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評者◆凪一木
その84 外れ現場・当たり現場
No.3485 ・ 2021年02月27日




■妻は、前の会社で、チェーンソーのような機械に巻き込まれて、怪我をした。その日は休日に出勤していて、本来なら一人しかいなかったわけだが、もう一人の人が偶然いたおかげで、スイッチボタンを押して機械が途中で止まり、腕一本なくなる手前で助かった。
 今の会社でもまた、プレスの裁断機があり、バッグの革を刳り抜く作業で使われる。本来はデザイナーのアシスタントであるから、基本は機械作業をしない。見本色や型紙の刳り抜きでときどき使用する。これが危険だ。好んでそういう仕事に就いているわけではない。五〇歳を過ぎて、以前以上にそういう3K現場での職業選択しか「ない」のが実情だ。そんな妻のアルバイトに頼って生きている私の不甲斐なさは、ここでは触れまい。
 ビル管理も一見、楽でそれに見合った給料の安い仕事と思われている。薄給は当たっているが、3Kに当たらないかと言うと、三大外れ現場というものがある。「病院(ホスピタル)・ホテル・百貨店」のいわゆる外れ3Hである。
 私は、最初に病院、次にホテルと勤務したので、その嫌な部分はかなり知っている。
 まず病院は、眠らない現場なので、看護師は、我々が仮眠を取っていることを知らない。深夜に平気で何でも修繕・営繕要望、設備依頼をしてくる。常に入院患者がいて、患者のすぐそばで、管球交換やコンセントプラグの修理取り換えなどを行うが、ときには、一回こっきりの強力なマスクで感染症予防をして、すぐ隣からの連続する奇妙な音の咳ばらいを聞きながら、ビクビクして作業をする。水漏れや漏電は数知れず放りっぱなしの案件が残ったままで、なおかつ人数も多いので、始終揉めていて、パワハラが横行している。手術室や医師、看護師、職員の仮眠室なども多く、帽子、衣服はもちろん、靴下まで履き替えて、別の靴を履き、管球交換に行かねばならず緊張を強いられる。研究所は、大学院生がいくらでも徹夜で泊まっている。警報は毎深夜鳴っていた。もちろん起きる。
 ホテルの場合は、私が最大嫌だったのは、厨房のグリストラップ(グリスピット)清掃である。「きつい・危険・汚い」で言うと、明らかに最後のそれである。うんことは違うのだが、残飯や食べ残しの流れ残って溜まったゴミである。一番連想しやすいのが、終電間際のホームや、終電電車内の人が消えた座席の前にある例の奴である。吐いた食べ物、いわゆる吐しゃ物だ。実際には吐しゃしたものではないのだが、実情、匂いといい、形状といい、まるで変わらない物体だ。これを、ミニスコップや、それぞれの現場独特の器具でもって掬うわけだ。ビニール袋などに移して、ゴミ捨て場に持っていき、捨てる。これが人によっては苦にならないのだろうが、私にとっては災禍だ。鼻が人よりも効くのだ。介護現場での汚物処理よりも嫌だというと、お前やったことがあるのかと言われるが、似たようなことはやっている。はっきり言って、これをやると、次の日も次の日も、ご飯がまともに食べられなくなる。
 三日に一回の現場であるから、やっとご飯を食べられるようになったその日に、この作業が待っている。そればかりが理由でもないが、この現場を、いや会社自体をさっさと辞めた。グリスピットよりも、嫌なことがありすぎた。清掃、警備も共に同じ会社で任されていたので、二〇時以降は警備の仕事(鍵の確認、戸締り、朝の応対)も請け負った。同時に清掃の仕事、部屋のシーツ取り換え(いわゆるベッドメーク)も覚えさせられた。これは清掃や警備の仕事ではないのかと思われる境界が曖昧で、明らかにそれだと分かる仕事、たとえば受付対応やエレベーターの手で触れる部分のアルコール消毒などまで、確実に日常業務であった。それをあちらから指導され(当たり前だ。プロは向こうの方だからだ)、怒られるのも嫌であったし、そこでの妙な階級意識、種別意識があり、なんと便器に器具の投げ込みいたずら事件が発生していて、これが元で業者を呼び何度も解体取り除き作業で修繕費が発生していた。私は明らかに、内部の犯行だと思っていたし、そのあたりの見当も内部で付いたようで、疑心暗鬼の探り合いもあったから、その犯行目的の対象者(多分に所長)とは別に嫌な奴がいて、年下の体育会系で北海道出身の詰まらない虐め男がいたので、さっさと辞めた。
 百貨店は、同僚が元銀座の有名百貨店勤務が続いたので、かなり詳しく聞いたのだが、管球交換などはお客さんがいなくなった閉店後に行うのは当たり前としても、その数四〇〇種類もあるという。私のいた現場などは、病院で二〇〇ぐらい、今のオフィスビルは数えてみたが七〇種類だ。
 ラジオの放送局でビル管をしていたマーシーは、管球交換が、ラジオ番組のコマーシャルの僅かな時間で交換ということで、これが大変だったと言う。依頼の電話では、ただ「電気が切れた」の一言であり、どこのどの球が何本切れたのかは説明がなく、仕方なく、その部屋の前まで七種類の電球を数本ずつ持っていく。わずかな時間に、対象の管球を見つけて、一気に取り換える。電話が来るたびにうんざりする。その放送局は、人減らしで、いつも頼んでいたイベント会場の「ばらし」(椅子や机などの後片付け)を、一人勤務のビル管にお願いされたという。さすがにこれは無理だと言って、他にも、諸々揉め事があり、辞めた。かつてはビルメン協会の会長を務めた社長の会社であり、社長交代後一気にブラック化したという。
 この仕事をしていると、地下街を歩いても、デパートに入っても、天井を見る癖がついてしまった。かなりの頻度で、不点灯を見つける。フェラーリと一緒に東京駅地下街を歩いていると、あちこち不点灯を見つける私に向かって、「凪さんも、もう立派な設備マンですね」と茶化される。この仕事は、世の中にどれだけ意味があるのだろうか。
 さて、ビル管の三大当たり現場は間違いなく、「オフィスビル(大企業の自社ビル)・官公庁や市区役所・大きな会社の小さなビルに入る直接雇用の一人現場」である。
 5チャンネルで「また~り現場」などと言われるが、実際に私が見聞きしただけでも、枚挙にいとまがない。前に紹介した元印刷屋の社長は、元現場では、毎日勤務時間中に喫茶店に行き、映画も観に行っていた。また、それらの話はいずれ。
(建築物管理)







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