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評者◆秋竜山
夫婦哲学、の巻
No.3432 ・ 2020年01月25日




■〽ウチの女房にゃヒゲがある……。と、いう歌が流行した。子供まで大きな声でうたった。これは、単なるコミック・ソングではない。夫婦の正しいありかたを如実にいいあてた歌として流行して当然ではなかったか。そして、ウチの女房にゃヒゲがあるということは何を意味するのか。亭主がこぞって歌ったのは一つの真理追究であり、夫婦というものについて深く考えさせられる夫婦哲学を秘めていたのであった。私は、この歌を口ずさんでいる時は子供であったから、この歌の真意というものもわからず、うたっていたのであった。そして、今になって、「そーだったのか」と、ハッキリしたのである。大野晋『日本語練習帳』(岩波新書、本体七八〇円)によってであった。
 〈つまり、日本語の社会で最も古く根源的なのは、人々が、近いか遠いかを軸にして人間関係を考えることでした。上か下かの認識を大切にするのは、古墳時代以後の漢字文化の輸入による社会の階層化、家父長制的社会制度の成熟と関係があるようです。ところがこの上下関係でとらえる仕方は日本の最古の形ではないと思われます。〉(本書より)
 人間は上下関係によって生きていることはよくわかる。それが世の中というものであるということは、人間の本来の姿であることも。人間の上下という成り立ちも誰のせいでもないだろう。神がつくったものか。上下のない人間関係の中では人間は生きることはできないのである。そして、そのような関係の中で、自分はどうであるか。上であるか下であるか。上であったり下であったりするわけだ。初対面の人に会った時、握手しながら、「コイツは何者だ。上か下か」。もちろん、自分にとってである。相手も同じことを思っている。そして交友関係がうまれる。どのような関係であるか上下関係はすぐわかる。ウチの女房にゃヒゲがある。という歌の文句は自分の女房のことをうたっていることである。
 〈近畿地方を中心に西日本では、女房や子供が一人称としてウチを使う。ウチは内であり、家であり、自分であるわけで、東京でも自分の家をウチといい、「ウチの学校では」「ウチの会社では」と一般的に使う。相手をウチの人だと思うと急に親しくなり、特別の便宜をはかり、相手をソト者と思うとはっきり別扱いします。それは古い体制の名残なのです。つまり、日本語社会では、人々は相手が自分に近いか遠いかについて鋭い感覚、区別をいつも内心で持っています。〉〈これが敬語の基礎の一つです。その人間関係のとらえ方に、はっきり反応し適応しないと、即座にあの人は常識がない。モノを知らないと仲間外れにされます。〉(本書より)
 亭主は「ウチの女房」と、いう。女房も「ウチの亭主」と、いう。ウチとは自分という意味であるから、「ウチの女房」は、「俺の女房」であり、「ウチの亭主」は、「あたしの亭主」であるということだ。誰の女房でもない俺の女房であり、誰の亭主でもないあたしの亭主である。そして、夫婦とは平等関係の中にある。そして、女房の悪いのも、みんな俺が悪いんだ。亭主の悪いのも、みんなあたしが悪いんだ。で、うまくおさまるはずだ。ところが曲者は二人の「心」だ。心ほど上下関係を好むものはないのである。







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