書評/新聞記事 検索  図書新聞は、毎週土曜日書店発売、定期購読も承ります
評者◆殿島三紀
変わりゆくチベットを描く――監督 ペマ・ツェテン『羊飼いと風船』
No.3482 ・ 2021年02月06日




■『ミッション・マンガル 崖っぷちチームの火星打ち上げ計画』『チャンシルさんには福が多いね』『聖なる犯罪者』を観た。
 『ミッション・マンガル』。ジャガン・シャクティ監督。アジア初の火星探査機打ち上げを成功させたインドの「崖っぷちチーム」の奮闘を映画化した。実話だ。インド映画といえば、なんといっても歌と踊りのオンパレードだが、本作のような栄誉ある事実を映画化したまじめな作品でもお約束のシーンがあるので、お楽しみいただきたい。
 『チャンシルさんには福が多いね』。ちょっとオフビートでほのぼのとした映画。長年にわたりホン・サンス監督作品のプロデューサーを務めてきたキム・チョヒの監督デビュー作だ。チャンシルはタッグを組んできた監督に酒席で突然死され、仕事がプッツリ途絶えた映画プロデューサー。そのあたり、監督の人生の実写版ともいえる映画かもしれない。また、突然現れて、慰めとも助言ともつかぬ言葉を残し、映画への初心を思い出させてくれるイケメン幽霊の存在も良い。ラストは小津映画へのオマージュに満ちている。これまでに観たことのないほっこりした韓国映画だ。
 『聖なる犯罪者』。ポーランドの若手監督ヤン・コマサの作品。少年院に服役中の主人公は、前科者は聖職者になれないと知りながら、神父になることを夢見る少年。そんな少年が仮釈放され、思いもよらず、とある田舎町の教会の司祭を務めることになるのだが……。カトリックの戒律に未だ縛られるポーランドに起こった実話をもとに描かれた衝撃の作品である。
 さて、今回紹介するのは『羊飼いと風船』。作家としても名高いチベット映画の先駆者ペマ・ツェテン監督が、草原に暮らす家族の日常と変わりゆくチベット固有の伝統や価値観を描き出した感動作。世界的にも高い評価を受ける監督だが、日本では劇場初公開となる。
 チベットと聞くだけで草原と遠くの山なみ、そして、宇宙そのもののような蒼い空が目の前に浮かぶ。本作はそんなチベットの草原で牧畜を営む祖父、若夫婦と3人の子どもの3世代家族が主人公の映画である。原題は『気球』だが、これは空を飛ぶ気球ではなく風船。中国語では風船のことを気球と言うそうだ。なにが風船かというと――。つい吹きだしてしまうのだが、いたずら盛りの末っ子2人が両親の枕の下から発見した「もの」に空気を入れて嬉しそうに草原を走り回り、それを見た父親が怒って二人を追いかける……。そっちの風船なのだ。ついつい笑いが洩れる。
 しかし、この風船は笑わせてくれるだけでなく、チベットの抱える深い問題も示唆している。チベットでも近代化が進み、一人っ子政策の波も押し寄せ、役場からは避妊具が支給されるようになっているのだ。そんな頃、母親は4人目の子を妊娠。だが、周囲の喜びをよそに、彼女の心は揺れ動いていた。そして、祖父が亡くなり、輪廻転生を信じる家族と変わりゆく社会の狭間で彼女は悩み続ける。
 チベットの人々の心に脈々と流れる独特な宗教観。その中で懊悩する母親。彼女自身が4人目の妊娠を祖父の生まれ変わりと喜ぶには、更なる困難をも受け入れねばならないのだ。彼女は家庭の中で伝統的な役割を果たし、伝統的な信仰を持ち、あらゆる苦労に耐える旧来の女性だ。貧困の中でも家族が助け合って生きるチベットの人々。しかし、その背後には信仰と伝統的な役割を受け入れ、身を粉にして働く女性たちがいる。
 本作は雄大な自然の中で羊たちと暮らし、子どもは避妊具を風船にして父親にひっぱたかれるという牧歌的なだけの映画ではない。力強い映像美の中でチベットの大地を描きつつ、チベットでも、避けては通れないジェンダーの問題もまた問いかけられているのだ。
(フリーライター)
※『羊飼いと風船』は、シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中。







リンクサイト
サイト限定連載

図書新聞出版
  最新刊
『新宿センチメンタル・ジャーニー』
『山・自然探究――紀行・エッセイ・評論集』
『【新版】クリストとジャンヌ=クロード ライフ=ワークス=プロジェクト』
書店別 週間ベストセラーズ
■東京■東京堂書店様調べ
1位 クララとお日さま
(カズオ・イシグロ)
2位 書肆山田の本:1970-2021
(岡井隆他執筆)
3位 緑の牢獄
(黄インイク)
■新潟■萬松堂様調べ
1位 柳都新潟 古町芸妓
あおいの歩く道
(小林信也)
2位 ひとりをたのしむ
(伊集院静)
3位 歴史探偵
忘れ残りの記
(半藤一利)

取扱い書店企業概要プライバシーポリシー利用規約