するからだ。こうして新たに発明されたトゥレの現代的物語をつうじて、ヨーロッパ人による植民地支配がもたらす精神の危機を、ザンデの人々は回避できるのだ。なんと深い知恵(神話的思考)だろうか。
 口頭伝承の世界を論じた『アフリカの神話的世界』と対をなすのは、ヨーロッパのもうひとつの知の鉱脈を無数の書物からなる宇宙から再発見していく『本の神話学』(岩波現代文庫)だ。口頭伝承と書物の世界を縦横無尽に往還する山口文化学は、1971年の登場とともに途方もない「沃野」を示していた。そして、それはいまだに汲み尽くしがたい。(フランス文学)







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