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評者◆石黒健治
死と写真の回廊②――志賀理江子‐4 「殯の空間」 『人間の春 HUMAN SPRING』
No.3432 ・ 2020年01月25日




■弔から喪へ、そしてようやく、どうにか、『人間の春 HUMAN SPRING』の会場へたどり着くことが出来たようだ。
 巾270cm、高さ180cm、厚さ78cmの土壁のような立方体が20台。斜めに並んでいる。天井を含めて5面を写真が覆っている。観る人はその間をさまようような仕掛けになっている。
 大きな墓碑が立ち並ぶ墓地のようでもある。
 迷路のようでもある。出口はたくさんあるが、観る人はなかなか出ることができない。
 分断された防波堤にも見える。
 津波そのものにも見える。
 写真には饒舌な志賀さんならではのタイトルが付いている。例えば、夜、浸水地帯を泥をかぶった3人が逃げていく写真には、「人間の春・もっと遠くへ」、居間の中へ泥やら庭木やらがなだれ込んだ写真には「人間の春・実験A」、60皿か80皿か無限の料理を並べて暗闇で食べている人たちの写真には「人間の春・リメンバーミー」、合唱隊の歌うメンバーが繰り返し出てくるが、タイトルは「人間の春・皆違う歌を歌う」。すべて残酷で否定的な皮肉に満ちている。
 これはもう戦場のようだ。
 実際に戦場を見たことはない。映画で見たベトナム戦争時代のアナログな、肉切れが飛び跳ねる壮絶なハンバーガーヒルのイメージだ。
 鳥葬の岩石台のような。
 鳥葬は見たこともない。志賀さんの食物連鎖の考えから連想するだけだ。
 当然ここには死はない。生も死も、津波が奪い去ったあとの、残骸が散乱する村落だ。神の火に焼かれたソドムの町のような。
 これが、志賀さんが〈肉体を伴って見た〉もの、「結果的にはわたしを打ち破って救った」情景なのだろうか?
 われわれは、既に志賀さんからレクチャーを受けていた。「展示室は墓になってはいけない……辿っていくと、殯に行き着きます」。
 弔から喪へ、そして殯へ。
 殯は、本葬の前に、つまり墓へ行く前の屍体を仮に保存することである。その屍体を置く殯宮は、死者に決別を告げられた、さまよえる生者の、悲鳴と嗚咽と祈りとが鳴り響く場である。
 『美しい顔』の少女が母の遺体を見つけて、「虐待されている動物のようにオウオウといつまでも喉から漏らしながら、両手を拳にして自分の胸を叩き、膝を殴り、顔を殴った」体育館も、死骸が次々運ばれてところ狭しと並ぶ殯宮だった。
 石井光太氏の『遺体』の、検体する医師の絶望感が生まなましい遺体置き場も全く同じだ。
 展示室は殯宮か? まことに残酷な殯宮だ。

 『人間の春』の写真には死が写っていない。
 あらゆる写真には、スペクトラム、すなわち死者の幻影がうつっている、という『明るい部屋』のロラン・バルト氏に従えば、志賀さんの写真は写真とはいえないことになる。
 最初から死が写っていなかったわけではない。志賀さんは写真に映り込んだ死を追い出すことに賭けて、技術と努力をつぎ込んだ。必死に大きな穴を掘り、写真を焼いたり、レイヤーをかけたり、相当の力業だ。結果はB級ホラーといわれたが、C級でもD級でも、写真が死を内包していることは許せなかった。「写真は生、というのは唯一いえる確かなこと」なのだから。

 そして振り向けば、熱に冒されたような赤ら顔の男がこちらを見ている。2年前、『ブラインドデート』で見かけた男だ。何かを訴えるようでもなく、何を見ているのかわからない視線。
 彼はゴーストか? それとも彼が生か?
 「毎年春、桜が芽吹く数日前に、まったく別人になる人」で、彼こそが「永遠の現在」らしい。
 「永遠の現在」とは過去と未来の境がほとんどない躁状態の人が持っている感覚=てんかん症の発作のことだと説明がある。ちなみに、人間の心理的時間感覚は、祭りの前が統合失調症、祭りのあとが躁鬱症的、祭りの最中がてんかん的、だそうである(臨床哲学・木村敏氏)。
 赤い顔の男は、まがまがしい悪夢の映像の、それぞれ背中合わせにいる。図録の写真集では必ず左ページにいて、読者の目を左右に泳がせる。
 雪国の或る日、春が、奇蹟のように現れるとき、赤い顔の男が顔を出す。それは喪が明けたハレの日のしらせだろうか? 喪は魂の蘇生を待つ意味もあるのだが――。
 「永遠の現在」の青年は、最も多くのレイヤーを重ねて作られた。その結果、おそらくその視線は曖昧になって、弱められた。
 壁の椅子に座り、首を回して見渡せば、地獄のB級ホラー的映像を背負った何人もの、
 ――あの深い眼差しの『ブラインドデート』の少女がいた。
 ――一瞬、波にのまれていく幼な友だちの広子ちゃんを見る『美しい顔』の少女がだぶって、消えた――。
 (馬鹿げた妄想と叱られたら詫びるしかない。)
 『美しい顔』の少女は、下半身に布を巻きつけ半分だけ残った顔に美しく化粧された母をあとに、殯宮から日常へ出て行く。「永遠の昨日」と、北条裕子さんがいう。
 ――『人間の春』の観客は「永遠の現在」の彼に見送られて、殯宮を後にする。

 『人間の春 HUMAN SPRING』は、ひたすら〈地獄を見て〉、それを記録するドキュメンタリーだった。
 それは、3日後に被災地へ入ったノンフィクション・ライター石井光太氏の『遺体』の〈記録〉の仕事に近いように思われる。
 インスタレーションの最大の成功例はお化け屋敷だというが、志賀さんは次のステージでも、『リリー』『カナリア』以来の方法と技術を使い続けるのだろうか。
 清水穣氏がエールをおくる。
 「志賀理江子は――ストレートであろうとピクトリアルであろうと――写真家ではなく、イメージの演出家である。(中略)ワンパターンのエフェクトに囚われたままでいる必要はないはずだ。そろそろ意識的に卒業しても良いのではないか」(清水穣「写真の意味、あるいはB級ホラーの演出」)。
 卒業とは、「二度と絶対に嫌だけど、でも逆にあの時間が体から消えてしまうのが怖いのです」と自身が語る、あの津波の非日常からの卒業のことだろう。

 『ブラインドデート』の少女が見ていたものは、志賀さんでもカメラでもなく、目に見えない現実だった。
 志賀さんはとっくに気づいている。死を内包しない生がないように、死を追い出した「写真は生」は無惨な形骸だということを。
 そして、あの恋人の背中を抱くバイクの少女たちも、志賀さん自身も、日常の津波の被災者だということを。
*丹羽晴美さんには『人間の春』開催中にお話をお聞きしました。
(写真家)







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