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評者◆凪一木
その65 小石先生ふたたび
No.3466 ・ 2020年10月10日




■私が就いている仕事は「ビル管理」だ。おさらいをすると、「設備」「警備」「清掃」の三種類がある。ビル管理会社自体は、それら三種を混在させているが、警備は特に、業界売上トップの「セコム」、二番目の「アルソック」などをはじめとして、「設備主体のビル管理会社」から独立していった。警備員は五〇万人いる。そのため、現在の「ビル管理」というと、おおむね設備と清掃を指す。全国に一〇〇万人いる。
 さて、一五〇万人いる「ビル管理」であるが、単に印象だけではなく、数字的な記録はないが、多くの証言や広く取材、或いは交流したうえで、はっきりと言えることがいくつかある。
 年齢層が高い。コミュニケーション能力が低い。そして背が低い。未婚率が高い。お金を持っていない。世間に疎くマイペース。
 これらを一言でいうと「モテない」、ダサい、パッとしない連中が集まっている。その中でも、飛び切りモテなさそうな、いや、はっきり言えば六〇年間モテていない六〇歳になったばかりの男がいる。かつて紹介した小石先生である。
 ある日の夜である。過去史上最高と大本営発表の中、台風一九号がやってきた。前日から私は泊まり勤務であった。警備二人、設備二人の四人勤務だが、片方ずつ寝るので、夜は、警備と二人きりとなる。その日は、前にここに書いた赤羽の場末ピンサロにうつつを抜かすだけの「小石先生」が相方である。同部屋に一緒に、深夜の何時間かを過ごす。
 顔を上げると、時々動いているのだが、小石先生の身長は一五〇センチ程度なので、立って歩いているのか、キャスター付き椅子で座りながら移動しているのか、よくわからない。小石先生が近づいてくる。どうやら足で歩いている。
 数日前から戦後最大とも言われる台風の予報があり、その日、朝から待ち構えて、宿直の夜の時間帯に入った。いよいよ風と雨とが強くなってきた。
 「凪さん、この台風で、ホームレス流されれば面白いのにね」。答えようがない。
 「どうしてですか」「いや、へへへ」。所在無げに、持ち場に戻っていく小石先生。
 この話だけをすると、おそらく彼は最低の人間にしか見えないだろう。どう取り繕おうとも、弁護しようと、人間として許せない部類だ。だが、小石先生と私とは、この警備員(一五人ほどいる)の中で、唯一、お酒を飲みに行く間柄である。お前(凪)は何だ、と思うだろう。バカか。そんな最低の人間と付き合うなよ。
 小石先生を知らないからである。私は、どうしても誤解されたくはないのである。彼はなぜ、そんなことを言ってきたのか。「皆は悪いというけれど、私にとっては良い人だった」という、そういう話でもない。なぜ付き合うのか。説明には時間がかかる。
 この職場で言うと、一五人いる警備隊員のうち、隊長を含め一四人が、パワハラ体質、いじめ体質、劣等感体質、拗ね者体質に染まっている。
 自分で自分の仕事をバカにしている。給料上げたかったら、自分の質を上げる。資格を取る。そういう者はいる。だが、そんなある意味「立派に仕事をする」奴は、人にやさしくない。
 『東京タクシードライバー』(山田清機/朝日新聞出版)という本の第八話に「愚か者」という章がある。気の優しい三八歳の男が登場する。
 〈結局工藤は、小学校二年生から中学三年まで、学校になじむということがまったくできなかった。鬱々といじめに悩む日々を、通算八年間も送ったことになる。同級生に自慢できることもなく、毎日毎日重苦しい気持ちを抱えて、それでもなんとか学校に通い続けた。〉
 吉本新喜劇の定番ギャグに、こんなのがある。集団リンチのごとく、さんざん暴行を受けた池乃めだかが、まるで逆にやっつけたかのような態度で、暴行した連中に向かって、「この辺で勘弁したろか」と言って、皆でズッコケるというネタだ。小石先生の場合は、これがギャグでなくて、マジなのだ。
 「野郎も他の現場に行けば、やられちまうぜ」「奴さんも言いてえことばかり言いやがってよ。今に痛い目見るぜ」「あのオッサンも、ここで通用すると思っていたら大間違いよ」
 だが、当人を前にして言ったためしがない。小石先生の、あの台風発言は何だったのか。
 口では失言をしない人たちがいる。ホームレスに実際に接して、しかも支援グループの人たちと共にする紐付きの「活動」ではなく、単に「可哀想だから」と、布団を渡したり、食べ物を上げたりしているのが小石先生だ。
 他の連中は、私の見る限りだが、小石先生を怒鳴り、馬鹿にし、見かけ以上に仕事ができないのに、取り繕って、ごまかし、「ホームレスに同情的なセリフを吐いて」生きている。
 小石先生には、溜まっている。私に、良いところを見せたかった。カッコつけたかっただけだ。こう書いても伝わらないだろう。小石先生は、他の人の前でも同じように、台風でホームレスが流されればいい、などとは言わない。小石先生と私はなぜ付き合うのか。
 隙のない人間に、人は寄ってこない。お金がある家だから泥棒に入るのではない。鍵がかかっていない、無防備な家をまず狙うのだ。泥棒に好かれてもしょうがないが、人はみな泥棒である。隙だらけだからこそ、人が寄ってくる。長嶋茂雄も美空ひばりも、よりスーパーの付くスターほど天然で、馬鹿だ。
 「この世のすばらしさは、マヌケと言われた人々の信念の賜物なのよ」
 『スミス都へ行く』で、ジェームズ・ステュアートを励ますジーン・アーサーのセリフだ。
 無数のお調子者が、失敗と無謀で、人間の社会を切り開く。
 差別的なところのない人間はいない。私自身が傷付けられたこともあるし、誰かを傷付けるのを見たり、傷付ける発言を見たこともある。私が、人を傷付けてもいるだろう。
 後で気づくこともあれば、未だに気付かないでいる事案もある。
 一〇〇%きれいな人は、どこか作っている。
 そんな人いるわけがない。
 だけど小石先生は、九九%ぐらいは、きれいな奴なのだ。
 「あの野郎も、他では通用しないよ」「あのオッサンも、言いたいこと言いやがる」「あのオヤジも、いい加減にしろよ」
 別の基準を持っている。小石先生が、全く動じず、また馬鹿にした風でもあるのは、別の趣味がもたらす余裕であり、それは常に意外なところで発揮される。しかし警備の誰も、それを目にすることはない。
 台風の日の余計な勇み足さえも。
(建築物管理)







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