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評者◆凪一木
その41 小石先生ふたたび
No.3442 ・ 2020年04月04日




■二〇一九年夏に発売されるや「ベストセラー解読(週刊朝日)」や「ベストセラー街道(週刊新潮)」など各紙誌で取り上げられ、警備員初の話題のノンフィクションがある。
 『交通誘導員ヨレヨレ日記~当年73歳、本日も炎天下、朝っぱらから現場に立ちます』(柏耕一/三五館シンシャ)という。全国におよそ五五万人(二〇一七年末)いる警備員の約四割がこの交通誘導警備員だ。
 〈長いあとがき〉と自ら記す「あとがき」の最後の方には、こうある。
 〈もうひとつ残念なのは感動的な話がないことである。あるいはほのぼのとした話と言ってもいいかもしれない。そんな話があれば本書のアクセントにはなったことだろう。どう考えても私の記憶にはない。〉
 身も蓋もないようだが、これが警備員に対する警備員自身の正直な告白であり、隣で毎日見ている私もまた頷いてしまう話なのである。一言で言うと、詰まらない連中なわけである。
 私は現場の人間なので、この本の行間まで読むことが出来る。字面の裏に、相当に非人間的で、非社会的で、警備員としては余りにも日常的な連中が、各種類登場するのがハッキリと見え隠れする。手心を加えて描いているというよりも、気持ちを強く込めて描いてしまうと、作品自体がかなり汚れて、余りにも醜いものになってしまうと考えて、少し割引いてしまったのであろう。それがよくわかる。ほとんどが態度の悪さと、出来の悪さと、性格の悪さについての話だ。六割五分程度で書いているものと思われる。
 ところがだ。ここに落とし穴がある。神は細部に宿り、美は乱調にあり、人々の本当の生活は「正史」に対する「叛史」である。良く付き合わなければ、彼らの実態は分からない。それは何においてもそうだろう。一見凄そうな人間が浅く、貧困に見える人間から思わぬ奥深さを見せられる経験は、人生五七年でもう、ほとんど珍しいことではない。
 俳優の大杉漣に似ている知り合いは、警備会社(交通誘導では日本一の会社らしい)の先日の幹部集会で、こう言われた。「人間と思うな、石ころと思え」と。
 警備業界の下位に位置する我々は、ホームレス寸前の人間を集めてきてはピン撥ねして儲ける世界であり、貧困ビジネスよりはましであろう、というわけである。
 六五歳の漣さんは住むところがなく、会社の寮にいるが、六万八〇〇〇円取られている。だから手取り一〇万円いかない。ぼったくりではないか。それでも幹部で、しかも「人間と思うな」と言われるのである。はじめ漣さんは悪徳商法の訪問販売で高額の給料を貰っていたが、他人をだましていること自体のストレスで心身を壊された。以後は警備一色の風来坊生活をやってきた。実はインテリだ。警備の辛辣な内情に詳しく、また温かさもある。かつて給料が「振り込み」ではなく、手渡しの時代に、現場が遠くて、交通費も出ないために、来ることが出来ない従業員たちがいた。漣さんは、その人たちに車で配って回った。それが理由でクビになった。また別の警備会社へと移った。
 漣さんによると、寮が存在するほど、弱小の警備会社であるという。またタクシー、雀荘、ソープ、警備が「寮」のある四大職場だという。漣さん自身、持ち金三〇〇〇円のホームレスのとき警備に採用された。さらに入社祝い金が貰えるという世界だ。交通誘導は、大手はやらないという。業界トップのセコムに至っては、施設警備すらやらない方向で、募集も、他の警備会社にかつて勤務した経験者は採用しない。業界第二位の綜合警備(ALSOK)も少数精鋭型にして単価を上げる方向に切り替えているという。警備会社の大手で交通誘導をやっているのは、帝国警備故障(現・テイケイ)だけで、帝国には、「帝(みかど)警備」という老人部隊の別会社があるそうだ。腰が曲がっていても、頭を下げられるなら雇うという。警備業界内部においても、格差が広がっている。
 ところで以前書いた小石先生である。何てことのない人物であり、何てことのない人物としか言いようのない男である。現場で完全に石ころ扱いされている。彼は毎日怒られ、怒鳴られ、ひどい扱いを受けているが、それに対して一切の努力をしないこともまた事実だ。仕事自体を舐めているのかというと、そうとしか見えない。しかし辞めないし、なぜか一家言持っている。
 実は驚いたことがまず一つある。趣味などないのであろうと思われているし、私もそう見ていた。ところが劇団四季の『マンマ・ミーア』を二〇回以上も観にいっている。
 たまたま、「明け(=24時間勤務の後)」の日に、東京駅付近を歩いていたら、「はとバス」の停留所が目に留まったという。そこで、いくつかの日帰りバスツアーのパンフレットを見つける。『マンマ・ミーア』を観劇し、一流ホテルでのディナーという一万五〇〇〇円のコースを申し込んだという。もともとABBAが好きだったからで、それまで、劇団四季はもちろん、その他の小劇場も、宝塚も歌舞伎も帝国劇場も国立劇場もあらゆる舞台を観たことがない。さらに『マンマ・ミーア』以降は、次々と買う。『アラジン』『ライオン・キング』『リトル・マーメイド』『オペラ座の怪人』『キャッツ』『ジーザス・クライスト・スーパースター』など次々と観にいく。いずれも何度も観に通っている。いつも同じ東京駅で、JR東日本のチケット売り場だという。『ノートルダムの鐘』だけタイミングが合わず満席で観ることが出来なかったことを今でも悔しがっている。『マンマ・ミーア』を「再び上演してくれ」と何度もお願いし、願いが叶う。
 見た目からは想像できない趣味である、と感心した。ただし、小石先生が、かなり残念な人間であることはかつて書いたとおりだ。先日も台風の日に、ともに勤務で泊まったとき、妙なやり取りがあった。
 「この台風で、ホームレスの連中が、流されたら面白いのに。へへへ」
 そう笑って話しかけてきたのだ。
 「そんなに面白いですか」と返したら、「あんな連中、死ねばいいんだ」とかなり真面目に語ってきた。その後の持論は、この無粋な人間のタイプに良くあるパターンである。せっかく、『マンマ・ミーア』を二〇回観ても、これではしょうがないな、と思ったものだ。
 ただし、小石先生には、もう一つ、秘密があった。いずれ書くが、何度も驚かせる男である。(建築物管理)







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