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評者◆殿島三紀
少年の成長と抵抗を詩情豊かに描き出した傑作――監督ニコラウス・ライトナー『17歳のウィーン――フロイト教授 人生のレッスン』
No.3458 ・ 2020年08月01日




■ニコラウス・ライトナー監督・脚本作品。原作は2012年に初版が刊行され、社会現象にまでなったベストセラー小説『キオスク』(ローベルト・ゼーターラー著)。キオスクというとどうしても駅の売店を連想するが、原題は“Der Trafikant”。タバコや新聞、文房具などを扱う小さな店のことである。ま、キオスクと同じようなものを扱ってはいる。
 1930年代、ヒトラー率いるナチス・ドイツがドイツ国内の権力を掌握し、オーストリアにもその勢力を拡大した頃のウィーンが舞台である。オーストリアは1938年3月13日、当時の首相シュシュニックの抵抗も空しく、ドイツに併合されたが、そんな時代にウィーンにやってきた17歳の少年と精神分析医ジークムント・フロイト教授との出会いと友情、そして少年の初恋と成長を「夢」そのものの幻想的な映像と共に描き出した作品だ。フロイト博士の登場と来れば夢は切っても切り離せない。それが作品中どのような形で表現されるかは一興。
 オーストリアへのナチ侵攻と聞いて、すぐに思い浮かぶのが子どもたちを連れてアルプス越えするトラップファミリーを描いたミュージカル映画『サウンド・オブ・ミュージック』。本作の背景はまさにその時代だ。ザルツカンマーグート(これも『サウンド・オブ・ミュージック』の舞台だった)のアッター湖畔の母子家庭に育ち、母がパトロンである金持ちの恋人と体を重ねる間、湖に潜って小動物のなきがらを愛でるような素朴な少年が主人公である。
 さて、この少年は母の恋人が事故で死んだ後、これまた母の恋人であったらしいウィーンのタバコ屋に住み込みで働くことになる。そこでアッター湖では出会うべくもなかった人々と出会い、恋を知り、恋に破れ、大人になっていく。いわゆるビルドゥングスロマーン(教養小説)、いや、映画だからビルドゥングスフィルムであるのだが、彼を取り巻くおじさんたちがなんとも素晴らしい。まずはタイトルにも出てくる「頭の先生」ことジークムント・フロイト教授、赤のエゴンと呼ばれている共産主義者のエゴン、そして、タバコ屋の店主オットー。少年は恋によって大人にもなるが、そこにはタバコ屋の顧客たち、とりわけ、おじさんたちの存在が不可欠であった。
 あ、その前に、オットーのことを知っていただく必要がある。彼は第一次世界大戦で片足を失くし、ウィーン市内でタバコ屋を営んでいる男。オーストリアのタバコ店はタバコ、新聞、雑誌、文具などの商品を扱う店で通常「Trafik」と呼ばれる。そもそも、中世ヨーロッパで嗜好品となったタバコに目をつけたハプスブルグ家が1784年に国家によるタバコ事業の独占化を進めたのだが、これにはタバコ店の経営権も含まれていた。経営権は傷痍軍人や軍人未亡人などに与えられ、社会救済的な一面も持っていたという。この制度は1995年、オーストリアがEUに加盟し、タバコの生産販売が民営化されるまで続いた。オットーは20年以上、ウィーンの街角で松葉杖をつきながら、タバコ店を営んできた人物だ。
 きな臭い時代ではあるが、物語には何ということもない街角のタバコ屋とその顧客のやり取りや少年の恋模様、そして、少年がフロイトに記録するように言われた夢が描かれる。ナチスは街に翻るハーケンクロイツという形でしか登場せず、ウィーンの街はまだ昔ながらの風情を保っているし、少年の見た夢のシーンは幻想的で、ほのぼのとさえしている。
 それゆえにラストの展開には圧倒された。ナチスへの抵抗をこれほどまでに詩情豊かに描いた作品がこれまでにあったろうか。少年を演じたジーモン・モルツェがその成長の様子を素晴らしい演技で見せてくれる。なお、惜しくも昨年亡くなったブルーノ・ガンツ。フロイト教授役の本作が遺作となってしまった。
(フリーライター)







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