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評者◆凪一木
その70 Sと約束をしてしまった
No.3471 ・ 2020年11月14日




■サイコパスは果たして怖いのか。今、目の前にいるサイコパスから、いち早く逃れる以外に手はないのか。「レッテル貼りが人権侵害に当たる」と言うのなら、Sモドキと言ってもよいのだが、モドキの最古透は、「実は」というような犯行が、のちに発覚するのではないかと勝手に妄想しては、身を震わせた私である。
 母親の死を一月一日の朝に発見したときの様子を、笑いながらギャグを交えて、私と国立大卒の工ちゃんを前に、面白おかしく話す一人っ子の息子は、やはり異常だ。
 布団から這い出て、手を前にかざし、何かを掴むようなポーズをしていたという。「ふざけているのかと思った」とたっぷりの身振り手振りで話し終えたとき、私と工ちゃんは絶句した。
 死を発見しての電話の第一声が、「慶弔休暇は五日間でしたよね」であった。それを聞いた同僚は、日数を知らなかったので答えられず、「それよりも、こちらで何か出来ることはないか」と返すと「また連絡するよ」と切られた。
 だが、連絡が来ることは全くなく、数日後に葬儀会場の日時と場所のFAXが流れてくる。それを見てさえ、同僚たちは皆、疑ったのだ。「本当に死んだのか」。その後、葬儀会場で、空調が効いていないとSは大揉めに揉めて、費用を大幅に値切った。六〇万円の葬儀代金を一二万円に値切ったという話を、私も含め数人の前で自慢げに語る。「一二万円引きではなく、一二万円にしたのか」と私が尋ねると、そうだと言う。
 ヤクザのみかじめ料(用心棒代)が、「スナックで三万・ソープで一五万・パチンコ店で一〇〇万円」と相場が決まっているように、葬儀屋の一般葬は「五〇・八〇・一二〇万円の三ランクだ」と本職をやっている友人から聞いたことがある。Sが「盛大だった」という葬儀は、そもそもが大したものではなく、それをさらに五分の一に下げさせたわけだ。
 葬儀に限らず、冠婚葬祭の場では、多くの日本人は大人しくするのが慣例ではないか。表立って騒いだりしないのが、大抵のサラリーマンの「常識」だろう。こういった騒ぎを冷静に出来るのもSの一つの特長だ。三か月経って、さらに金の問題で葬儀業者と電話でやり取りをしている。執拗に、相手のミスを探し出しては、切れてみせ、時に、責め、深夜に自宅に電話をし、それをまた得意気に語ってみせる。私がその話を皆に振っても、「異常だ」と同意してはこない。なぜか。「怖い」からだ。自分が標的になるのが。
 完全にその執拗な責めで参ってしまった沖縄空手の副所長は、何も出来ずに意気消沈したまま、関わるだけ馬鹿らしいと言って、(本音は恐怖で)会社を出ていった。
 チリ紙(特に鼻をかんだ後でもなく、ただのチリ紙だ)を机の引き出しに置いてあっただけで、それをカラー写真に撮り、大きくアップして報告書にまとめ、翌日の朝会で発表するという手の込んだ嫌がらせをして、執拗に相手を苦しめ陥れる。S自身もミスをするが悪びれない。恥ずかしいとも、罪深いとも思わない。心がない。日程担当の同僚に指図し、ターゲット人間の最も嫌がる日を狙って、絶妙のタイミングで休むと言ってきて、手配をし終えたら再びキャンセルして出勤してくる。混乱させて、現場を掻き乱す。
 Sの母が死ぬ二日前に、私はSと一緒に泊まったが、「家で(母が)死んでたりして」と笑えない冗談を飛ばす。そうかと思うと、誰も自分に同情してくれないと泣き落としを掛けてきた。
 日本独特の「済まないと思う、忖度する、試食を食べて必要なくても買ってしまう心理」につけ込むのがサイコパスだ。気が咎める、悪いことをした、よくないことをしたと内心では感じている様子、疚しい、後ろめたい、後ろ暗い、内心いけないと分かっている、良心の呵責・罪の意識がある、相手に詫びたいと思う心境、顔向けできない、心苦しく思う。約束は守る。そういった一切の感情を利用してきて、また逃れられない状況から、人を操作し支配する。
 必要以上に敬語ばかり使う「すいません文化」や「お疲れ様です」とか「頑張ってください」と、心にもないことを互いに並べ立て合い、持ち上げる仕組みの「日本の会社文化」を逆手にとって、サイコパスは、無能な自分を引き上げにかかり、また「褒め合い」というおかしな行為を利用して安住の地を築いていく。
 そして私は不覚にも、ほとんどのサイコパス本に書いてある「二人きりで約束してはいけない」という法則を、ついつい忘れてしまっていた。
 S「とにかく、有給休暇を取ってくださいよ」
 凪「では、来月八日にします。代わりに最古さんが出勤するわけですね」
 S「俺も出て稼ぎたい方だから、どんどんお願いします」
 その八日は一緒に泊まるのが、工ちゃんだった。その約束をした次の出勤日に、いきなり、K部長から現場に電話が掛かってくる。
 「凪さん、どういうことだよ。工さんから電話が来たよ。八日は僕が一人で泊まるのか? って」
 「その日は、最古さんが泊まりますよ」
 「聞いてないよ」
 「じゃあ、最古さんと私とK部長とで話しましょう」
 結局、「そんな約束をした覚えはない」の一点張りで、その休みは取り消された。
 なんなのだろう、この饒舌な語りは。なんなのだろう、この罪悪感のなさは。

 〈事件発覚直後から現場での取材を重ね、凶悪な犯行内容を知っている私のなかに、違和感ばかりが募る。自らの潔白と司法への不満を息もつかずに訴え、その合間に笑みを浮かべて私を持ち上げ媚を売る。そんな男を目の前にして、ひとつの確信が生まれていた。
 悪魔とは、意外とこんなふうに屈託のない存在なのかもしれない、と。〉(『連続殺人犯』小野一光/文春文庫)

 北九州監禁殺害事件の主犯松永太との様子を描いた言葉である。私には、よく分かるのである。この、いや~な感じが。ねっとりと絡み付く感じ。同じ現場の警備の人さえも、その威圧感に、浸透感に、浸食感に、嫌悪感を口にしてくる。
 結局、この男は、牙を剥いてくる。現場の上司を取り込み、会社を巻き込み不正をする。私の正当な権利をも脅かす。危ないのは覚悟のうえで、私はどうにも、立ち向かっていくしかなかったのである。
 とにかく、あのサイコパスに魅入られた状態を脱したい。倍返しで有名なテレビドラマ「半沢直樹」では、こう語られる。
 「人を裏切るときは、準備は念入りに、刺すときは一瞬でやれ」
 おそらく一瞬では無理であろう。だから、私は第三弾ぐらいまで方策を考えた。
 やるしかなかったのである。
(建築物管理)







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