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評者◆凪一木
その86 人が死んだ。
No.3487 ・ 2021年03月13日




■設備管理の現場で、人が死ぬのは珍しいことではない。前の現場だった病院では、三〇〇~五〇〇床の中堅病院であったが、週に三人ぐらいは亡くなり霊安室から運ばれていた。ただし、今のビルは、ほとんど外からの人間もおらず、午後五時にはほぼ帰ってしまう完全なオフィスビルである。テナントも入っていない。厨房すらなく、社内にとどまる施設がないため、よほどのことがない限り死人を見ることなどありえない。人が倒れたり、異変が起きれば、救急車を呼んで運ばれる。
 ところがだ。明日がクリスマスイブという一二月二三日の夜に、遺体が発見される。
 その日、私が泊まりの日である。以前は二人泊まりであったが、今は一人だ。ビルは自社ビルで、東証一部の超大手だが、経営悪化からリストラで全国ニュースになり、名称もコロコロと変わっている。実はこのビルも吸収されて、元の社名は消えた。その大元の会社は、合併された方なので、結局は、リストラで、憂き目を見る。同じように、そこに入っている設備管理も人を減らされる。二人泊まりは、いつの間にか一人泊まりにされた。
 さて、その日、所長は昼の一二時で帰った。これもよくあることで、この所長は、仕事をしない、パワハラでも有名な、とんでもなく調子のいいサボり魔でもある。しょっちゅう昼の一二時で帰る絡繰りは、ビルに関する免状や資格、手続きの更新や、近くにある営業所への立ち寄りなどで、我々下請けのT工業やビルのオーナー会社に分からないように、適当な理由を付ける。所長の会社はそもそも年間一七〇〇時間勤務であるから、色々と細工をすると、かなりな休日となる。土日出勤と称して、所長は、朝だけやってきて、他の現場を見にいくと言って、午後四時頃このビルに戻り、そのまま帰宅する。この埋め合わせで、平日の午後に代替え早退を二回取ることで、帳尻を合わせるという名目などだ。
 この現場に臨時の助っ人でT工業から応援が来た。彼はこの後もこの連載に登場するはずなので、仮にシバリョーとする。司馬遼太郎の全集を買っていて、他にも本の虫である。それもそのはず、出版社勤務であった。シバリョーの出版社時代の上司は、なんと一週間に一度も顔を出さずに、地方出張と称して、実際には行かずにお金を浮かせ、土曜だけ、その絡繰りを伝票整理するためにやってきて、操作し終わると帰るという。それが日本の会社組織のある種の実体なのかと、今さらに、高度経済成長の裏側を知ると怖ろしくなる。ほかにもビル管理には、元中小企業の社長もいて、大手自動車会社と全くの架空取引で、その部長とやらと、毎年夏になると三〇〇万円を折半していたという。私も昔いた会社で、バブルの頃に得体のしれない金を見たり、逮捕されたり裁判沙汰になった人を知っている。おかしな金の使い方をしていた上司が突然社内で真後ろに倒れ頭を殴打しそのまま死亡した。取引先との八〇〇万円の焦げ付きが死後に発覚した。今の所長同様に、ヤバい奴が、一般企業の中にいることを、ビル管理になって知る私である。
 元証券会社のマーシー(T工業の現場責任者である)は、営業ではなく経理だった。営業が持ってくる現金が、その日の夜には机の上にドサッと置かれ、数千万円の札束を常に見ていたという。そのマーシーの友人が銀行にいて、ある部屋に億単位の金が選挙前に運び込まれて積まれているという。それが夜のことで、翌日の朝にはきれいさっぱりなくなっているのだ。どう考えても選挙の金だということらしいが、証券会社で様々見てきたマーシーはその話を聞いても驚きもしなかったという。マーシー自身、株で儲けてマンションを購入している。私の知り合いで言うと、元やくざで指を詰めるのが嫌で、各地を逃亡し、一七〇〇万円の借金をチャラにした男とか、やはり、七年間、名前と住所を隠して、今は一応自営の正業を営んでいる男とか、「裏の悪」なら見知っている。だが、ビル管理に入って目にし耳にするのは逆に、逃げることもなく、そのまま居座る、今の所長のような「表の悪」たちである。
 さて、この日、糸の切れた凧状態の所長が不在の中、午後五時三〇分過ぎに上層階から電話が入る。
 「朝から、目にしない同僚がいて、机の上にスマホも置いた状態で戻ってこないので、フロア内を探索したら、トイレの中に倒れているようだ」とのこと。
 その電話を取ったのは、六時三〇分に「お疲れ様」となる日勤の、私のその日の相方だ。
 結論から言うと、倒れていたのは大阪から単身赴任していた三五歳の中堅社員で、実はその日、既に帰った警備のRさんは、昔から顔なじみでよく知っていた。恰幅が良く朗らかに挨拶をしてきたという。仮に恰幅太郎さんとする。
 実は私は一七時三〇分から一八時三〇分まで休憩で、休憩が終わると相方は帰るのである。だが帰れず残る羽目になる。ただ、相方は今月T工業に入社したばかりの新人である。所長もおらず、私と二人で、これは参った。
 その日の午後に、実は「当たり外れ」の多い人、免れる人という話をしていたばかりだった。私は、ノーベル賞受賞のその当日の泊まりで、テレビ局五社の押し掛ける中、対応をしたとか、それぞれが「当たり」の話をしていた矢先の出来事であった。
 電話で呼ばれる。「凪さん、上層階で急病人出ました。すぐ行くので、防災センターに戻ってください」「了解」。
 いつも一七時で帰る警備の隊長が、たまたま一七時三〇分を過ぎて残っていた。これは珍しいというより、ほとんどそんな光景を見たことはなかった。虫の知らせなのか、本当に偶然だった。二一時までの対応を隊長が仕切ったのは不幸中の幸いと言うに尽きる。何しろ、この手の警備会社は、木偶の坊しかいない隊員たちの集まりなのだ。あまり言いたくはないが、たくさんの同僚設備員のあちこちの現場の話を集計すると、大手の警備会社の方が、馬鹿が少ないけれども、出来の悪い奴が集まっているということだ。妙な規則と監視体制の縛りによって、おかしな人格がつくられていき、かえって仕事本来の目的から逸脱し、意地悪な人間をつくり、仕事を出来なくし、かつ人格破壊までされているという。実は、それをいつも目の当たりにしている私は、その仕組みがよく分かる。
 彼ら木偶の坊とのコラボレーションで、いよいよ地獄の始まりだった。(建築物管理)







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