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評者◆関大聡
マイノリティ論と階級の問いの連帯契約――ディディエ・エリボンとその友たち(前篇)
No.3508 ・ 2021年08月14日




■「知的、政治的反撃のためのマニフェスト」と題された文がある。二〇一五年九月の「ル・モンド」発表時には「左翼の知識人よ、ふたたび政治参加を!」と題されたもので、そう、この「反撃」は徹底的に左翼の側からなされることをお断りしておく。
 著者たちは左翼が苦境にあることの確認から出発する。「いまや私たちの大半にとって、政治の経験とは無力さの経験になった」。知識人たちはリスクをおそれて政治的話題に沈黙し、他方で一部の界隈には極右・反動の主張への露骨な接近がみられる。だが、こうした状況を塗り替え、知的、政治的な舞台を再定義せねばならない。手始めに彼らは四つの原則を提唱する。ある種のイデオローグたちを対話相手と認めない「拒否の原則」、敵の正体をはっきり見定める「名指しの原則」、極右の言説は恥ずべきものだと自覚させ公然とまかり通さない「恥の再配分の原則」、そして左翼のプレザンスを最大限高める「介入の原則」だ。
 この戦闘的なマニフェストを執筆したのは、九二年生まれの作家エドゥアール・ルイと、八一年生まれの哲学者、社会学者であるジョフロワ・ド・ラガヌリー。彼らは「新しいラディカル左翼」と呼ばれる、マイノリティやエコロジストの運動を背景に左派の立場を自覚的に引き受ける若い世代に属する(ルイは当時二二歳だ)。サルトル的な知識人モデルが失効を迎えたと言われて久しい今日、彼らの呼びかけに賛同せずとも、こうした果敢な声の出現をまずは言祝いでみてもよいだろう(呪ってくれてもよいが)。
 だが、さしあたり彼らの主張への賛否は括弧に入れておく。そして、新しい声を理解するため、その知的文脈を把握するために、ルイとラガヌリーのふたりに公私ともに深い影響を与えた人物、ディディエ・エリボンを紹介しよう。もちろん、彼らの新しさをその「影響元」に還元させる意図がないのは断るまでもない。ただ、ハーヴァード大のセミナーに招聘されたとき、「新しいフランス知識人」と呼ばれたこの三人は、いまやひとつの「現象」になっているように思われ、なかでも年長のエリボンはふたりの議論の出発点となっているのだ。

 一九五三年生まれの哲学者、社会学者であるエリボンのことは、『ランスへの帰郷』(二〇〇九)が昨年日本語訳されたことで、ようやく知られる土台ができた。それまでは『ミシェル・フーコー伝』(新潮社、一九九一年)の伝記作者として、またはレヴィ=ストロース『遠近の回想』(みすず書房、一九九二年)、ジョルジュ・デュメジル『デュメジルとの対話』(平凡社、一九九三年)の対話相手としてしか日本語読者には伝わってこなかった。
 だが、九〇年代半ばまで文化系雑誌のジャーナリストとして現代思想のスターたちの謦咳に接したあと、エリボンはより充実した執筆活動に入る。いわゆる「フレンチ・セオリー」に影響を受けた英米の理論(セジウィック、バトラーなど)を吸収して、フランスにゲイ・レズビアン研究、クィア理論を導入するのだ。
 たとえば『ゲイ問題の考察』(一九九九)では、「侮辱・中傷」の経験がゲイの主体形成に及ぼす影響の考察から出発して、カミングアウトによる本来性=プライドの取り戻しに至る道筋をたどることで、「ゲイ・プライド」の運動に理論的支えを与えた。「恥」の経験から「プライド」へ、これはジャン・ジュネなど同性愛の世界を描いた作家を扱う『マイノリティのモラル』(二〇〇一)の主張でもある。また同書には、ラカンとその精神分析の同性愛理解に対する苛烈な批判も含まれているが、後の著書で繰り返されるこの批判の賭金は理論的なものに留まらない。
 同性愛をめぐる世紀転換期の状況を思い起こそう。一九九九年、フランスでは民事連帯契約(PACS)が認められ、同性愛者に結婚に準じた(とはいえ結婚とは異なる)パートナーシップ制度が開かれた。だが法案は伝統的家族の破壊として右派から批判されただけでなく、左派からも「異性愛の婚姻関係に等しい身分を要求するのは規範への同化を招くだけではないか」という異論を呼び、フランスの議論は二分された。なかでもエリボンが問題視するのは、一部のラカン派精神分析家がこの議論に介入し、「象徴界」や「父の名」といった理論を振りかざし、同性カップルを排除しようとした点だ。
 要はエリボンの精神分析批判には、同時代の精神分析言説への実践的批判という側面が深く刻まれている。こうし
た理論と実践の不可分性は、エリボンの著作に一貫したものだ。彼はPACSを強力に支持しただけでなく、さらに同性婚の法制化を目標とし、著述を通して精力的に活動した(結局、同性婚は二〇一三年に認められるが、それを受け容れない人の多さは、同性愛者の境遇を依然として不安定なものにしている)。

