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評者◆凪一木
その79 荒れる現場
No.3480 ・ 2021年01月23日




■話をいったん先に進めよう。
 サイコパスが去って、これで平和が訪れるのかと思いきや、その後三カ月が過ぎて、四人が消え、一人が今日の朝、退職願を出すという騒ぎになっている。
 なぜ、平和どころではないのかというと、おそらく、このビルメンテナンスという職場自体の問題によるものと思われる。つまり不良分子のような、一般の会社からも、その他の社会からも弾き出された、まさに「不良品」が、集まってくるからである。
 サイコパスが去る一週間前に、まずは、前任の所長が辞める。現場をではなく、会社自体を辞めるのだ。その所長が、当日の朝に、いきなり「退職します」と、お菓子を差し出し、いなくなってしまった。私は、たまたま警備の隊長から「辞めるらしい」という噂だけは聞いてはいたが、同僚は、その旨を聞くこともなく「いなくなった」わけで、三年一〇カ月いた所長の取る行為ではないだろう。
 そして就任した後任の所長も、二カ月半で、これも突然いなくなり、謎のままである。いなくなったまま、一週間経っても私のいるT工業からすると元請けの会社(ゼネコン大手の子会社「Sビルライフケア」)からは、それについて何の連絡も報告もない。そこに現れた男。新所長なのだろうが、何者なのか、いつまでいるのか、何をしにやってきているのか、名前すら、名乗らない。
 そしてサイコパスの代わりに現れた副所長が、これまた札付きの不良社員であった。一度、喧嘩してT工業本社を辞めた。他業種を目論むも、結局はビルメンしかなく、しかも同じ会社に出戻るしかない男であった。本社というのは、現場専属勤務ではなく、あちこちの現場をその日ごとに巡回したり、交代勤務したりの実働部隊である。どちらかというと現場専属には向かない、コミュニケーション能力に問題ありの人間が多く、そこでさえ喧嘩して辞めた人間が、やはり現場ではトラブルを起こすわけだ。
 サイコパス男の最古透ほどに、資格、実力ともにゼロというわけではないが、責任者としては完全にアウトだった。「ビル管」資格は持っていない。自分勝手で、人を指図するだけで自らは動かず、仕事自体を覚えない。日常業務すらしない。
 『イーストサイド・ワルツ 悦楽の園』というⅤシネマがある。東京山の手育ちの初老の小説家が下町の若い女と恋に落ちる。女は言う。「隅田川から西に住むことがあるなんて」。脚本を書いた荒井晴彦は、自身「中野区」に住み、当時足立区に住んでいた私にこう言った。「足立区なんて、足を踏み入れたことすらない」。
 新副所長は初日、八〇年代の米産業ロックとして渋谷陽一に嫌われたボストンのTシャツで現れた。江戸川区小岩で生まれ、足立区花畑団地で育ち、千葉県柏市に家を買って家族で移り、未だに母と住み続けている五六歳の独身男だ。荒井晴彦が最も嫌いそうな、そして私でも、板橋区で生まれて、所沢市に移り住んだ最古透の方が、振る舞いの品においてはまだ「まし」という印象を持つ、そんな行動の下品さが身についているボストンであった。
 現場が、当人含めて乱れに乱れており、「この状況で、本社のK常務が来ないのはおかしい」と、私が言ったら、「Kさんには何を言っても無駄だ」と、私が言うのを止めさせようとするばかりでなく、自分は、この状況に満足していた。少しでもましな職場や環境の会社を目指す気持ちもない下町男ボストンは、強引に自分のやり方で、低い職場環境を保とうとするのだった。K常務にとっては、こういうボストンの存在は最古透以上に都合が良いだろう。
 私にとってボストンは、邪魔であり障害でしかない。ある意味では最古透よりも質が悪い。最古は邪悪そのものであるから、どうしようもないが、ボストンのような唐変木頭はやりようがあるのに気付かない点で、情けない。自己主張の能書きばかりを語って、人の話は聞かない。こうなっては、K常務と直接にやり合うしかない。
 ボストンの横暴政治の結果、私のすぐ後に入った、この現場での最古の次に古い私ともう一人の相棒とも言える樵さん、通称「ビルメン界の田中邦衛」が、あっという間に、退職した。ボストンに我慢がならない、という。私も皆も必死に止めた。せめて就職先を決めてから辞めろ、と。だが、次の会社を決める間もなく有給すら使わずに、最古同様に、その日から来なくなった。これにより、もちろん現場は人が不足する。
 K常務は、新所長が消えて二週間経ち、さらに、一人が辞める当日のこの状況で、初めて現場に顔を見せた。
 退職二日後に、樵さんから貰ったメールだ。

 〈Tです、所長には申し訳なく思いますが、私も精神的にやばくなりかけていました。M氏(注‥下町男)が異動になっても、その後、SMAP残党(注‥マーシーとフェラーリ)とやっていくと考えると、出来ないと思い、自分勝手ですが決断した次第です。コロナ不況で職安も一杯です。この先、路頭に迷うかも知れない。〉

 ここで解説だが、新所長は、初日から論語の一節を毎週掲示板に掲げさせて、あれこれ訓告と注意と指導をしつこく煩く繰り返す、かつてパワハラで訴えられたバカ男である。その下にいる我がT工業の面々は五人で、ボストンとかつて証券マンだった気の弱いマーシーが副所長。その下に私と樵の田中邦衛がいて、その下に現役写真家のフェラーリだ。
 退職の際に、樵は、所長に呼び出され、必死に引き留められる。「この現場のガンは凪と副所長だ」と。樵は反論する。「ガンは、ボストンとマーシー、フェラーリじゃないんですか?」
 だが、聞く耳を持たない。ボストンの次に、私を飛ばす腹積もりであるという。
 時系列を書くと、七月一日所長が去り、七月七日に最古透が去り、九月一八日に新所長が去り、九月三〇日にフェラーリが異動願いを出し、一〇月一三日に樵が退職し、同日に「一〇月一杯でボストンの異動」が発表され、一〇月二〇日には、所長のさらに元請けのJビルサービス(仮名)課長が脳梗塞で倒れ入院した。Jビルサービス四人のうちのトップである。ちなみに、あとの三人は無能。一〇月二六日にマーシーが、遂に退職届けをT工業に提出した。
 ボストンは、「今月一杯での異動なら、さっさと今日からにしてくれ」と怒鳴り、午前中で所長は「病院に行く」と帰り、それが三日間続く。こんな居心地の悪い職場で、私もまた、パラノイアになりそうである。
 三日後に団体交渉が控えている。
(建築物管理)







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