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評者◆凪一木
その42 夏をあきらめて
No.3443 ・ 2020年04月11日




■毎年、夏の甲子園が近づいてくると、地方予選終了の翌日に、『週刊朝日』増刊の、その名も、ただただ『甲子園』というタイトルそのままの本が出る。
 これが発売されると同時に、書店に走り、各チームの戦力分析を赤ペン片手にするのが、私の年中行事だ。過去二〇数年間、私は全試合を見た。そのうち、「全試合を見る」という狂人的行為は途切れたが、それでもほぼ見られるだけ見る。「狂」まで行かなくとも、かなりのファンではある。『甲子園』は、私のように何十年と毎回買っているファンがいるはずで、その通り、売れているのだろうから、毎年増ページされていても、金額は相変わらず、五〇〇円だ。二〇一九年ももちろん楽しみにしているはずだった。だが、全くそうはいかなくなった。
 一〇月六日が「ビル管」の試験日であり、NHK(及びテレビ朝日)の甲子園大会の放送を見ていたら、地方大会から何も勉強することなく熱狂し、その余韻で八月が過ぎ、九月に肝を冷やすという結果になることは目に見えている。だから、『甲子園』は買わなかったし、見なかった。
 阪神の梅野がサイクルヒットを放った日に、『news zero』のゲスト落合陽一は、メインキャスターの有働由美子から「サイクルヒットを知っているか」と聞かれた。
 「知らない」。私にとっては異星人だ。
 あの高校時代の夏、浪人時代の夏、受験勉強もせずに過ごしたあの夏、もし甲子園を「見なかった」なら、私の人生は今よりもずっと薔薇色に満ちていたのであろうか。いや、むしろ、ずいぶんと詰まらないものになっていたのではないか。なにしろ、今の私のような「お勉強」状態を毎年毎年積み重ねて、「世界情勢には詳しくとも、サイクルヒットは知らない」という、落合陽一が出来上がっている。そういう人生が、私は嫌なのだ。
 だが私は、甲子園のほかに、NHKの朝ドラといわれる「なつぞら」を視聴するのもまた諦めた。面白いだろうことは、初めから分かっている鉄板だ。主演の広瀬すずのファンであり、それにも増して北海道物にはひたすらウルサイ私なのである。それを辞退してまで勉強する。つまりは、研ナオコの歌(夏をあきらめて)じゃないけれど、夏を諦めた。
 八月。さらに、とんでもない映画がやってくる。私のアンテナにはピンと来るものがあった。
 そういう映画は数年に一本はある。ロバート・デ・ニーロとアル・パチーノの『ヒート』とか、たまに当てが外れるものもあるが、しかしたいていは、後から観ると、その当たり外れも含めて、どうしようもなく凄くて、そのときに観たからこその映画である。それは公開のときに観なければ、乗り遅れ、結果を知って観るスポーツになってしまう。逃してしまうと、どこかレプリカの絵を見るがごとくに本物じゃない。「偽物」の仮の体験感覚が私にはある。その映画、ブラッド・ピッドとレオナルド・ディカプリオの初共演自体は驚かない。監督のクエンティン・タランティーノも好きな監督ではない。ではなぜ、多寡が二時間程度の映画を観ることが、それほどに惜しいのか。甲子園四八試合を見るのと比較したなら、せいぜいたったの一試合分ではないか。あの、ドラフト会議まで続く興奮に比べたら、多寡が一本ぐらいどうでもいいではないか。
 だが、映画を観ると、余韻がある。下手をすると人生ごと持っていかれる。あの映画を観て人生が変わったという人はたくさんいる。松山千春は一一歳のとき、六七年一〇月になんと岡林信康の足寄コンサートを見る。あのフォークの神様が、北海道の田舎町にまでやってきていた。佐野史郎は地元の米子で、やはり遠藤賢司を見て、フォークに目覚めた。矢沢永吉のコンサート・フィルムにまだ小学生の蘭丸(のちストリート・スライダースのギタリスト)が映っていた。どう出会うか。そこが重要だ。だが、もう五七歳で、甲子園を観て目覚めても、いったい何をするのだ。
 そしてU2である。試験が終わってからの公演で、一次二次とも抽選で外れた。だが、これを申し込むと、試験に落ちるような気がするのである。
 あれも観た、これも観たという人がいる。はっきり言えば羨ましい。だけど、「それでこれかよ」と思う。それでこの程度なのかよ。あれも観た、これも観た凄みは確かにある。だけど、あれも観ない、これも観ていない者の凄みはこちらにあるよ。観ていないのに豊かでいられるという凄みをこちらはどうしたって見せなければいけない。観なかったことの豊かさを。
 なぜ観なかったのか、ということが問題なのだ。人間にはバランスというものがある。身の程、身の丈という言葉もある。夏も終わりを迎えようとしている二〇一九年九月現在、U2三八八〇〇円のチケットは今なお残っている。この金額すら出せないのだ。これが現状の日本人の「貧しさ」だ。もちろんU2にどれだけのファンや観客数がいるのかという問題もあるが、その薄い関心度もまた民度とも言える。一九八〇〇円までのスタンディングならば、あっという間に売れる。簡単にそこまでの金額なら「出せる」。だけど、三八八〇〇円は出せない。これが今の日本人の平均的U2を見る層の姿である。
 U2は、もう来ない、少なくとも「現役感」を漂わせてくることはもうないことを考えると、「今見ておきゃれ」の花園神社みたいな気分も起きる。そしてそこに「行った」ことが重要であることも、阿久悠のビートルズ公演時でのバーでの安い悪態なども考えると、行かなければいけない気持ちも人一倍、誰よりも持っている。しかも私は絶対に、歴史的瞬間を逃さないタイプであると思っている。「オグリの有馬記念」「原田の大ジャンプ」。見逃すともう見ることはできない。あとから、過去の名画を観るように、ユーチューブで映像を追いかけても、手遅れな上に、別の無意味な「おっさんの生理と脳」がむしろ邪魔をする。『山口百恵は菩薩である』とかいうようなオヤジの解釈しかできなくなる。若いそのとき、その状態で、それを見る。
 もう既に金も余裕も持った人間がU2の三八八〇〇円を買って観てもしょうがないのである。このラスト日本U2。これを見ないということは、海外でのU2を見ることができる金額と状況を、いずれ獲得してみせるという決意表明なのだ。
 だがそれは現役感を失ったU2だろう。
 夏をあきらめて。
 いよいよ試験が迫っている。(建築物管理)







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