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評者◆中村隆之
アフリカ文化の連続体を描出――死者が生者とともに在るという思想は、人間社会の存続において根幹にかかわる知恵であったのではないだろうか
アフリカの魂を求めて
ヤンハインツ・ヤーン著、黄寅秀訳
No.3436 ・ 2020年02月22日
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■文化接触をつうじた相互変容という観点からサハラ以南のアフリカ系文化を論じてきた著作の系譜をたどっていくと、1970年代に訳されたヤンハインツ・ヤーンの『アフリカの魂を求めて』(せりか書房)の重要性に今更ながら気付かざるをえない。
筆者がクレオール文学に出会い、なかでもエドゥアール・グリッサンに興味を覚えて研究のまねごとを始めた20世紀末には、クレオール文学に先行するネグリチュード文学が話題となることがあっても、ヤンハインツ・ヤーンの本書が再注目を浴びることはなかった。 ところが、アフリカ系文化全般を視野に入れた筆者の研究過程で実感してきたのが、クレオールの思想をアメリカスにおけるアフリカ的なものの継承と変形という人類学的観点から史的に捉えることの圧倒的な重要性だ。拙著『カリブ‐世界論』(人文書院)を執筆したさいには植民地化以後のアフリカは視野に入っていたものの、奴隷貿易以前にまでは思考が及ばなかった。振り返ればこのことは、グリッサンが奴隷船におけるアフリカからの断絶の経験を強調してきたことと無縁ではない。 本書の著者ヤンハインツ・ヤーン(1918‐1973)は、ドイツの著述家であり1951年にフランクフルトでネグリチュードの詩人にしてのちのセネガル大統領サンゴールと出会ったことを契機に、サハラ以南アフリカ文学をドイツ語で本格的に紹介したことで知られる。『アフリカの魂を求めて』の原書はドイツ語で58年に出版された。原書からの忠実な題名は『ムントゥ』、バントゥ系言語のうちで「人間」の単数形を意味する。ちなみに本訳書は76年に出版されたが、それ以前から本書に着目していた山口昌男は、「アフリカの知的可能性」(67年)や本連載17回で取り上げた『アフリカの神話的世界』(71年、岩波新書)で本書の議論を先駆的に紹介している。 本書は、マリノフスキーが『文化変化の動態』(63年、理想社)で示した「文化変化」の概念、すなわち、ひとつの文化は異文化との接触をつうじて変容を遂げるという視座を出発点にしつつも、アフリカにおけるこの現象にたいして、マリノフスキーよりもいっそう積極的意義を見出した。ヤーンによれば、アフリカは西洋の植民地化を被ってきたが、この文化接触をつうじて、アフリカは支配者の文化を自分なりの仕方で積極的に取り込み、伝統を継承しながら新たな文化を形成しているのだ。 この「新アフリカ文化」の観点から、ヤーンは宗教、舞踊、哲学、造形、文学、音楽など可能なかぎり体系的に、アフリカからアメリカスに至るアフリカ文化の連続体を描出しようとする。なかでも改めて着目したいのは、バントゥ哲学に示されるような世界観である。 先ほど記したように原書の題名の「ムントゥ」は人間の単数形であり、これを複数にすると「バントゥ」すなわち「人々」を意味する。「ム」が「バ」となって複数化することから「ントゥ」が語幹であることがわかるわけだが、「ントゥ」とは普遍的な力を示している。この普遍的な力が「人間」として発現すると「ムントゥ」となる。このようにバントゥの世界観では普遍的力が言葉(ノンモ)をつうじて世界に発現すると捉えられる。しかも「ムントゥ」とは言葉(ノンモ)を統御する力のことであることから、ノンモを介して力を発現しうる存在のうちには、生者のみならず、死者や精霊もまたふくまれるのである。 この人間観に示されているように、アフリカの伝統的な思考において死者は、生者の世界に霊的力としてとどまる。この考えにおいては子孫の繁栄が決定的に重要であり、家系が途絶えないかぎり、死者は生者とともに生き続けるのだ。 こうした考え方は一見すると馴染みにくいかもしれないが、考えてもみれば日本でも、お彼岸の時期には、死者はこの世に戻ってくる。近代科学は霊魂を否定し、死を物理現象に還元して説明するが、近代科学を説明原理とする現代においても、埋葬という古来の儀式が決してなくならないように、死者が生者とともに在るという思想は、人間社会の存続において根幹にかかわる知恵であったのではないだろうか(この観点からすると、近年の「反出生主義」という問題提起は今日的要請から一考に値するものの、人類史の無限の過去を顧みない一種の倒錯である気もする)。 アフリカ的要素の存続については、宗教(ヴードゥー)、舞踏(ルンバ)、音楽(ブルース)をつうじてアフリカ的要素を存続させつつ支配者の文化を取り込んでいく過程が描かれている。ヤーンによれば、ハイチのヴードゥーやキューバのサンテリーアはキリスト教をむしろアフリカ化した宗教であり、ルンバはアフリカの舞踏のリズムの存続であり、ブルースの歌は情緒を作り出す言葉(ノンモ)だ。 この広域的アフリカ系文化論において重要な概念となるのは、バントゥ哲学の4基礎概念のうちのクントゥ(様式・様態)となるのだが、この点は紙幅の関係上指摘にとどめ、本書の時代背景をなしていたのが、アフリカの脱植民地化運動だったことを簡潔に喚起しておきたい。独立への機運が高まっていくなかでアフリカ発の文化の重要性が、アフリカ系知識人のあいだで広く共有されていた時代であり、『プレザンス・アフリケーヌ』という雑誌がその中心的媒体であった時代だ。そしてこの時代のアフリカ系文化の総力的解明から、山口昌男は「アフリカの知的可能性」を野心的に提示して見せたのだった。 それとともに、訳者である黄寅秀が記した次の言葉は、何度も想起すべき肝要な事柄をふくんでいる。 「私は、日本に在住する朝鮮人のひとりとしての自らの体験に照[ら]して、また、アメリカの黒人たちによって書かれたものを読む過程で、いくつかの問題について考えるところがあった。……植民地時代に強制的にこの国に連行された朝鮮人や中国人たちの場合と同じように、アメリカへ拉致されてきた奴隷たちは、彼らの文化を乗船と同時に抛棄したわけではなく、それどころか、自己の独自な文化を新たな環境に適応させながら、あくまでもそれらを維持し、それらに固執し続け[中略]、さらにそれは、圧制者たちに対する抵抗のたたかいの精神的基盤となった。だとすれば、アフリカの文化的遺産は、彼らのつくりだしたもの――音楽、舞踏、民俗文学など――のうちに、どのような形で表現されているのだろうか」 ひとつの作品、ひとつの翻訳の成立の背景には、書き手ないし訳者のこうした実存的意図が込められている場合がある。アフリカ系の人々の歴史に触れるとき、20世紀日本の侵略戦争による朝鮮人や中国人たちの離散を重ねあわせて読むという複眼的な読み方は、過去の恣意的忘却に基づく愛国主義的言説に取り巻かれる現代日本社会にこそ必要だと言えないだろうか。 (フランス文学) |
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