 反動との闘い、これは同性愛に関する議論にかぎられない。エリボンがサルトルやフーコー、ブルデューといった「闘う知識人」タイプの継承者であるとして、これら「批判的思考」を否定する言説は、年々根強くなっている。『保守革命とそのフランス左翼への影響について』(二〇〇七)という論争的な著作で展開されるのは、フランス知識人界の反動化という論点だ。そこには、私が「エリボン史観」と呼んでみたい主張がある。
 彼の見るところ、反動化の原点は八〇年代にある。フランスでは一九八一年、フラン
ソワ・ミッテランを首班とする第五共和制初の左翼政権が誕生したが、当時熱狂を惹き起こしたそれは間もなく失望の的になった。政権に就いた政治家と、それを支えるイデオローグたちは、エリート的官僚主義に立ち、彼らを権力の座に押し上げた民衆から離反し、同時に左派的な思考、ラディカルな思考を裏切ったのだ。こうして、エリボンが「保守革命」と呼ぶフランス社会、フランス知識場の右傾化の最大の震源は、フランス社会党の変節にあったことになる。その末路が二〇〇二年の大統領選挙での社会党候補の敗北、国民戦線候補の躍進というわけだ。
 こうした史観は、意外な反響を得ているかもしれない。ローラン・ビネの『言語の七番目の機能』(東京創元社、二〇二〇)を取り上げてみよう。これは一九八〇年に死んだ批評家ロラン・バルトをめぐる小説で、その死因が事故死ではなく殺人だったという筋書きで展開する。あまりネタバレにならないと信じたいが、この死には選挙運動中のミッテラン陣営が関与している。これを敷衍して言うと、現代思想(=バルト)殺しの真犯人は社会党(=ミッテラン)だと、同書は示唆しているのではないか。あるインタビューで著者がルイ、ラガヌリー、エリボンの三人に好意的に言及していることからも、こうした推測は不可能ではないと思う。もちろん同書のしばしば悪趣味なまでに風刺的な点は、あまり彼らの気に入らないかもしれないが……。

 とにかく、エリボンは反動との闘いを、八〇年代以降に書き始めた人間の時代的宿命として引き受けてきた。だが、社会党を民衆からの離反、ラディカルな批判的思考からの離反として難詰するだけでは、浮遊したラディカリズムの単なる理想論と映るおそれもある。それこそ、そうした批判的思考自体が、民衆から遊離したものになっていないか。思うに、エリボンが『保守革命』の二年後に発表した『ランスへの帰郷』は、そうした懸念に応答するものだ。
 この自伝でエリボンは、それまで抑圧してきた労働者階級としての出自を語り、知識人になり階級離脱する以前の幼少期、その社会的世界に直面している。もちろん私が言いたいのは、エリボンは労働者階級の出身だから、彼のラディカリズムは理想論ではありえない、といった類の属人的保証を彼の議論に与えることにはない。そもそも同書に見出せるのは、生による理論の正当化ではない。それは、生を素材として、ひとつの理論を実現するという企てなのだ(これは彼の『フーコー伝』の原理でもある)。
 こういうことだ。エリボンはこれまでジェンダー、セクシュアリティ、性的マイノリティの問いに導かれて議論を展開してきたが、労働者階級出身である彼にとって身近な社会的格差、階級の問題については論じてこなかった。むしろ自分の出自を隠蔽し、抑圧しようとすらしてきた。「家族関係を維持するというより、取り消す事が問題になった」のだ。その意味で彼は、はじめから民衆から「遊離」することを目指してきたのだ。
 「帰郷」とは、そうした分離状態を振り返り、閉ざされた過去に向き合う運動だ。だが、それを口実にどれほど多くの転向の正当化が試みられてきたかを考えるなら、エリボンが帰郷によって「何年も前からすでに築かれていた境界をなくすことはできないと悟る」ことにこそ、彼のラディカリズムはある。いまや、彼にできるのは、労働者の世界と自己を隔てる「距離を測る」ことだけだが、その測定は、歴史的、理論的な仕方でなされることになる。
 一言で言うなら、エリボンは『帰郷』によって、出自である労働者階級の世界からの必然的遊離を認めながら、隔たりのなかでその階級をできるかぎり現実的に理解する試みに着手したのだ。ところで、こうした階級問題の長い抑圧状態は、エリボンの個人史にかぎらず、マルクス主義が知的覇権を失って以降の言論空間で広く認められたものだ。そして、少なからぬ今日の論者が、(性的、人種的その他の)マイノリティ論と階級の問いを再接合する必要を訴えている。エリボンが自伝を通して実現を素描したのは、まさにこの接合なのであり、帰郷の運動を通してラディカリズムを徹底させようとする理論的介入なのだ。この意味で本書は教えるものが多い。
 彼は、そもそも彼の親族にも保守、極右的主張への共感、浸透が認められることをはっきり認め、そのうえで次のように書く。
 「したがって、社会運動や批判的知識人に課される任務は次の通りだ。社会組織、とくに民衆的諸階級の内部で作用するネガティヴな激情を消去するのではなくて――それは不可能な任務だ――、この種の激情を最大限に中立化することを可能にする理論的枠組みと政治的現実認識のスタイルを構築すること。これからの社会について、これまでと違う複数の見取り図を提供し、新たに左翼とみずから名乗ることができるような組織のために、未来を素描すること。」
 ここでエリボンが掲げる「新しい左翼」のためのプログラム、これに呼応したのがルイ、ラガヌリーだ。もちろん、各国語に翻訳された『帰郷』の魅力はこうした理論的水準に留まるものではない(私が同書を感動的だとさえ思うのは、矛盾するようだが、彼の家族の声がそうした理論的介入からたえず滑り落ちてゆくことにある)。ルイは同書について、「たくさんの人が、ひっそり、ひとりきりでこの本を読み、自分の人生が読書によって変わるのを目の当たりにしたという事実」を強調していた。後篇では、こうしたエリボンの薫陶を受けたふたりの議論を追いかけたいと思う。
(フランス文学・思想)
――つづく







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