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評者◆凪一木
その68 頼りになったセコい奴
No.3469 ・ 2020年10月31日




■正月の話だ。T工業の場合、一二月三一日から一月三日までの四日間は、出勤すると、一日につき一万円がもらえる仕組みだ。高額所得者にとっては、それほどの意味はないだろう。だが、私など、交通費を除くと、月の手取りが一七万円台だ。そういう者にとっての一万円は、比率として大きい。新型コロナの給付金一〇万円にしても、家族内で、喧嘩が起きているところもある。
 以前までは、まともな人間がある程度の公平性を期して、その四日間の人員配置をしていた。今年は或る男が決めた。全体としてはいい男なのだが、セコさだけは、際立ってダメな男である。それゆえだと思われるが、モテない。結婚相談所にだけは、しっかりと多額のお布施を取られている。三〇万円を手始めに払い、サクラと思われる女性との一泊デートにも、無駄にキャンセル料他払わされ、なお「お断わりの役者」が登場する。私はサクラの発展形だと思うのだが、当人は信じている。絵に描いたような「勿体ない」男である。国会図書館で、コインロッカーの一〇〇円が戻ってこないとなると「えらい騒ぎになる」と言って焦り、一〇〇円が戻ってくると、ホッとしていた。可愛らしいと思う者もいるかもしれないが、微妙である。
 一時間の休憩時間で、日本橋から新橋まで無料コーヒー券を使用するために歩いていく。やはり無料の餃子チケットを使用するために、日本橋から神田(王将)まで一時間以内で歩いていって食べて帰ってくる。微妙な男なのだ。
 一二月三一日は変則で三人、あとの三日間は例年通り二人ずつの「のべ九人」が勤務する。彼は、ちょっとしたトリックを使い、自分一人が「三回」、あとの六人が皆「一回」ずつという配置だ。六人が一万円で、一人だけ三万円いただくわけである。
 同室の「警備」さんでは、同じく三一日から一月三日までの四日間、一日出ると二〇〇〇円の「お年玉」が出るということだが、最高は六〇〇〇円までだ。彼らに比べると、随分と恵まれてはいる。三菱電機の正月は、四時間出ると二万円だそうで、元三菱の原発さんは「T工業は随分とケチだ」と言っている。私の妻は、三〇年以上前の八七年当時で、三越百貨店の正月手当が一日五〇〇円だった。私は、その時三越にテナントで入っていたが、正月手当は三日まで一日三〇〇〇円だった。
 日程調整する人間というものは、どちらかというと、自重する傾向というか、自らはあまり「得」をしない方向にもっていきがちだ。なぜなら、既に裁量が任されて、協調性や全体を考える力を持っていると考えているからである。「損して得を取れ」という言葉があるが、逆に無理のかかった得に手を出してしまうと、必ずや不用意な状況で、訳の分からぬ損をする。バランスが悪くなる。
 俳優の哀川翔は、嘘をつくと、人間の形が崩れていくと言っていた。人前ではよく見せて、人の見えないところで悪事に手を染めるような奴はどこか、崩れていく。美術鑑定家の言う、「偽物には嫌なラインがある」という、まさにその嫌なラインが、気を付けていても、良く見ている人間からすると、見えてしまう。その流れでミスをし、気を付けていても、裸の王様となる。
 一方で、「上司が勝手に給料を決めて下さい」とまでは言わずとも、それぐらいの従順な者の方が、「見込みがある」などと認められるスタイルがこれまでの日本のカイシャであろう。イエスマンが忖度し合いながら、世界を作る。だからこそサイコパスが入り込みやすい。
 合理性を嫌い、公平性を口に出しづらい風土。そこを逆手に取っての平気の平左な人間かというと、そうではなく、単に鈍感な人間なのだと私は解釈している。人間は、そういう狡くて卑しいことをしていると、いつか足元をすくわれる。
 サラリーマン根性が身についているような男のそいつはしかし、一方では、悪気のある男ではなく、ただただ、サラリーマン根性を身につけたというか、学習して習得したというだけのところがあり、別の点では、根っからのサラリーマンではなかったので、話し相手としては楽しい存在であった。サイコパスの弱点を見極めるうえで重要な存在ともなり、セコさが玉に瑕であっても、頼りになった。
 何が頼りかと言うと、そう簡単には言えないが、たとえば(解決には至らなくとも)相談できたし、少なくともガス抜きにはなり、また生きていく上で、一瞬の気の休まる不満の捌け口には、なったわけだ。
 何だそんなことかと思われるかも知れない。いや、それは「そんなことか」ではない。むしろ「そんなこと」こそが、重要なのだ。「そんなこと」は、もはや「そんなこと」ではない。結婚すること、夫婦、家族の何がいいかと問われても、実はそんなことなのである。癒しだの、慰めだの、安らぎだの、いろいろな言葉が使われるだろうけど、やはり「そんなこと」でしかない。そんなことこそが、大切なのだ。
 隣で寄り添う人。ただ話を聞いてくれる人。遠くても本質を分かってくれる人。それは死んでいる人であってもありうる。人間は興奮したり、ストレスや不満が溜まったりすると壊れもするし、下手をすると死にもする。事を解決していくには、逆境から脱するのは、その後の自分のみである。まずはその時点で死なないこと、ダメにならないこと。そして。自らが、行動を起こすわけだ。
 周りを巻き込むにしても、まずは、その自分を奮起させる起爆剤としての、隣で話を聞いてくれる人間の存在はかなり重要だ。会社の犬的な存在であろうと、守銭奴であろうと、そのことにおいて感謝してもし過ぎることはない。
 〈あと俺、やっぱせこいやつとは友達になりたくないよ。それが一番分かるのはね、カネ払うとき。(中略)飲みにいくまでもなく、自分で払いたいタイプなのか人に払ってもらいたいタイプなのか、仕事の現場で会ったときにだいたい分かる。もう、登場した瞬間に分かる。登場したときのオーラで分かるよ。全然違うもん。〉(『早起きは「三億の徳」』哀川翔/東邦出版)
 それはそうなのである。
 だが、サイコパスを前にして、それでも頼りになったのである。セコいがゆえに、サイコパスに対する憎しみをしっかりと持ち続けていられた。
 それは、そのセコさこそが、私が闘うことのできた精神的な基盤となった。
 私はそこから攻撃したのである。残業代だ。
(建築物管理)







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