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評者◆稲賀繁美
象徴としての公共建築と植民地時代の記憶を宿した都市空間と――全鎭晟著『虚像のアテネ――ベルリン、東京、ソウルの記憶と空間』(佐藤静香訳、法政大学出版局)――著者との会話から
No.3438 ・ 2020年03月07日




■ベルリンのポツダム広場は、バブル絶頂の頃にはソニー・プラザとも呼ばれ、再統合後の首都再開発のシンボルとなった。東独時代には戦災の傷跡が放置されたまま、荒地同然であり、壁のすぐ西側に斬新な大コンサート・ホールが建設されたのとは、酷い落差を晒していた。そのPotsdamer Platzからほど近く、Hiroshima Straßeと新たに名付けられた短い通りには、不釣り合いなほど広壮な敷地に、これまた巨大な日本大使館が威風を湛えている。再統合とともに、ボンにあった施設が移設されたもので、劣らず壮大なインド大使館が隣接する。戦前にUnter den Lindenにあった日本公館の再生復活である。森鴎外が「普請中」と呼んだ明治日本から三国同盟の樹立にまで至る、「帝国」の記憶が立ち籠める。
 このベルリンの日本大使館と戦前の京城に建てられた総督府とを並べてみると、どうだろう。大日本帝国の半島への侵出と、その延長上の政治過程が、そこに凝縮されている。総督府の基本設計はゲオルグ・デ・ラランデ(1872‐1914)によるルネサンス様式で、10年におよぶ工事の末1926年に竣工する。ラランデ急逝の後、夫人エディータはベルリン駐在の外交官、東郷茂徳(1882‐1950)と再婚する。東郷は秀吉による半島蹂躙で薩摩に拉致された陶工の末裔。極東軍事裁判により無期懲役の判決を受け、服役中に没した。宣戦布告の折に外務大臣の任にあった公人が敗戦により戦犯指定を受けるのでは、外交官の任務遂行など不可能になる――。オランダのレーリング判事はそのように裁判判決を批判した。
 「植民地帝国」日本の屈曲を一身に体現したこの総督府庁舎は、大韓民国の建国記念式典会場となる栄誉にあずかり、国立中央博物館として厚遇されたが、1985年の光復半世紀を記念する年に、金泳三大統領の命により解体された。総督府撤去により、日本の半島支配の負の遺産も一掃され、景福宮城門の跡地には、光化門が鉄筋コンクリートで修復された。1922年に「日帝」が撤去を決定したものの、嘆願により移築された城門だが、朝鮮戦争により焼失していた歴史建築の「復活」である。旧庁舎の消失により、背後に隠されていた王宮越しに、仁旺山を臨む眺望が回復され、風水上の障壁も除去された。この顛末については、サンタ・バーバラで教鞭を取っていた故ペイ・ヒョンイルにも好論がある。
 京城総督府庁舎は、国会議事堂や(偽)満洲國国務院(ともに1936)竣工までは、極東で最も豪壮な公共建築と特筆され、中央ホールには日鮮同祖論を裏打ちする「羽衣」伝説の壁画が和田三造に委嘱された。「偽」満洲國の新京、現在の長春は伯林を彷彿とさせる森の都の風格を備えるが、その都市計画には日比谷公園の造園計画が拡大応用された。背景には、日比谷地区の帝都普請計画の初期にドイツ人建築家が関与した事実も無視できまい。
 そうした「大日本帝国」の建築遺構のなかで、最も特異なのが、旧京城府廰。折衷ルネサンス様式とはいえ、ドイツ歴史主義建築・シンケル様式のテクトニック原理丸出しとも見紛う正面は、2012年に通称「ツナミ」のガラス壁に飲み込まれ、前面はポスト・モダンなお祭り広場へと新調・変身を遂げた。象徴的な「記憶の場」と緑陰の「希望の空間」と。その両者の交錯の裡に、近代の日独両「帝国」における「幻想のギリシア」が透視される。
※全鎭晟Chun Jin‐Sung【著】/佐藤静香【訳】『虚像のアテネ――ベルリン、東京、ソウルの記憶と空間』法政大学出版局、2019年。来日中の著者との対話での意見交換を要約した。







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