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評者◆凪一木
その78 サイコパス撃退法
No.3479 ・ 2021年01月16日




■やるからには戦争状態であることを自覚しなければならない。
 昭和、平成、令和と生きてきたが、決戦の終了した今の、決着が着いたであろうたった今は、まるで平安時代かと思うようである。だが平安などと言っても、実際の平安時代は、特に東北地方では、策謀を重ねて、親類もろとも裏切りあい、時期を狙い、攻め、守り、殺し合いながら、相手を滅ぼすまで戦う時代であった。その意味では、現代のサイコパスとの戦いは、前九年の役であり、この先に後三年の役は待ち構えているかもしれないのである。
 なぜ、サイコパスが来なくなったのかについて皆、首をかしげている。凪さんのおかげという。それは多分そうだろう。だがそれにしてもだ。一つには、よほどに、われわれの想像を絶するほどに、人目を気にする人間、いや悪魔であったのか。次に、会社の人間たちが完全に「手の内」にないと嫌なのではないか。掌握した状態以外は、認められない。どこか別のところで新たに寄生場所を開拓する。
 そしてもう一つ考えられるのは、さらなる愉しみとしての(私への)復讐である。
 自称高木という、実際にはシナリオライターでも俳優でもないのに、名刺にその肩書きを刷って配っていた男がいる。嘘を付き続けるうちに、いつの間にか業界に入り込んで、今ではピンク映画に名前がクレジットされている。この人物は、サイコパスではないのだが、反社会性とは別の、かなりの演技性パーソナリティ障害と思われる。
 犯罪心理学ロバート・D・ヘアの七つの定義で言うと、最古透は全部にしっかりと当て嵌まるのであるが、高木は、「良心が異常に欠如している」「他者に冷淡で共感しない」「慢性的に平然と嘘をつく」「行動に対する責任が全く取れない」という最初の四項目はいずれも当て嵌まるとは言えない。だが、以下の三つ「罪悪感が皆無」「自尊心が過大で自己中心的」「口が達者で表面は魅力的」はそっくりそのまま当て嵌まる。
 この高木は、いつの間にか舞台出演にも至る。だが、当日に突然の舞台降板をするのである。あれほどに「出たがりで、目立ちたがりで、観られたがりの塊」のような男が、その最大のチャンスのうちの一つであろう舞台に、どれほどに自信があろうとなかろうと「降りた」のだ。下らないコントを動画アップしたり、誰も聴きたがらない話を、大勢の客が集まる舞台挨拶への質問コーナーで恥ずかしさの欠片もなく開陳し、自己披歴を必ずと言っていいほどにやる男である。
 二〇一九年の話だが、「シナリオ作家協会」上映会でも高木は、「やった」。
 こういったシンポジウムや討論会での「質問者」について、私の知る三大要素は、以下の通りである。一つは、年を取って何物にもなっていない。或る程度、無駄にというか、「しっかりと」というか、年齢を重ねてきている。誰でも生きてさえいれば、年は取る。身体と頭の衰えと共に、恥ずかしさをまとって、服も着ないで現れる者もいる。別にサラリーマンでも何でもいいのだ。生きて真面目にそれなりに、一つの仕事を全うすれば、業績とまではいかなくとも、それなりの履歴が付く。しかし、この手の質問者は、あちこちちょっかいを出して、持ち場というか、自分の領域、己の一分、専門というものを持っていないので、何者なのか、判別のしようがないほどに曖昧な存在として、質問される人間の目の前に現れる。訊けば訊くほどに、曖昧模糊としてくるわけで、それが、若い人間であれば、どうってことがないのだけれど、それなりに年を食っていて、何もしていないのに「何事かをした」ような口ぶりであるから、一緒にいるのが嫌な気分になってくるのだ。
 そして、自らを何者かに見せようとするが故なのだろうけれど、親せきや知り合いに有名人がいることを持ちだしてくる。他力本願というか、虎の威を借りたキツネならまだしも、虎どころか猫にもなれないような存在を背に担いで倒れ掛かっているような情けなさが全面に出ている人間が多い。見ていて哀れでしかない。何者になる必要もないけれども、何者かであろうと、少なくとも人一倍夢想しているのだから、せめて、一芸に秀でてみたらどうなのか。それは別に、誰かれに認められなくても、或る程度の人間が見たなら分かる程度に佇まいというものが現れるはずだ。
 次に、サイコパス的である。サイコパスとは違うのだが、限りなく近くて中途半端に危険だ。誇大妄想的な話をし始めたら止まらない。一方的に話すから、話のキャッチボールが出来ない。自分が一〇を話して、相手が一だとしても、その一すら聴くことができずに、相手が胸の前に受けやすい球を放っても、取ることに関心がないのか、さっとかわしたりする。一方、その一〇倍も沢山の球を、ほとんど暴投の如くに、投げ込んできて、ジャンプしても届かないような取れない球を次から次と投げて狂喜するようなキチガイとも思えるようなところがある。キャッチボールができないということは、当人に進歩がないことはもちろんであるが、相手であるところの、こちらの人間にも、互いの言葉で刺激し合い切磋琢磨するという喜びや、会話のアグレッシブな瞬間の愉しみというものがないから、つまりはこちらもほとんど前進しない状態のままである。こういう人間との付き合いは、言葉だけのマイナスに限らず、もっと多くのマイナスを生じているはずで、関わるだけ人生の徒労と私には思われる。それでもときどき、誤って、出合い頭で、使うことのないグラブを手に嵌めたり、付き合ったりするのが、人間というものである。
 そして最後は、比較的「良い」声で、声が通る。これは最古透もそうだった。馬鹿の特徴とも言えるものだが、この説明は省略する。
 とにかく、この高木に私は、いつの間にか入り込まれて、長い付き合いをしていた。
 「親友」とあちこちに書かれていたから、別の知り合いなどに会うたびに、「凪さんは高木と親友なのか」と問われた。そういったことを私は気にしない。高木のことは嫌いではない。今でも面白い奴であることに変わりはない。そして、この経験が生きた。
 そこには弱点も、ままあるわけで、最古透にも応用できたのだと思う。
 獲物とならないように浅く、しかし「付き合う」ことが大事だ。
 相手にとって、嫌な奴になる程度に。
(建築物管理)







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